十八、疾風怒濤! キグルミオン! 9
「前菜よし! スープよし!」
誰よりも遅くスープに手をつけたはずのヒトミが、どの皿よりも早くそれを空にしていた。
ヒトミは最後の一滴まで口にせんと、人目はばからずにスープをかき込む。
「ヒトミちゃん。お行儀悪いわよ」
久遠がそんなヒトミをたしなめる。口程には批難しているようではないようだ。久遠は困り顔に眉根を寄せて、ヒトミがスープをかき込むに任せていた。
「ああ、失礼! 次まだですよね? じゃあ、パンいただきます!」
ヒトミがスープを底まで空にしてからテーブルに皿を置いた。
無遠慮にテーブルに戻された皿は、少々斜めに置かれてしまい音を立てて揺れる。
皿が倒れかけの独楽のようにまだ揺れているのも気にせず、ヒトミはそのままカゴに盛られていたパンに手を伸ばした。
「こら、行儀が悪いぞ、仲埜」
坂東がそんなヒトミにスープを口に運びながら横目で注意する。
「隊長に言われたくないですよ。こぼしてますよ」
「スプーンが小さ過ぎるんだ」
「隊長が大き過ぎるんですよ」
坂東の皿からテーブルにこぼれたスープの雫。それをヒトミと坂東が覗き込む。
「小さいだろ、スプーン。こぼすに決まってる」
「いやいや。これに文句言うのは、隊長か、イワンさんだけですよ」
「イワンの食事なんか、見たことあるのか?」
「ないですけど。想像つきますよ」
「そうだな。刑部も多分無理だな」
坂東がヒトミに応えながら、スプーンを音を立ててスープにくぐらせた。
その勢いで波打ったスープは、食べ始めの頃ならそのままこぼれていたかもしれない。
坂東はスープをすくい上げ勢いよく口元に持ってくる。そして坂東の手の動きに合わせてスープがスプーンから数滴こぼれた。
「ほら、言ってる端から。あの人はサイズ大きくてもまともだし。隊長達とは違いますよ」
「何? それじゃあ、俺とイワンが、中身が同じみたいじゃないか?」
「そうですよ。無愛想なところがそっくりです」
「む……心外だな……」
坂東がスプーンを口元に運ぶ。ヒトミの指摘が気になったのか、その動きはぎこちない程慎重なものに変わっていた。
「ふふん」
最後は上機嫌に鼻を鳴らしたヒトミの口元から、こちらはかじりついたパンのくずがこぼれ落ちた。
「ぐふふ、博士……この二人に、何か言ってやって欲しい……」
美佳が空のスプーンをユカリスキーの前に持っていきながら久遠に振り返る。ユーカリの新芽ではないが、ユカリスキーにもおすそ分けをしているつもりらしい。
「何を、美佳ちゃん?」
「テーブルマナー的な何か……」
「楽しい食事には、楽しい会話。別に何も言うことないわよ」
久遠は澄ました顔でスープを口元に運びながら応える。こちらはこぼれるようなことは一切ない。
「久遠さんは、いいとこのお嬢様なんですよね?」
ヒトミがパンのくずをこぼしながら久遠を見る。
「なぁに? ヒトミちゃん? どうしたの急に」
「だって、もっとこうテーブルマナーとか、うるさそうなところで食事でもしてるのかなって思って」
「別に。しないことはないけど、滅多にしないわ」
久遠がスプーンをスープにくぐらせる。音一つなく皿に潜ったスプーンは、鋭利な刃物で切り取ったように静かにスープをすくい上げる。
「ええ! チョーがつくお嬢様ですよね?」
「家はね。でも、元よりそんな堅苦しい家風じゃないわ。家長のお婆様からして、気さくな可愛らしい人よ」
「ふぅん。まあ、普段から、そんな風に感じさせんしね、久遠さんは」
「うぅん。九つになる前から、飛び級で海外の大学に入ったから――」
「天才です! 天才が居ますよ、隊長!」
ヒトミが坂東の裾をいきなり引っぱる。
「知ってる。知ってるから揺らすな、仲埜」
突然揺さぶられた坂東の手元から、今も慎重に運ばれていたスープがこぼれた。
「あはは」
その様子に久遠が声を立てて笑う。
「それからは、食事もまともにとれない日もあったわ。ううん、それが普通になったかな」
「久遠さん……」
「そうね……あの日から、私の研究人生が始まったわ……人類に宇宙怪獣が襲いかかって来たあの時から……多くの人の人生が、あの日を境に変わったわ……」
そして久遠はスプーンを降ろしてヒトミの目をじっと見つめた。
「十年前のあの日ですか……」
ヒトミが横目で坂東をちらりと見ながら久遠に応える。
「……」
ヒトミの視線に気づいていないのか。それともその視線を意識して避けたのか。坂東はじっと前を見ていた。
「そうよ……そして、食事は栄養ドリンクで済ます日々が、私には始まったわね」
久遠は最後は明るく応えると、再びスープを口元に運んだ。
改訂 2025.10.15




