十六、明鏡止水! キグルミオン! 8
「く……」
ヒトミが呻く。宇宙怪獣の姿はない。それでもヒトミは何かに攻撃されたかのように声を漏らした。
ヒトミの首が左右に次々と巡らされる。一瞬たりとも落ち着かずそのキグルミオンのプラスチック然とした目を方々に向ける。
キグルミオンとヒトミの瞳に映るのは、何処までも続く深淵の底すら見えない宇宙だった。
「ふぅ……」
ヒトミが荒い息を漏らす。
ヒトミの目に映る宇宙。何処を見ても星々が続くだけだ。
茨状発光体でうっすらと照らされた宇宙でも、宇宙の宏大さ深遠さは変わらない。手の届くような範囲には何も寄る辺と呼べるようなものはない。
「みんな……」
その中で唯一変化があるのが、己が背にしているスペース・スパイラル・スプリング8とその向こうに見える地球の姿だけだった。
だがSSS8も地球もただそこにたたずむだけで、何も応えてはくれない。変化らしい変化はなく、ただひたすらに無言でそこにあるだけだった。
「この……」
ヒトミはもう一度周囲を見回す。今度は何かを聞こうとしたのか、左右の耳を交互にSSS8に向けた。
しかしヒトミがいくら首を巡らせようとも、そこにはただ真空の宇宙が広がるだけだ。何処までも続く無音の世界。聞こえてくるのは己の息づかいのみ。
通信が遮断されたヒトミは、宇宙で音という音からも閉ざされていた。
「はぁ……はぁ……」
聞こえてくるのは己の息づかいのみ。
普段は埋没する衣擦れの音すら、大きくキグルミオンのキャラスーツの中で響く。
「宇宙怪獣は……」
ヒトミが少しでも自分以外の存在を探そうとしたのか、今度は宇宙怪獣の姿を求めて今度も首を左右に巡らす。
宇宙怪獣の姿は見えない。
ヒトミに激突した宇宙怪獣はその勢いで一度ヒトミから離れたようだ。
一人だ――
無音の宇宙がそのことをヒトミに告げる。
「どこ……」
ヒトミがいくら首をせわしなく動かそうとも宇宙怪獣の姿は何処にも見えない。
宇宙怪獣の姿を求めて宇宙に目を向けるも、そこにはやはり手の届かない星々が無言でたたずむだけだった。
宇宙怪獣すら居ない宇宙。
ヒトミはそこに取り残される。
「体勢を、立て直して……」
一人の世界では自分の声だけしか響いてこない。
「宇宙怪獣に気をつけて……私にぶつかった後、もしかしたら、衛星軌道にのったのかも……だとしたら、一周してからもう一度襲ってくるはず……でも、何分後……私に計算できる訳ないか……ああ……皆からの通信が、いつ回復してもいいように……ちゃんと耳も集中して……」
ヒトミは自然と口数が多くなる。
わざと一人呟くことで、自信の世界に音をあてがおうとしたようだ。
「一度SSS8に戻った方が……でも、宇宙怪獣がいつもう一度攻撃を仕掛けてくるか分からない……皆は私が守らないと……」
ヒトミは誰の返事も返ってこない世界で、一人呟きながら背中のバックパックに火を噴かせた。
キグルミオンの巨体が、それでSSS8に対して水平に並んだ。
SSS8を背にヒトミが宇宙に向き合う。
地球と人工衛星加速器を背にしたヒトミの前には、宇宙だけが広がっていた。
何処までも広がる星の海に、ヒトミが一人で向き合う。
独りだ――
ヒトミにそのことを思い知らせるように、何処までも広がる宇宙は遠く、星々はただそこにあるだけで何も応えない。
ヒトミはぽつんと宇宙に独り漂う。
「パックパックはちゃんと動いてる……うん……大丈夫……」
ヒトミが更にバックパックの姿勢制御用の推進剤を噴射させた。
一度体勢を整えたはずのヒトミが、推進剤を更に噴射させた。
右に左に。上に下に。一度噴出した方向と、正反対の方向にすぐさま噴射される推進剤。
ヒトミの体は無駄に左右と前後に動き結局同じ位置に戻ってくる。
「うん……大丈夫よ……」
自分以外の音を聞きたかったのか、ヒトミは何度も推進剤を噴出させた。
「大丈夫……」
無駄に吹き出される推進剤の炎の音だけが、ヒトミの言葉に応える。
「大丈夫……」
孤独に負けまいとしてか、ヒトミは何度も同じセリフを口にする。
推進剤はその間途切れることなく噴き続けた。
「大丈夫よ、私……しっかりして……通信なんて、すぐ回復するから……美佳も、久遠さんも、隊長も……すぐに声をかけてくれるから……」
ヒトミは助けを求めるモールス信号のように細かく推進剤を吹き出し続けるが、
「……」
そのヒトミに応えるものはこの宇宙には今何処にも居なかった。