十六、明鏡止水! キグルミオン! 9
「このこのこの……」
ヒトミが背中のバックパックを細かく噴かせる。細かく噴かせた炎でヒトミは右に左にと僅かに体を傾けると、キグルミオンの瞳が周囲にせわしないまでの動きで辺りを見回した。
だがキグルミオンがいくらその瞳を巡らせても、目の届く範囲に宇宙怪獣の姿はない。
「何処よ……かかって来なさいよ……」
ヒトミが無駄に火を噴く推進剤を背に呟き続けると、
「――ッ!」
キグルミオンのキャラスーツの中で深紅の閃光が瞬く。
それは警告を示すシグナルだった。
「推進剤……このペースだと、帰還分がなくなるの……」
ヒトミは目の前に浮かぶように表示された警告文に目を見開く。
そこには推進剤に関しての警告文が浮いている。ヒトミが読み上げた通り、その文面は帰還分の推進剤を維持する為の警告が踊っていた。このままで帰還できなくなるのと、その短い警告文が告げている。
「く……」
ヒトミが呻くように声を漏らすとその背中から推進剤の火が消えた。
再びの沈黙が訪れる。
自分以外のものが音を発することのない世界にヒトミはもう一度取り残される。
「ぐ……」
ヒトミはもう一度推進剤を左右交互に噴射させる。
左右に体を揺らしたヒトミ。結局は元の位置に体が戻る。
推進剤の噴射音がキグルミオンの中で小さく響き、続いて再び警告のシグナルがなった。
そしてまた沈黙が訪れる。
「はぁ……はぁ……」
ヒトミは荒い息を吐く。
「どうする……推進剤がある内に、一度SSS8に戻る? でも、宇宙怪獣が……」
ヒトミがやはり声に出して呟く。
自分の声だけが響くキグルミオンの中。ヒトミは応えてくれる者を探すように、やはり周囲を見回した。
だが返事はおろか、一切の音が返ってこない。
「こわい……」
ヒトミがぽつりと呟く。
「――ッ!」
そして自身の呟きに驚いたように目を見開いた。
「今、私……怖いって言った……」
ヒトミが呆然と続ける。
「そう……宇宙って怖いんだ……」
ヒトミが目が戦くように震える。
動悸が激しいのか、その息は荒く、少し呟くだけで大きく息を吐いた。
「逃げ帰る? SSS8に……地球に……」
ヒトミが推進剤を軽く噴かせ体を反転させた。
推進剤の力を借りて反転するヒトミ。キグルミオンの体がちょうど反対側に振り返り、SSS8と地球を正面からとらえた。
帰還の為の推進力であったそれは、警告のシグナルを伴わなかった。
ノズルからの噴射音で僅かに震えながらキグルミオンが宇宙に背中を向ける。
「ダメ……私が逃げたら……宇宙怪獣が……」
ヒトミの背中で再び推進剤が火を噴いた。
赤いシグナルがもう一度瞬く。
ヒトミは真っ赤に照らされながら再度宇宙に向き合った。
「……」
ヒトミを迎えるのは光が一年で進む速さで測るような星々の数々。
その煌めきがヒトミを迎える。
何処を見ても吸い込まれそうな深淵が、宇宙の向こうには広がっていた。
対してそこに向き合うのは、宇宙にぽつんと浮かぶヒトミ、SSS8。そして地球。
「……」
ヒトミがあらためて宇宙を見上げた。
キグルミオンの巨体がぽつんと浮かび宇宙を見上げる。
「宇宙……こんなところで、生きてるの……私……」
ヒトミが大きく息を吸い込み、
「はぁ……」
そして静かに一つ息を吐いた。
それは先までの荒いものではなかった。
長くはあるが、ゆっくりとヒトミは息を吐く。
「はぁはぁ……」
ヒトミが今度も息を吐く。それは力強いまでにヒトミのノド元を通り過ぎた。
「はぁはぁはぁ……」
ヒトミは息を吐くと同時に己の胸元を押さえた。
ヒトミが置いた掌の下で、肺が大きく上下する。
そしてそれと同時に手の平の下で肺以外のものも大きく動く。ヒトミの掌にその振動が伝わりその掌がリズミカルに震えた。
ヒトミの動きをそのまま写し込むキグルミオンのアクストーツ。宇宙にちっぽけに浮かぶ巨大な着ぐるみが胸に手を当てて宇宙に対峙する。
やはりその手は細かくリズミカルに震えていた。
「……」
ヒトミの掌は息を吐き終えても動き続ける。
上下に膨らんだ肺とは別の器官の動きに合わせて動くそれは、ヒトミの掌の下から小さな音を立てて動いていた。
「宇宙で……生きてるんだ、私……」
ヒトミは脈打つ己の心臓に己の手を当てながら静かに呟いた。