十七、不撓不屈! キグルミオン! 8
「状況は順調に現状回復中。そう考えていいのかな?」
宇宙空間に蓬髪めいた乱れ髪がふわふわと揺れた。
司令室のドアをその自由奔放の象徴のような髪が扉の端に当たりながらくぐる。
鴻池天禅が皆の視線を一斉に受けながら、無重力に身を浮かせて指令室に入って来た。
「センセー。今、バンドーと話していたところです。ライフラインと、通信関係を最優先に、目下復旧中ですわ」
その蓬髪の頭を、琥珀色のまぶたにすらりと長いまつげを並べた瞳が迎える。
サラがイスに腰掛けたまま首だけ鴻池に振り返り、目だけ相手に向けていた。体をこちらに向ける余裕はなかったらしい。まるでロケットに乗せられた衛星が、その下のエンジンを次々と切り捨てて打ち上げたかのようだ。その場に縛られる体と顔を残して、何とか目だけは鴻池に向けてサラが振り返る。
それでも鴻池を迎えようとした心の表れか、目だけが別の生き物のようにくるりと生き生きと動いた。
「そうか。それはよかった」
鴻池が一気に司令室の中まで飛んで来た。鴻池はサラの横にそのイスの取っ手を掴んで停止する。
サラの背中と背もたれの間からは、挟まれるがままのナマケモノの縫いぐるみの顔が突き出ていた。
「てか、センセー。今、動き回られるのは、保安上褒められたことじゃないんですけど」
「いいじゃないか。宇宙に上がった以上、危険は承知の上だよ。そうだな……宇宙に粒子加速器を作ると提言した時から、ここで死ぬ覚悟はできていたよ」
「センセー……そりゃ、センセーはこのプロジェクトの生みの親のお一人ですけど……」
「そうだよ。心中する覚悟ぐらいあるつもりさ。もっとも、ただで死んでやる気はないけどね」
「……」
サラが黙って鴻池の横顔を見つめる。
「それに救出プランと、そのプログラム組みは、若いのに任せたいからね。もうこの歳だと、新しい言語になじむのは大変なんだ。だから、ヒマでね。司令室に直接やって来たって訳だよ」
「ロシアの大佐に言わせると、今回の事件は内部犯の可能性が高いですわ。することがないからって、勝手に動き回られては困ります」
「はは、ごめんごめん。でも無事だったよ。こんなロートルは、相手も気にしないだろうさ。で? 板東くんは? 仲埜くんも無事だね? あと、教え子くん達も、連絡がまだ取れてないんだが?」
鴻池が司令室のモニタを見上げる。
そこには宇宙の星々が茨状発光体の不自然な光に当てられながらも輝いていた。
その一角に丸で囲まれたところがあり、そこに『target』の文字が浮かんでいた。
その丸は周囲と何も変わらないところを指し示している。そこが目標と印されていなければ、誰にも他とは区別できなかっただろう。
だがそこがヒトミと板東の居る宙域らしい。
実際サラがその丸を指差しながら鴻池に答えた。
「バンドーとミズ・ヒトミは、今ここです。救助を待ってもらっています」
「退屈してるだろうね。ウィグナーの友人くんは」
「そうでしょうね。早く助けてあげないと。それにお礼も直接言いたいですしね」
「教え子くんは? 美佳くんは?」
「そちらは――羨ましい限りですわ」
「何がだい?」
「こっちは、一体だけですもの」
サラが鴻池に答えながらクルーの一人に目で合図を送った。
サラの合図に応えてクルーがモニタを操作するとその画面が切り替わる。
サラは切り替わった画面にぷっと頬を膨らませてみせる。
そこには全身に縫いぐるみをまとった美佳と久遠の姿があった。
「暑そうだね。うらやましいかい?」
「ええ、とっても」
冗談半分に訊いた鴻池にサラが真剣に答えた。
「はは……」
「しかも、救出にヌイグルミオンを貸し出す為に、あのふわふわもこもこ天国を解除したいらしいんですって」
サラが両の頬をこれ以上は無理という程膨らませる。
「直接狙われた可能性があるのは、キグルミオンの司令室だろう? あながち遣り過ぎにも見えないが。解除しても大丈夫なのかい?」
「ええ。本来解除は、船長としてまだ許可できないんですが……あのふわふわでもこもこの羨ましい状況は、確かに嫉妬しますから……」
「いや、それは関係ないだろうね」
「まあ、代わりにいってくれる人が人ですから。あなたが縫いぐるみの代わりに、二人を守ってくれるわよね。ごつごつでむきむきの軍人さん」
サラがマイクに向かって陽気に呼びかけると、
「誰が、縫いぐるみの代わりだ! ロシアのミッションスペシャリストを掴まえて!」
怒鳴るような返事がすぐさま返って来た。