二十四、捲土重来! キグルミオン! 5
いつ走り出したかも分からない程、その寝台列車はゆっくりと動き出した。
地上のそれと違い始めから無重力に浮かぶそれは、超電導の磁力を生かして走り出す。
まずは空気中を滑り出したそのリニアは、見る見るうちに加速していった。
走り出したことは中の人間にはその遠心力がもたらす擬似重力で知れる。
各乗客は割り当てられた寝台車の中で、自らの体が徐々に床に押し付けられていくことでそのことを知った。
リニアは速度を上げていくと通常の路線から、専用の路線へとその進路を切り替える。
天翔けるリニアの速度が増していく。それに合わせるように専用路線から空気が抜けていく。
そこは完全に寝台特急のみが走る区間だった。空気の抵抗も省かれたリニアは更にその速度を上げていき、中の空間の擬似的な重力は増していく。
「……」
重力が安定すると幾人かの乗客が早々に客室を出た。
先に起こった悲劇の為か、皆が少々口を重たそうにつぐんでいる。
その中の一人。ロシアのイワン大佐は誰よりも早く客室を出た。
無言で歩き出すとその屈強な体が作り出す足音だけが辺りに響き渡る。
イワンが向かったのは食堂だった。
イワンはまだスタッフしかいない食堂車で一人テーブルに着く。早々に近寄ってきたウェイターにウォッカだけを注文した。
イワンは届けられるやいなや注文した品を一口喉の奥に流し込んだ。
イワンは二口目を口にすると不意に顔を上げる。そこに見えたドアの入り口にイワンは目を向け耳を澄ませた。
ドアが開くとそこにはイワンに負けず劣らずの大男が立っていた。
「大佐か……」
坂東はドアが開くやいなやこちらを見ていたイワンの姿に気づく。
そしてそのまま中に進むとイワンのテーブルまできた。
「珍しいな。お前が寝台特急を利用するなんて」
坂東が日本語で話しかけた。
「ふん――」
坂東の言葉が逐次ロシア語に翻訳されてイワンの耳に届く。だがイワンはある程度坂東の言葉を原語の日本語で理解しているようだ。イワンはロシア語の翻訳が終わり切る前に応える。
「相変わらずかちゃかちゃとうるさい男だ……ドアのこちらからも、聞こえていたぞ……」
イワンは三口目のウォッカを喉の奥に流し込みながら坂東の足下を見た。
「あのドアの向こうの音にか? 耳ざとい奴だ」
坂東がイワンの前の椅子を引いた。
「誰が同席しろと言った」
「ふん。酒で気分を紛らわせている男が強がるな」
坂東がイワンの抗議にかまわずその目の前の椅子に腰を降ろす。
「ウォッカは水だ」
「語源がそうだというだけだろう?」
「『ゴゲン』? 難しい日本語はさすがに分からんな。ああ……そうだ……ウォッカは元々水の意味だ……」
翻訳されて届けられたロシア語にイワンが重々しくゆっくりとうなづく。
「その度数のアルコールを水とは。ロシア人は酒飲みだな」
「ロシアの寒さには、これぐらい。水のように飲み干せないと生きていけん」
「ふん……では俺も熱燗でももらうか……」
坂東がウェイターを手で呼んだ。
そのウェイターは二人の大男が作り出す威圧的な雰囲気に注文を取りに来るのをためらっていたようだ。
ウェイターは慌てて坂東に近寄り、注文を聞くとそそくさと戻った。
「サケか? あれは臭い。よく呑めるもんだな」
「安物はな。まあ、ここで出てくるのも、安物だろうがな。アルコールも、熱い飲み物も。ここでしか飲めんからな。我慢するさ」
「ふん……」
イワンが鼻で応えると、グラスを傾ける。それでイワンのグラスは空になった。
「疑似重力での睡眠など。鍛えた軍人には不要だ」
イワンは空になったグラスをテーブルに乱暴に置きながら唐突に口を開いた。
先の坂東の問いかけの答えらしい。そして一度はおいたグラスを宙に持ち上げて振った。厨房前まで戻っていたウェイターにそれでお代わりを要求する。
「ああ……」
「遺体搬送の特別休暇だ。普段な辞退するところだがな。命令なら仕方あるまい。普段から俺が寝台特急を利用しないので、部下も利用しずらいと苦情もあったしな。ふん。必要とあれば、利用すればいい。俺は必要と思っていないから利用しないだけだ。自分に必要かどうか、判断もできんらしい。今の若い軍人は」
「いつになく饒舌だな。やはり人死には堪えるか」
「ふん……見くびるな……貴様らと違って、俺には地上で実戦経験がある……人間相手のな……」
「……」
坂東の前になみなみとグラスに注がれた日本酒が運ばれてきた。
イワンの眼の前にも新たにウォッカが注がれたグラスが置かれる。
イワンはそのグラスを掴むとためらいもなく口元に運び、
「俺が苛ついているのは、今回の情報の遅さと不透明さだ」
その中身を一気に飲み干した。