二十三、縦横無尽! キグルミオン! 3
「授業なんて、身が入んないですよ」
キグルミオンの中身の人――仲埜瞳は、自己否定めいた愚痴をこぼした。
スペース・スパイラル・スプリング8の一室。ヒトミはやる気のないセリフを、実際に脱力しきってふわふわと浮きながらぼやいた。
ヒトミは部屋の中で両手を後頭部で組んでいた。
船内用のつなぎに身を包んだヒトミは、態度でも身が入らないとその格好でぷかぷかと浮かぶ。
「ほらほら、ヒトミちゃん。平和な時こそ、勉強しないと」
ヒトミの教師役も務める実戦物理学者――桐山久遠が、そんなヒトミをたしなめた。
久遠が部屋のドアから入ってくる。久遠は壁を蹴って室内を横切ると、そこに浮かんでいたヒトミの背中を軽く押して更に前へと進んだ。
ヒトミは机へと押し戻され、久遠がホワイトボードの設置された壁へと向かう。
「だって、スージーちゃんが気になるんですもん」
「他所は他所。うちはうち。子供の時に言われなかった、ヒトミちゃん?」
「いいところのお嬢さんの、久遠さんが言われてたとは、思えないですけど?」
ヒトミがふわふわと押されるままに机に戻っていく。
「ぐふふ……ヒトミ、同感……」
宇宙のアルバイト・オペレータ――須藤美佳が、そんなヒトミを手を伸ばして受け止めてやる。
こちらは地上から持ってきた学校の制服に身を包み、先に机に着いていた。もちろん無重力ではその身は単に座っているだけでは固定できない。
美佳は制服の腰に椅子から伸びたベルトを巻きつけて着席している。
だがそのベルトは少しばかり想定よりゆるく閉められていた。
美佳のベルトは自身が抱えたぬいぐるみとともに巻かれている。
もちろん授業も美佳と一緒に受けるコアラのヌイグルミオン――ユカリスキーが、両手を広げてこちらもヒトミを迎えた。
ヒトミは美佳とユカリスキーに手を取られ、隣の自身の席へと落ちていく。
「ねぇ、美佳。絶対、ずらっと並んだメイドが、家に帰ったら迎えてくれるのよ。久遠さん家」
「ぐふふ……執事希望……おっさんタイプじゃなくって……代々仕えてるので、若い執事……」
「いいね! 執事も! チョー長い車で、学校とか送ってもらえるんだ!」
「メイドさんは、学校まで来て……お昼にわざわざ前菜からでしてくれる……」
「うおっ! 久遠さんすごい!」
椅子に座りベルトを巻いたヒトミが目を輝かせる。
「失礼ね、二人とも。お金持ちの家だったのは否定しないけど。そんな乳母日傘な生活してないわよ」
久遠が呆れたように半目を二人に向ける。
久遠はホワイトボード横の手すりにつかまりその身を固定していた。もちろんその身を抱えてれる執事も、支えてくれるメイドもいない。
ボードに書き込む必要がある久遠は自らの手でその身を支えていた。
「ええっ! そうなんですか? ちょっと、がっかりです」
ヒトミが心底がっかりと後ろに仰け反り、
「ぐぬぬ……執事は夢物語か……やはり、早く政界デビューして、私設秘書を雇うべきか……」
美佳が悔しげに親指を噛んだ。
「あのね、二人とも……」
「でも! おもちゃを買ってもらえないようなイメージはないですよ、久遠さん! 他所は他所だなんて、絶対言われてないでしょ!」
「言われるわよ、普通に。うちは代々普通の学校に通うのが、教育方針だったもの。普通に厳しかったわよ。それに最近も言われたわ」
「『最近』ですか? 何かおねだりしたんですか?」
「アメリカみたいな、潤沢な研究費が欲しいです――って、鴻池先生に」
久遠がその時の情景を思い出すためか、アゴに手をやりながら何処か虚空を覗き込むように上目遣いになる。
「おやっさんさんに言われたんですか? まあ、言うでしょうけど」
「だって! アメリカ国籍の研究者だと、軍事費から研究費が出たりするのよ! 軍事費よ、軍事費! もちろん国防に必要な研究ってことで、出るんだけど。やっぱり桁違いなのよね。あれは、羨ましいわ」
久遠はアゴにやった指を今度は物欲しげに唇に持っていく。
「そんなもんですか?」
「そんなものよ、ヒトミちゃん。さあ、勉強勉強。いつ宇宙怪獣が襲ってくるか分からないのよ、勉強できる内に勉強しないと」
「美佳! 宇宙怪獣襲ってくるか、分からない? ハッブル7改が、こう都合よく宇宙怪獣見つけてない?」
「ぐぬぬ……残念ながら……ハッブル7改からの情報はなし……今のところ、宇宙怪獣の兆候らしきものはなし……」
美佳が情報端末を取り出しそこに指を走らせる。
モニタに表示されたのは宇宙に浮かぶ望遠鏡の模式図と、最新情報のアラートだった。
そこには宇宙怪獣の兆候を捉えたような情報は一切表示されておらず、
「空気読みなさいよね、宇宙怪獣! たまには人様の役に立ちなさいよ!」
ヒトミは食いつくようにその画面に見入って悔しげに歯を剥いた。