十六、明鏡止水! キグルミオン! 15
「ミズ・ヒトミは! まだなの! キグルミオンの姿は、まだ発見できないの!」
SSS8の司令室。無重力に身を任せて浮かせたサラ・イザベル・パトリシア・ンボマ船長は、自身の声量で後ろにひっくり返りそうな程声を張り上げた。
サラの背中にはがっしりとナマケモノのヌイグルミがしがみついていた。ナマケモノは空気を読んでいるのか、単にそれが常なのか。サラの背中から前足を首に回し、黙って揺れるがままに身を任せている。
ナマケモノのダレルスキーは、頭は自然とサラの肩から前に突き出し、背中から後ろ足と尾にかけては無重力に任せて浮かぶがままに身を浮かせる。
サラの漆黒の額に玉の汗が浮かんだ。それは苛立たしげに振られた首の動きですぐさま宙に浮いていった。
「動ける人は、全員動員して! おおよその位置は、伝えた通りよ!」
その浮いて離れていく玉の汗を、辺りに指示を飛ばす為に振られて揺れたサラの髪が打ち砕く。
汗は更に細かい粒となって宙に漂っていき、ゆっくりと周囲に拡散していく。
だがそれに対する返答は鈍かった。
「く……」
サラの指示は、その粒となった汗よりももどかしく、ゆっくりとしか周囲に伝わらないようだ。
いや、指示そのものは届いていた。船長の指示を周囲のミッション・スペシャリスト達が矢継ぎ早に方々の部署に伝達していた。ある者はマイクを握ったままずっと呼びかけ続け、ある者はイヤホンにくっつけんばかりに耳を傾けていた。
だがどこからも返答がない。皆が一様に時折サラに振り返っては首を横に振る。
「まだ、誰もキグルミオンを発見していないのね? 分かったわ! 目視なんて無理だって? 自分の目以外に頼るものなんてないの! とにかく頑張って!」
サラはもどかしい現状に叱咤することしかできない。
「ぐ……宇宙空間に浮かぶ、自らは発光しないキグルミオンと宇宙怪獣……キグルミオンはエキゾチック・ハドロンの照射を受けて、少しは輝いているはずだけど……この距離では、あの大きさでも豆粒みたいなもののはず……」
サラが悔しげに下唇を噛んだ。無重力に浮かぶ身では、はやる気持ちの表しどころはそこしかないようだ。サラは自身の前歯で、ぐっと血が出そうになる程唇を噛み締める。
そしてその噛み締めた唇で、己も口にしそうになる言葉を呑み込んだのだろう。
サラは自身を安心させる為にか、己の肩に突き出ていたダレルスキーの鼻先を軽く撫でた。
ダレルスキーはされるがままで特に反応しなかった。
「無理は承知! 見つけてあげて! 正確な位置が分からないと、エキゾチック・ハドロンが打ち込めないわ! 宇宙怪獣に止めが刺せない! ううん! ミズ・ヒトミに、一人じゃないと伝えられない!」
サラは自身の焦りと不安を紛らわす為にか、ダレルスキーの頭を最後に大きく突き放すように撫でると一人指示を飛ばす。
だが司令室のクルーは皆が深刻な顔で首を横に振るだけだった。
「ロストした時点で、キグルミオンはエキゾチック・ハドロンとの反応済みよ! 小出しにして四、五発のプラズマを出すだけの、反応があったはずだわ! 一気に攻撃するにしろ、少しずつ攻撃するするにしろ! プラズマを出したら閃光を発するはずよ! それを見つけてあげて!」
希望を失わないようにとか、自ら絶望しない為にか。サラは続けざまに指示を出す。
だがその内容は同じものばかりで、内容も頑張れという以外の何ものでもなかった。
サラの願いのこもった指示は、横に振られたクルーの首の動きに霧散させられる。
「困っているようだな。サラ船長――」
そんなサラの頭上に低い男の声が落とされた。
それは翻訳機で翻訳さていない地声のフランス語で再生されていた。
「悔しいけど、ダーよ。イワン大佐」
サラが目だけ頭上を見上げてフランス語で応える。
「発音が違うな。да――だ。サラ船長」
「あらそう。あなたのフランス語だって、どっかおかしいわよ。てか、私のロシア語の発音の矯正なんて後回し。今あなたの厭味に構っているヒマはないの」
「こっちだって、命を預けている。厭味の為に、貴重な時間を潰しに来た訳ではない。今だって、時間を惜しんで、移動しながら通信している」
地声をそのまま拾っているイワンの声の背後で、何か衣擦れのような物音が聞こえている。衣擦れの音に混じって時折何かがぶつかり合っている音も聞こえる。それは壁や床を蹴って、無重力で先を急いでいる音だったようだ。
「じゃあ何?」
サラが顔ごと頭上を見上げた。そこには埋め込まれたスピーカしかないが、サラは直接顔を向けてしまう程興味を引かれたようだ。
「バンドー大尉から、協力要請があった。もちろん協力する。それと、目視による確認にも参加しよう」
「バンドーから? ん? 目視の『確認にも』? バンドーの協力要請って、キグルミオンの位置の視認のことじゃないの?」
「やはり聞いてないか? 時間がないからな。まあいい。歩哨で鍛えた俺の目で、着ぐるみは見つけてやる。ただロシアモジュールからでは、見える角度までにいくのに時間がかかる。大尉に伝えておけ。例のものは、我々のクルーが送り届けると」
「『例のもの』って何よ?」
「大尉に聞け。ふふ。ヤツはやはり大尉だな。危険を承知の任務に就く軍人だ。切るぞ」
一際大きく壁か床を蹴った音とともにイワンの通信が一方的に切れた。
「もう! 勝手やって! バンドー! 何する気?」
サラがマイクに向かって怒鳴り上げた。
バンドーからの答えはすぐに返ってきた。
そしてこちらは翻訳されたフランス語で返ってきた答えに、
「そんな危険なこと! 許可できる訳ないでしょ!」
サラが頭を抱えるかきむしり、背中のナマケモノがその動きに合わせて左右に揺れた。
改訂 202.10.05




