十六、明鏡止水! キグルミオン! 1
十六、明鏡止水! キグルミオン!
「キグルミオン……中の人の格納準備、オッケー……」
制服姿で宙を舞う宇宙怪獣対策機構の政治的オペレータ――須藤美佳が、手元の端末に指を走らせた。
その指は重力の縛りから解き放たれたせいか、地上のそれよりも軽快にモニタの上を駆ける。
美佳が宙に身を舞わせるのは、待機中のキグルミオンのアクトスーツをガラスの向こうに見る指令室だ。
美佳がいつもの眠たげな半目でモニタとキグルミオンを同時に見る。
キグルミオンはハンガーに吊るされ、それでいて無重力に身を任せてだらりと垂れていた。四肢と耳が無重力でふわふわと揺れるが、中にまだ誰も入っていないのはその弛緩し切った様子からすぐに分かった。
美佳の周りではキグルミオンとは打って変わって元気に飛び回る縫いぐるみの姿が見える。多数の縫いぐるみが四肢をばたつかせて、司令室を所狭しと浮き上がっては方々に散っていっていた。
縫いぐるみ達はてんでバラバラに四方八方に浮かびながら、それでいて一体一体が真っ直ぐ壁まで飛んでいく。
ヌイグルミオンは辿り着いた先の壁でくるりと身を翻すと、その壁のパネルに全身で楽しげにぶつかっていった。
ヌイグルミオンの体当たりや蹴りで壁のスイッチが押される。その度にモニタが切り替わり、ガラスの向こうで光が瞬く。
「美佳ちゃん。準備は?」
白衣を宇宙で翻す実戦物理学者――桐山久遠がその光に自慢の吊り目を光らせる。久遠の吊り目に数式が浮かんでは消えていく。久遠は手元の数式に目を光らせながら、それでいて自身はガラスの向こうの光に目を光らせる。
「順調……」
半目をこちらも光に輝かせながら美佳が答えた。
美佳の周囲を壁のパネルを体当たりで操作する縫いぐるみが、自らが作り出した反動で宙に跳ね返りながら楽しげに次のスイッチに向かっていっていた。
「そう、オッケ。てか、美佳ちゃん。宇宙でスカートで浮かばないの」
「だって、授業の途中で警報来たし……」
「スカート短いんだし、見えちゃうわよ」
「大丈夫……ヌイグルミオン達が、絶妙なタイミングで割って入ってくれる……」
美佳が振り返るとちょうどコアラの縫いぐるみがその背中を漂っているところだった。
頬に縫い傷をペンで描き込まれたコアラが、美佳に応えて手を振って応える。
宇宙でも愛くるしい姿を見えせるコアラのヌイグルミオン――ユカリスキーが、楽しげに手を振って美佳のお尻の向こうに消えていく。
ちょうどその向こうで通路とつながるドアが不意に開いた。
「状況は?」
開いたドアの光の矩形をほぼ埋め尽くして、大男が身を屈めながら入って来た。
宇宙でも存分にその威圧感を放つ宇宙怪獣対策機構の隊長と呼ばれる男――板東士朗が、ぬっと身をドアから躍り込ませてくる。
「ほら……大丈夫……」
美佳がちょうど己と板東の間に入ったユカリスキーに自慢げに半目を細めてみせる。
「あっそ」
「何の話だ?」
板東が一蹴りでガラスまで飛んで来た。板東が着地するに合わせてその足ともと金属同士がこすれるカチャカチャとして音がした。
険しい視線を真っ直ぐ前に向けて飛んで来た板東の周りで、縫いぐるみ達が楽しげに飛び回り、時にその板東の顔にぶつかった。
ぶつかった縫いぐるみ達は悪びれる様子も見せず、板東の頭を跳び箱代わりに飛び越えてやはり楽しげに飛んでいく。
「何でもありませんわ、隊長」
「状況……キグルミオンのアクススーツ準備完了……中の人、キャラスーツに着替え中……」
「まだか? 遅いぞ!」
板東がガラスの上部に向かって怒鳴った。そこにマイクでもあったのか、板東の声はガラスの向こうに何倍もの大きさになって再生される。
「ああ! 今来た人に、言われたくないですよ!」
その板東の声に応えて、ガラスの向こうからくぐもった少女の声が返ってくる。
「その声の様子だと、キャラスーツには入ってるんだな? 早くしろ」
「だから! 最短で着替えて、今ここ――ってヤツですよ!」
やはりくぐもった声色で応えた少女の声。その返事とともに格納庫の下から猫の着ぐるみが飛び出して来た。
猫の着ぐるみは真っ直ぐ全く同じ姿を見るした巨大着ぐるみの背中に向かって浮かび上がっていく。
「それでも遅い!」
「ぶーぶー! 138億年も昔の宇宙の深淵から! 慌てて現実世界に戻って来たんですってば!」
キグルミオンのアクトスーツの背中のリニアチャックが音を立てて開いた。
バックパックを背負っていたアクトスーツの背中が、その上部だけを僅かに開かせる。
「とうっ!」
くぐもった気合いとともにキャラスーツは、そのバックパックを最後の足場にして蹴るとチャックの向こうへと消えた。
「――ッ!」
その次の瞬間にアクトスーツの弛緩していた四肢と耳がピンと力が入る。
同時に上げられた顔では目が本物の生き物ののように力強い光を放つ。
何より全身に生命がみなぎるような震えが走った。
「キグルミオン、エンタングルメント良好!」
久遠がその様子に吊り目を光らせると、
「了解……キグルミオン、発進準備……」
美佳が久遠の声に応えて情報端末を軽快なリズムで指で叩く。
美佳の操作に合わせてキグルミオンの体が反転し、その向こうで壁が大きく二つに割れていった。キグルミオンを壁の向こうはもう宇宙だった。
茨上発光帯の光でほのかに明るい宇宙が、壁の向こうに広がっていく。
「よし、宇宙怪獣を倒したら、体育の単位に数えてやる!」
「ホントですか、隊長!」
ハンガーがキグルミオンの体を離した。
「ああ、男に二言はない!」
「よっしゃー! 頑張りがいが来た! うおりゃあああぁぁっ!」
キグルミオンの中の人――仲埜瞳が、裂帛の気合いとともにアクトスーツごと宇宙に飛び出した。
「ヒトミ……いいの……」
宇宙に飛び込んでいくヒトミの背中を美佳の声が追う。
「何が? 美佳?」
「その分、体育授業が減ると思うけど……」
ぽつりと告げた美佳のその一言に、
「ああ! やっぱり! 単位はいいです!」
ヒトミが絶叫を上げながら宇宙の向こうに消えていった。