三、威風堂々! キグルミオン! 9
「だが、この訓練で作り出せる無重力状態は短い。それが残念だな」
坂東の身が床にゆっくりと落ちていく。その向こうでは久遠と美佳がやはり、惜しむかのように緩やかに床に向かって落ちていた。
機体が徐々に水平を取り戻していく。
「おひょ」
床に足をつき損ねたヒトミがお尻から奇声を発して着地した。
「ああん、もう! 短い!」
「ぐふ……」
久遠が不平を口にしながらやはりゆっくりと着地し、美佳がユカリスキーを抱き寄せた胸からベッドに寝転ぶように落ちいく。
「仲埜。もう一度、いくか?」
「はい!」
「勿論よね! ヒトミちゃん!」
久遠は坂東の質問に答えたヒトミよりも元気よく反応する。
「ぐふふ……博士、興奮し過ぎ……」
機体が水平に完全に戻る。美佳は床のマットにヒザを立てて座りながら、そんな博士に白々しい冷たい目を向けた。
「ああ、だって! 私にとっては自由落下も無重力も等価だもの! そう! 私にとってこの訓練は、宇宙に行ったも同然のこと! 何度でもやりたいわ!」
「博士、興奮しているところを悪いが」
「何ですか、隊長? もうこのまま宇宙に行っちゃいますか?」
久遠が腕を勢いよく突き上げて天に向かって指を指し示した。
「博士……」
美佳が今度は本気で冷たい目を久遠に向ける。
「いや、博士。この機体で宇宙に出れないのは、君が一番よく知っているはずだが?」
「もう、隊長ったら! そんなこと分かってますよ! 言ってみただけです! で、本題は何でしたっけ?」
「仲埜にキグルミオンのキャラスーツを。生身での無重力訓練よりも、あれを着たままの方が実際に近い」
「分かりました。ヒトミちゃん、美佳ちゃん。後部格納庫に行くわよ」
久遠が率先して機体後部に向かい、
「仲埜。キャラスーツを着たままで、無重力に対応してみせろ」
「はい!」
坂東に声をかけられながらヒトミはその後を追いかけた。
「持ってきてたの?」
「ぐふふ……当たり前……」
ヒトミと美佳が久遠の後に続いた。
三人は後部格納庫にすぐに辿り着く。久遠が後尾を隔てる壁のドアを開けると、中からウサギのヌイグルミオン――リンゴスキーが迎える。
リンゴスキーは久遠を手伝ってドアを押していた。その様は一人で留守番をしていた子供のようにも見える。
「ん?」
ヒトミが格納庫の奥に見つけたキグルミオンを見つけて眉間の皺を不審に寄せる。
「キグルミオンが自分で座ってる」
そう。キグルミオンは格納庫の壁際のシートに、自立しているかのように腰を落として座っていた。
あまつさえキグルミオンが一人で立ち上がってヒトミ達に背を向けた。
久遠が人で先に奥に入り、そのキグルミオンの全身を上から下まで確認する。
「ぐふふ……目が届かない時の為に、ヒルネスキーに入ってもらっていた……」
美佳は入り口でそうヒトミに応えると、腕に抱いていたユカリスキーを放す。
ユカリスキーとリンゴスキーがキグルミオンの背中に向かって走っていく。二体のヌイグルミが着ぐるみの背中に手を回すと、その背中のチャックに手を伸ばした。
下げられたチャックの向こうから、ライオンのヌイグルミがコアラとウサギの縫いぐるみに支えられて出てきた。
「ヒルネスキー、ご苦労様……」
ヒルネスキーと呼ばれたライオンのヌイグルミ。その足下では背の高い下駄が履かされており、その両腕にはマジックアームが握られていた。
人間用のサイズであるキグルミオンに合わせる為のヌイグルミオン用のサイズ補正装置だ。
ヒルネスキーはその下駄を履いたまま、マジックアームを振り回して美佳に応える。そして飛び降りるように下駄を脱ぐや、マジックアームとともに床に寝かして置いた。
「いつ見てもこのサイズ補正装置は、無理があると思うんだけど?」
サイズ補正装置と名づけられた下駄とオモチャを呆れた顔で見ながら、ヒトミは空になったキグルミオンに近づいていく。
ユカリスキーがキグルミオンのお腹に回り、他の二体とともにその着ぐるみの体を支えた。
「ふふん……キャラスーツを動かすぐらいなら、これぐらいヌイグルミオンには余裕……」
「そうね。問題はアクトスーツを動かすこと。〝グルーミオン〟同士を〝ダークワター〟の力を借りて、『エンタングルメント』させること――これがヌイグルミオンではうまくできないのよ。やっぱり人にあらざるモノには『観測問題』を乗り越えられないってことかしら。どうしても『人間原理』ってのを考えざるを得ないわね」
キグルミオンの体に片足を入れたヒトミに、久遠が半ば独り言のように答える。
「その難しい単語が出てくると、よく分からないです」
ヒトミは困った顔を見せながら、キグルミオンの奥に消える。
リンゴスキーがキグルミオンのチャックを上げた。
そしてその時――
「――ッ!」
機内に異常を知らせる警報音が鳴り響く。
「宇宙怪獣……早いわね……」
久遠はその警報音に顔を天に向かって上げた。そして見えるはずもない天井の向こうを、険しい視線で射抜くように見つめた。
改訂 2025.07.31