十六、明鏡止水! キグルミオン! 18
「推進剤……残量ゼロ……」
ヒトミがぐっと両の拳を握り、宇宙怪獣に向かって身構える。
キャラスーツの中で瞬いていた警告灯も、鳴り響いていた警報も同時に沈黙した。
ヒトミは再び自身が発する音だけに取り残させる。己の声と荒れた息、衣擦れの音。そして心音のみが聞こえる宇宙にヒトミは取り残される。
「まっ、いっか……静かな方が……集中できるし……」
ヒトミが身構えた先には宇宙怪獣がようやく体勢を整えているところだった。
宇宙怪獣はこの宇宙で意味があるのか、あの厚い胸板を上下させて息を整えている。
ヒトミも乱れる息を整えようとしてか、長く続く戦闘で自然と上下する肩を意識して大きく上下させた。
自身の意思とは関係なく乱れた呼吸のままに上下する肩。それをわざと上回っる勢いで上げ下げすることで、ヒトミは呼吸のリズムを取り戻そうとしているようだ。
「クォーク・グルーオン・プラズマも、撃てて後一発……」
宇宙怪獣が赤い目をぎろりにキグルミオンに向けてくる。プラズマに灼かれたアギトを外れんばかりに開いて、剥き出した牙を前に突き出し威嚇した。
地上なら空気を伝わってその咆哮が周囲に轟きヒトミの鼓膜と体を震わせただろう。
だがこの宇宙では宇宙怪獣は無音で牙を剥くだけだった。
「ゴメンだけど、聞こえないわ……」
ヒトミがキグルミオンの中で静かに瞳を閉じた。
今一番大きくヒトミの耳を打つのは、己の早鐘のような心臓の音だけだった。
ヒトミはスペース・スパイラル・スプリング8を背に、更にその後ろに地球を背にして静かに宇宙にたたずんだ。
戦闘中とは思えない落ち着きでヒトミは自然とまぶたを閉じる。
「……」
やがてヒトミがゆっくりとまぶたを開けた。
「久遠さんが、宇宙は歌うって言ってたわ……真空中なのに、歌っても意味があるのかな……伝わるのかな……」
ヒトミは一人呟く。それは宇宙怪獣に語りかけているのかもしれない。しかしやはりその声が届くのは己の耳だけだった。
いずれにせよヒトミは一人呟くことで息を整え、心を落ち着かせようとしているようだ。
ヒトミの肩はゆっくりとその上下の動きが収まっていく。
「てか科学者なのに、久遠さんもロマンチックだよね……いや、科学者だからかな……」
ヒトミは息を整えながら一人呟く。息が乱れ肩が揺れた視界が静まっていくのか、ヒトミはじっと宇宙怪獣の姿を見つめた。
そして茨状発光体に邪魔されながらも、それでも光を届けてくる星々にもヒトミは目をやる。
「こんなに沢山星があるんだもの。誰かいませんか? って、歌いたくもなるかな……確かに……」
宇宙怪獣が背後にする星々。キグルミオンの円な瞳がその輝きを写し出す。宇宙にちりばめられた星々の輝きは、そのままキグルミオンの無垢な瞳の輝きのように写り込む。
だがキグルミオンの瞳に映っているのは宇宙だけではなかった。
文字通り全天を覆うようにちりばめられた星々の象が、宇宙怪獣にそこだけ切り抜かれていた。
その凶悪なフォルムがぐにゃりと動いた。それと同時にその姿は急激に大きくなる。
「来るッ!」
宇宙怪獣がヒトミに襲いかかって来る。そのことを見て取ったヒトミが構えた右の拳を少し後ろに引いた。
その反動でヒトミの腰から下が宇宙に左斜め上に上がり始めた。
「よっと……」
ヒトミはその体勢を軽く左足を跳ねるように蹴ることで真っ直ぐに立て直す。
背中のバックパックに頼れない今のキグルミオン。宇宙の法則に則って崩れるそのキグルミオンの体を、ヒトミがやはり宇宙の法則に逆らわずに立て直してみせる。
「体当たりする気ね? 弾き飛ばされたら、推進剤のないこっちは――一巻の終わり!」
その間にも宇宙怪獣はヒトミの目の前にまで距離を詰めていた。
「だけど! 受けて立つ!」
ヒトミの視界いっぱいに宇宙怪獣の巨大な頭が迫りくる。
宇宙怪獣の額がキグルミオンの頭部にそのまま突き入れられた。
「――ッ!」
キグルミオンのふわふわでもこもこの頭部が大きくへこんで歪み、その宇宙怪獣の頭部と斜めに強引にずらされながら激突する。
だが頭部の柔らかさが功を奏したようだ。キグルミオンと宇宙怪獣はぶつかった瞬間にはお互いを弾き飛ばさず、ひとまずはめり込むことでその場に止まった。
「おりゃ!」
ヒトミがその隙に両手を伸ばす。ヒトミは突撃して来た宇宙怪獣の顔の横に己の頭部を流し込むと、その両手で相手の肩を掴んだ。
その瞬間に互いがぶつかった衝撃で二体の体が反対側に弾かれる。
「逃さない! こっちはもう推進剤がないの!」
ヒトミが宇宙怪獣の硬い皮膚にキグルミオンの指を食いませた。
互いが衝突した衝撃で反対方向に飛んでいこうとする運動エネルギーを、ヒトミが相手の方に食らいつくことで打ち消そうとした。
その強引な行動が二体の体をその場で横や縦、斜めにスピンさせる。
ヒトミは宇宙怪獣の方に指を食いませ、
「うおおおぉぉぉぉっ!」
激しい回転に身を任せながらもその指を離さず耐えた。