三、威風堂々! キグルミオン! 7
巨大な旅客機。どこまでも続くかと思える滑走路。晴れ渡った空。
「……」
ヒトミはいつもなら上げるであろう、おかしな歓声も引っ込めてその光景に見入る。
海上空港の開けた滑走路に、坂東が乗り込んでいた旅客機が停められていた。
ヒトミはヘルメットを被り、その旅客機のタラップに足をかけているところだった。
「こんなに大きな飛行機が、滑走路の中では小さく見えます」
ヒトミは上機嫌にタラップを登って行く。
「あはは。その滑走路すら、この晴れ渡った空から比べれば小さなもんでしょ?」
ヒトミの後ろに続く久遠が、笑いながら話しかけてくる。
「はい」
「宇宙はもっと大きいわよ、ヒトミちゃん」
「どれぐらい大きいんですか?」
「そうね。もしからしたら、私達の地球なんて、宇宙全体から見れば、原子の一粒でしかない――そんな風に感じるぐらい大きいかな」
「ほぉえぇー。想像もつかないです」
ヒトミがタラップを登り切り、旅客機のハッチから中に足を踏み入れようとする。
ハッチに入る直前、ヒトミは先程坂東の姿を見かけたコックピットの方を見た。
外からは坂東の姿は確認できなかった。代わりに初めて見る顔のパイロットが、愛想もよくヒトミに手を振ってくれていた。
ヒトミは笑って手を振り返し、あらためて機内に足を踏み入れた。
そこは普通の旅客機とは随分とおもむきが違っていた。快適な空の旅を約束する個別のイスは一つもなく、辛うじて片側だけにベンチ様のシートがあるだけだった。
それ以外はがらんとした空間だった。まるでこれから荷物を詰め込む貨物用の空間だと言われてもヒトミは信じただろう。
だが荷物を受け入れるには大きな障害があった。飛行機の床には『土足厳禁』と書かれた柔らかいマットが敷いてあったのだ。
「あっ、ひょっとしてこのマット。無重力からもとに戻った時に、危なくないようにですか?」
「そうよ、ヒトミちゃん」
機内に入るや否や、久遠はドア付近にあった設備類のチェックを始めた。
「おおっ! 何だがだんだん宇宙に行く実感が、湧いてきました!」
「ぐふふ……ヒトミも早く宇宙に行きたくなった……」
久遠の後からひょっこりとドアに顔を出し、美佳がユカリスキーを胸に抱いてこちらも機内に足を踏み入れる。
美佳もヘルメットを被っていた。勿論ユカリスキーも同じ姿だ。だがユカリスキーが被っているのは、人間用のものらしい。
ユカリスキーは時折大いにずれるヘルメットを、わざとらしくも愛くるしく紐を調整し直して被り直していた。
「美佳は行ったことあるの?」
ヒトミは広い旅客機のがらんとした空間の中で美佳に振り返る。
「ふふん……弾道飛行なら、何度か……」
美佳はいかにも自慢げに鼻を鳴らした。
「凄い! どうだった? 宇宙!」
「ヒトミもこれから行く……ネタバレよくない……」
「もう、いいじゃない! 何か気になる! もう、訓練飛ばして、いきなり宇宙に行きましょうよ。久遠さん!」
「あはは」
久遠はヒトミの突然の申し出に、笑って誤魔化して己の作業に集中する。
「何を言っている? これは遊びじゃないぞ」
だがそんな久遠の代わりにヒトミに応えたのは、コックピットのハッチを開けて出てきた坂東だった。
「隊長! いえ、別に遊びと、思ってる……訳じゃ……」
突然現れて叱責めいたことを口にした坂東に、ヒトミがしどろもどろに応えようとした。
「クス……」
「ぐふ……」
ヒトミのその受け答えに、久遠と美佳が同時に噴き出した。
「何ですか? 二人して、笑い出して? 私、何かおかしなこと言いましたっけ?」
ヒトミはそんな二人にきょとんとした目を向ける。
「何を言ってるの、ヒトミちゃん! これは真剣な訓練なのよ! 遊びじゃないわ! 笑ってる訳ないでしょ?」
「そう……遊びじゃない……ヒトミはまったく、たるんでる……」
久遠と美佳が示し合わせたように、わざとらしい作った真面目な声でヒトミに答える。
「えっ? 何なんですか? 何かおかしいですよ、二人とも! 何か笑いをこらえてるって感じ!」
「そんな訳ないでしょ? 真面目な訓練で、笑いをこらえるなんて! さあ、隊長! こちらの準備は万全です! 早く離陸しましょう!」
「うん……早く訓練を……」
美佳がヒトミにわざとらしく背を向けて同意した。
「ええっ! どう見ても久遠さんも美佳も、笑いをかみ殺してるじゃないですか? 何なの!」
「よし、これより。無重力訓練を開始する。いいか仲埜!」
坂東がサングラス越しに瞳の目を真っ直ぐのぞき込んだ。坂東のその一言が合図になったのか、ハッチが閉まり、機体がうなりを上げ始めた。
「はい!」
「どんなに辛くとも、弱音は吐くな」
坂東はサングラス越しに瞳の目を視線で射抜く。
「えっ?」
「返事は?」
「はい! でも、そんなに辛いんですか? 無重力訓練?」
いつになく真剣な面持ちの坂東に、ヒトミが息を呑んで訊いた。
「……」
「そんな顔をしていられるのも、今の内だけよ……ヒトミちゃん……」
黙り込んでしまった坂東に代わり、久遠が真剣な顔で答える。
「そうなんですか?」
ヒトミが坂東と久遠の様子に思わず息を呑む。
窓の向こうでは、スクラムジェットエンジンが火を噴き始めていた。
ガラス越しに見える赤い火を噴くジェットエンジンを背に、
「ぐふふ……もう後戻りはできない……」
美佳はいつも以上に怪しい笑みをヒトミに向けた。
改訂 2025.07.30