十八、疾風怒濤! キグルミオン! 17
「秘匿回線……あいつか……」
テーブルに無造作に置かれていた情報端末。静かに振動し光り出したそれに板東が目を光らせる。
寝台車のベッドに仰向けに寝ていた板東がぬっと無造作に手を伸ばす。
端末のモニタには『量子暗号通信』の文字が踊っていた。
「ご無沙汰です、刑部です」
板東が耳を傾けた情報端末から低く抑えた男の声が再生される。
「ああ、それほどでもないがな」
「おや、つれないですね。可愛い後輩が秘匿回線まで使って電話しているというのに」
「しかも、この高速レスポンス。衛星から最優先で繋いでいるな」
「ええ、私の権限で、一番重要な回線を使ってます」
「ふん。どうせろくでもない用事だろ」
「場合によっては、ろくに話してもいられない話です」
「ふん……だったら。早く用件を話せ」
板東がベッドから上半身を起こした。
「その前に確認です。一人用の寝台スペースですか?」
「ああ、おやっさんの分を譲ってもらったからな。贅沢にも一人部屋だ」
「ああ、訊き方が悪かったようです。お一人ですね」
「誰を連れ込むって言うんだ? この宇宙で。心配するな。誰にも聞かれてはいない」
「いえいえ。一尉は何度かSSS8に上がってらっしゃいますからね。一応確認をと」
「ふん。どいつもこいつも……」
板東が頭を軽く左右に振った。確かに板東の寝台スペースは一人部屋の個室で、他に誰も乗客の姿はなかった。
「おや、誰かに女性の存在を疑われましたか? モテますね」
「大した話じゃない。早く本題に入れ。緊急の用件なんだろ?」
「ふふ、分かってらっしゃるくせに……ああ、やっぱりか……」
「盗聴か?」
刑部が空けた間に板東が眉間にシワを寄せて反応する。
「ええ。チャネルを切り替えます……元のチャネルはデコイとしてつなぎ続けます……まあ、気休めですけど……」
「デコイ回線に、すぐに気づける相手か……」
板東がその相手を探すように辺りを見回す。やはりそこには誰も居ない。それでも板東は壁の向こうに人でも居るかのようにじっと辺りを見回した。
「ええ、そうでしょうね。でもこれは光子を使った量子暗号通信です。盗聴されていることに気づくことが、この暗号方式なら可能です。まあ、チャネルを気づかれる度に、切り替えますので、間が空くのはご勘弁を」
「ふん。で、用件は何だ? あの国の裏をかく必要がある程なんだろうな?」
「あの国とは、何処の国のことでしょうね。一尉。話は変わりますが、アメリカがきな臭いです」
「話は変わったのか?」
「ええ、変わったんじゃないですかね。Xが打ち上げられました」
「『X』? 『打ち上げ』? X―37系か?」
板東が思わず立ち上がろうとしたのか腰を浮かしかけた。
「ええ、……チャネル切り替えます――」
刑部がそう告げると一瞬間が空いてから通信が続いた。
「そうですね。アメリカ空軍の再使用型宇宙往還機――いわゆる軍事シャトルです」
「開発以来、飛行目的を一切開示してこなかったシャトルだな?」
板東が腰を下ろした。それと同時に息もゆっくりと吐き出す。一瞬で上がった血の気をそれで抜こうとしたかのようだ。
「そうです。流石に初飛行時の目的は、向こうの法律によって開示されていますけどね。ですがその頃は開発そのものが目的。依然として今現在の主任務は謎です」
「今、宇宙でする任務など決まっている」
「はい。しかも相手は、宇宙に数年とどまる実力を持つ無人機です」
「宇宙の哨戒機か? それとも爆撃機か? 抑止力には違いないがな。頭の上を飛び回られる国は目障りだろうな」
「ええ、中国とロシアは、散々そう批難してますね……む……切り替えますね……早いな……」
「刑部。相手の実力は、お前が一番よく分かってるはずだ」
「そうですね。やれやれ、切り替えながらの通信になりそうです」
「もうバレバレだろう」
「はい。このタイミングで宇宙と秘匿回線を繋ぎ、頻繁に相手の盗聴をやり過ごそうとしている。それだけで、向こうの動きを察知しているぞと、話しているようなものですから」
「知ってるぞと、暗に伝えるのも情報戦か?」
「まあ、そうです」
「その為に俺を利用したか?」
板東が鼻から軽く息を抜きながら笑う。
「はは、まさか。それはついでですよ。ちゃんと注意を促すのが……本来の目的ですよ」
「どうだかな。また切り替えたな?」
「ええ。もう無理が来たようです……そろそろ、切りますね」
「ああ、用心しておく」
「『用心』が……通じる相手……でしたらね……では、資料送っておきましたので……見といて下さい……」
刑部の通信は最後は途切れ途切れになって途絶えた。
「……」
板東が沈黙した情報端末を耳にしたまま別途に背中から倒れる。大柄な板東にはそのベッドはいささか窮屈そうに見えた。
板東はベッドに横になるとようやく端末を耳から離した。板東はそのまま端末を目の前に持ってくる。板東がそのモニタに指を走らせるとそこに一枚の映像が写し出された。
そこには分厚い雲を突き抜けて、一体のロケットが空に向かって飛んでいく光景がかなりの遠景でおさめられていた。
「打ち上げには不向きな曇り空で、あえて気密性の為に打ち上げられる任務不明の軍事シャトルか……」
板東はその写真をじっと見つめる。
ロケットの形は小さ過ぎて分からない。ロケットのジェットが作り出したたなびく雲が、かろうじてその先にロケットがあるであろうことを示していた。
板東ちらりと視線を横に動かした。
壁しかないその寝台車の空間に向かって、
「もうぴったりと……この船のケツに、ついてるんだろうな……」
板東はにらみを利かせながら呟いた。
(『天空和音! キグルミオン!』十八、疾風怒濤! キグルミオン! 終わり)
文中量子暗号通信に関しましては、以下のサイトを参考にさせて頂きました。
サイト
http://www.nict.go.jp/publication/NICT-News/1102/01.html