十五、波瀾万丈! キグルミオン! 17
「うおおおおぉぉぉぉっ!」
ヒトミが奇声を発しながら、トレッドミルの上を駆けた。
ヒトミの体を押さえるロープが激しく揺れる。トレッドミルの上を同じ場所で駆けるヒトミ。その体が無重力で浮いていかないようにつけたロープが、ヒトミの感情を代弁するように激しく揺れた。
SSS8のトレーニングルーム。ヒトミの奇声に周りの皆が一瞬振り返る。
だがヒトミの懸命ではあるが、悪意なく歯を食いしばった表情を見て、皆が苦笑とともに自らのトレーニングに戻った。
「コンチクショウ! 体育だけが、生き甲斐よ!」
ヒトミは一瞬集めた視線を気にする様子も見せず、そのまま更に足下を加速する。
「ヒトミ……元気ね……いや、やけくそか……」
その横では両肩を前に突き出しだらりと両腕を垂らして走る美佳の姿があった。
如何にも気重といった感じに肩から両腕を垂らした美佳は、いつも以上に眠たげに半目を開けていた。足下もヒザから下だけが動いているようだった。前にかがむ体勢と、そのかかとだけが浮き上がる疲れ切った姿勢で、かろうじて後ろに蹴り出して前に進む力を生み出している。
半ばやけくそなヒトミとは対照的なやる気の無さで美佳がトレッドミルの上を駆けていた。
「だって! 体育ぐらい、楽しまないと! 今日も、あんな調子だったじゃない!」
「やっぱり、やけくそだったのね……まあ、気持ちは分かるけど……」
「そうよ! 宇宙開闢138億年! そのマイナス何十乗秒後で、もうお腹いっぱい! ダイエットよ! 頭空っぽにしないと、もう何も入らないからね! 体、動かすわよ!」
「はいはい……」
「美佳もほら! 体育まで、そんな感じじゃ! 体が保たないよ!」
「ぐふぅ……いくら、最新物理論の授業で、数式漬けにされても……だからって、体育の授業が好きって訳じゃない……」
美佳が今のにも止まりそうな足をかろうじて駆けさせる。
こちらは美佳の体に取り付けられたロープは、本人の本心通りにふわふわとやる気無さげに揺れた。
「ダメよ……美佳ちゃん……体育もちゃんと、受けないと……」
その美佳の隣では、久遠が肩で息をしながらトレッドミルの上を駆けていた。珍しく白衣ではなくジャージ姿の久遠は、息も絶え絶えといった様子で足を運んでいた。
こちらはその身についたロープで、かろうじてその場に立っているような有様だった。
「博士……大丈夫……」
「美佳ちゃん……しんどくっても、ほら……私みたいに、ちゃんと走らないと……」
久遠が今にも止まりそうな足で体を前に運ぼうとしていた。
「いや、博士……ちゃんと走れてないし……」
「分かってるわ、美佳ちゃん……学者組だから、寝台特急が利用できると……ぜぇぜぇ……思ってたんだけど……急に割り込んだからね……予約が取れないのよ……だからやっぱり、カルシウム抜けを防ぐ為に……運動が……ぜはぁ……ある程度、必要なのよね……」
久遠が額から血の気を退かせながら応える。
「ある程度の運動に……なってない、博士……」
「言わないで、美佳ちゃん……私も学者の端くれ……宇宙に来て、カルシウム抜け対策を怠りましたとかは……死んでも嫌なのよ……」
そう口にしつつも久遠の足下は今にも止まりそうにそのスピードが落ちてきていた。
「はははっ! 久遠さん! まだ何キロも走ってませんよ! そんなんじゃ! その歳で骨粗しょう症ですよ!」
美佳を挟んだ向こう側から一切速度が落ちないヒトミが久遠に振り返る。
「ヒトミちゃん……元気ね……」
「あれは、やり過ぎのはず……昨日も、フライトサージャンの先生に一言言われてた……」
「プーラン博士に? そりょそうよね……今日は私が、フライトサージャンだからね……ヒトミちゃん、もうちょっとペース落としなさい……」
「私は、ほら! あれですよ! カルシウム抜けを防ぐ目的以上に! 体鍛えとかないといけない身ですから! これぐらいが、ちょうどいいですよ!」
「それはそうだけどね……そんな調子じゃ、午後の授業は居眠りしちゃうわよ、ヒトミちゃん……」
久遠の足が更に鈍る。
「――ッ! その手があったか! うおおおぉぉぉりゃああぁぁ!」
ヒトミが更に足下を加速させた。
「元気ね、ヒトミ……」
「そうね、美佳ちゃん……まあ、居眠りは許さないけど……」
反対に久遠はもうほとんど歩いているような状態だった。
ふらふらと目の下に隈を作りながら歩を進める久遠を横目に見て、
「カルシウムの前に、魂が抜けそう……博士……」
美佳が似たような足取りを何とか前に進めていた。