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天空和音! キグルミオン!  作者: 境康隆
十八、疾風怒濤! キグルミオン!
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十八、疾風怒濤! キグルミオン! 7

「ぶーぶー」

 褐色の頬がぷうっと膨らんだ。

 その頬の横には背中から縫いぐるみの腕が伸びている。ナマケモノの縫いぐるみが底だけは怠けずがっしりと首からぶら下がっていた。

「ああ、もう。また、事後処理。リニアお預け」

 SSS8の船長サラがふわふわと廊下を浮かびながら愚痴をこぼす。

 サラが床を蹴って前へと進む。

 その度に背中に張りついたナマケモノのダレルスキーが揺れる。その揺れ様は全くもって他人任せだった。サラが右に曲がれば一瞬左に体を残して右に曲がり、サラが下に降りれば体をふわりと浮かした後に着いていく。

 ダレルスキーは今日も慣性の赴くままに己の体を任せていた。

「ベッドで寝たい! ふかふかのシーツで、体を押しつけられたい! 疑似重力、恋しい!」

 サラが天井に手を着いて体をやはり前に押し出す。

 足で蹴るよりも勢いのないそれは軽くサラの体を前に押し出した。サラの移動の速度がにぶる。

 だが目的地は近いようだ。

 速度を落としたサラは再び足が床に近づいても強くは蹴らなかった。

 地上で歩くように足を駆けさせ、あえて速度を落として前に進む。

 廊下の一角で壁にぽっかりと穴が空いたような区画があった。曲がり角ではないようだ。その証拠に廊下の光とは別の薄い光が漏れている。

 それは人工の光と自然の光の差のようだ。その穴の先にあったのは展望用のキューポラだった。

「息抜きぐらい、いいわよね!」

 サラは一人声だかに訴えると、最後は反対側の壁に手を着いてキューポラへの吸い込まれていく。

「サラ船長か」

 そのサラを背中で迎える先客がキューポラには居た。

 キューポラから外に顔を向けたままで屈強な体躯を誇る背中がサラを迎える。

「あら、イワン大佐。居たの?」

 サラは壁を着いた勢いのままキューポラに入ってくるところだった。先客は居ないと高をくくっていたのか、サラは慌てて入り口の壁を掴み勢いを殺そうとする。

 サラが最後は両手で入り口のところにあった手すりを掴み、残った勢いを何とか止めようとしがみつく。体が両手の先を軸に反転し、サラはキューポラに背中から入っていく。

 そして逃し損なった勢いで両足が踊った。

 サラは足を折り曲げてイワンの背中を蹴ってしまいそうになるのを押しとどめた。

 だが慣性の赴くままに身を任せているナマケモノの背中の縫いぐるみはそうはいかなかった。

 サラが必死に体の勢いを殺している中、暢気に首からぶら下がりその尻尾の先まで気ままに揺れるに任せていた。

「失礼」

 ナマケモノの足とお尻が無遠慮にイワンの背中に当たり、サラがダレルスキーに代わって詫びた。

「その縫いぐるみは、何の役に立っているんだ?」

 イワンはそれでも振り返らない。

「失礼ね。ちゃんと、殺伐とした仕事場に、潤いをもたらしてくれてるわよ」

 サラが手すりを押すように手放しゆっくりとイワンの横に漂っていく。

「ふん……」

「人の顔も見ないなんて、もっと失礼よ。ああ、地球を見るのに夢中でしたか?」

 サラがイワンの横に並んだ。

 サラの顔を正面から明るい光が照らす。

「貴様はこんなところで、サボっていて大丈夫なのか? 今は事後処理で、船長の仕事は山積みのはずだが?」

 イワンはサラの言葉を否定しなかった。

 二人が居るキューポラは地球側に面していた。眼下に青い地球が浮かんでいる。その光で照らされたキューポラは、先までの廊下のような人工の灯りが点けられていなかった。

 人工の光の方がより明るいが、それでも地球の明るさを選んでいるのだろう。

「ええ、そうよ。無重量状態なんで、残念ながら山積みにはなりませんけど。しっちゃかめっちゃかに、そこら辺に浮かんでるわ。未解決の問題がね」

「ふん。だったら、こんなところで油を売ってる場合か?」

「油を売る? 何で、油を売るの? 翻訳が変なのかしら? よく分からないわ」

 サラが頭上を見上げる。キューポラの構造上そこも窓だったが、サラは翻訳機を兼ねたスピーカーを探したようだ。

「ふん。日本の言い回しだ。壷に入った油の最後の一滴まで売るには、立ち話でもしていないと時間がもたないらしい。転じて仕事もせずにサボっていることを言うらしいぞ」

「なるほど。でも、残念。やっぱり無重量状態だから、いくら待っても油は垂れてこないわよ」

「ただの言い回しだ。日本の古くからある言葉だ」

「ふーん。なんだかんだで、あなた他国に理解があるわね。少し感心するわ」

「ふん」

「『ふん』が多いわよ、イワン大佐」

「絶好の地球鑑賞の機会を邪魔されている。不機嫌で何が悪い」

 イワンがそう応えると、目だけ動かし眼下の地球をじっと見つめる。

「知ってるわよ。私だって分かって来たんだから。サボり仲間でしょ? それぐらい勘弁しなさいよ」

 サラは体ごと前に折り曲げてキューポラの全面のガラスに顔を押しつけんばかりに顔を寄せる。

「ふん」

「ほら、ダレルスキー。あれが私の家よ」

 サラが背中を揺すって地球を指差した。

 SSS8は今、大西洋を渡り切るところだった。ちょうどヨーロッパ大陸にさしかかり、その上を行く過ぎていこうとしている。

「見える訳がないだろう。フランスの片田舎の家など」

「失礼ね。片田舎なんて、何で分かるのよ?」

「ふん。田舎だろうが、都会だろうが。どうでもいい。この高度で識別できる程の豪邸でも持っていると言うのか?」

「そうね。万里の長城にでも、住もうかしら。まあ、気分よ。気分。ああでも、あそこに私のふかふかのベッドが……」

 指までくわえそうになりながらガラスにへばりつくサラの横で、

「……」

 イワンは地球の東にじっと無言で目を向けている。

「あなただって、故郷のベッドが恋しいんじゃないの?」

「ベッドから、出られない人間も居る……」

「あら、誰がご病気? ご家族の方?」

「……」

だんまり? 横に居るのに、あなたにはいつも距離を感じるわね。お国だって、こうして見れば地続きのお隣さんなのに」

 サラがイワンに習って東を見る。その視線の先にはユーラシア大陸が広がっていた。

 サラがしばらくロシアの地を遠く眺めてから隣の人物を見上げる。

 サラが視線を寄越して会話を促そうとするが、

「……」

 ロシアの大佐はその地の何処かのベッドの上を本当に見ているかのように揺るがなかった。

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