二十三、縦横無尽! キグルミオン! 8
「破れるのは、自発的対称性だけで十分よ!」
久遠は生来のつり目をさらに釣り上げて、情報端末を視線で破らんばかりに睨みつける。
SSS8の外壁が破られ、そこから宇宙怪獣と思しき牙が覗いていた。
牙と外壁の間にできた隙間から、空気が漏れ出ていく。牙で破れた外壁が真空の宇宙に吸い込まれていく。敗れた外壁の向こうに次々と破片が消えていく。その様子が監視カメラで屋内から捉えられていた。
宇宙怪獣はそのアギトで外壁に食いつき、身悶えするように更に食らいつこうとしているようだ。
電気系統に影響を及ぼしてもいるのか、牙が暴れるたびに映像が乱れた。
「ヒトミちゃん! 美佳ちゃん! 撮影中止! 宇宙怪獣よ!」
久遠が情報端末から顔を上げる。
モニタに釘付けになってしまうのを無理に引き剥がしたその顔は、血の気すら失わせていた。
「はい?」
ヒトミが着ぐるみの体で振り返る。だが状況はすぐには把握できなかったようだ。その声にはまだ着ぐるみに成り切った柔らかい雰囲気が残っていた。
「ぐぬ……」
状況を先に呑み込んだのは美佳の方だったようだ。
美佳は奥歯をぐっと噛み締めると意識を撮影から切り替えたようだ。
美佳は情報端末をスカートのポケットから取り出すと、流れるようにそこに指を走らせる。
「ヌイグルミオン! ゴーッ!」
美佳が珍しく声を張り上げた。その声を合図に、撮影道具を投げ出してぬいぐるみ達が一斉に動き出した。
その内の一体コアラのユカリスキーが美佳の胸元に飛び込んでくる。ユカリスキーは美佳に背中から抱かれると、美佳がその体をしっかりと抱きしめた。
その美佳の背中にモモンガが飛びついた。モモンガのオソラスキーが美佳の頭から背中を守るようにしがみつく。
そしてムササビのぬいぐるみが久遠の下へと飛んで行った。
久遠が胸からお腹を守るようにライオンのぬいぐるみを抱えようとしていた。
残りのヌイグルミオン達がヒトミの背後に集まる。
「ヒトミを……キグルミオン司令室へ……」
ヒトミの背中のぬぐるみ達は一斉にそのペンギンの着ぐるみの背中を押した。
その一押しでヒトミは通路の出口へと押し出された。
無重力故の作用・反作用の法則に則り、ヒトミを押したぬいぐるみ達は後ろに飛んでいく。
「えっ! 宇宙怪獣なの?」
まだ状況が把握し切れていないヒトミは、出口へと体を流しながら後ろを振り返る。
「そうよ! ヒトミちゃん! もうSSS8に取りついているわ!」
壁を蹴った久遠がその背中を追った。
途中でムササビのヨゾラスキーが久遠の背中に張りついた。こちらも後頭部から背中を守る形で久遠に寄り添う。
「分かりました!」
ヒトミが壁を蹴り更にその身を加速させた。
美佳と久遠を後ろに残しペンギンの着ぐるみの身で誰よりも早く出口へと向かう。
「美佳ちゃん!」
久遠が美佳に追いついた。その間にもヒトミの背中はどんどん小さくなっていく。長い通路上の粒子の加速空間の中で、遠くにぽつんと見えた出口にペンギンが飛んで先に飛んでいく。
「博士……隊長は……」
「坂東隊長からは、短い通信があったわ。司令室に向かってるとのことよ。多分私たちより先に着くわ」
「ぐぬ……状況は……」
尋ねる美佳と久遠の背中に次々とぬいぐるみが当たってくる。
無重力とはいえ空気のある空間。二人が減速するたびに、ぬいぐるみ達が交代で二人の背中にぶつかってきた。
「宇宙怪獣は、海竜型よ。長い首でSSS8に巻きついているわ。で、がぶりと外壁に食いついたみたい」
「映像見た……外壁が破られてた……」
二人はぬいぐるみ達に背中を押されながらヒトミの後を追う。それでもヒトミの姿は既に小さなものとなっていた。
「そうね……サラ船長からだわ……」
久遠の端末が着信を告げる。とっさにモニタに目を落とした久遠がそのまま端末を耳元へ持っていった。
「ミズ・久遠!」
「ええ。状況は把握してるわ」
通話の向こうの相手に久遠が応える。
「急いで、ミズ・久遠! もう外壁が破られてるわ! まだ可住区域と、実験区画は無事だけど! そこまで破られる訳にはいかないわ!」
「そうね……私たちはもうすぐここを出れるから。『エキゾチック・ハドロン』の用意をお願いするわ」
「オーケー! あなた達がそこを出たら、すぐに粒子加速するわ! エキゾチック・ハドロンをばんばん打ち込んで! キグルミオンのカラー・チャージャー光らせるからね! じゃあ!」
サラの通信はそれだけ告げると一方的に切れた。
「ふふ……『量子色力学』に『自発的対称性の破れ』……南部陽一郎博士はやはり偉大ね……」
久遠が端末を耳元から離しながら一人呟く。
「ん……」
「別に……さあ、美佳ちゃん!」
久遠は不思議そうな目を向けてくる美佳に応えると一際強く壁を蹴った。
「先人の知恵と力を借りて! 私たちは私たちで、戦うわよ!」
そしてドアの向こうへと既に消えようとしてるヒトミの背中を追った。




