十五、波瀾万丈! キグルミオン! 15
「たく。呆れるわね、あなた達は。トレーニングぐらい、張り合わずにできないの?」
サラがトレッドミルの上で走りながら、言葉通りの態度を示そうとしたのか大きく肩を落とした。
その肩にはナマケモノのヌイグルミが、その激しく上下する様子にもかかわらずしがみついていた。ナマケモノのダレルスキーがサラの肩につかまり、その背中で暢気に揺れる。
怠ける為にはどんなことがあってもその手を離さない。そんな怠けに対する相反する努力が、その揺れる体としっかりとつかまった手に表れていた。
「別に。突っかけてくるのは、いつも向こうだ」
サラに答えたのは坂東だった。
坂東も同じくトレッドミルの上で肩を上下させていた。
その額から汗が飛び散り、その細かい雫が無重力にふわりと浮いて漂っていく。
坂東の足下から、やはりかちゃかちゃと金属のこすれる音が響いてくる。
「そうね。ちょっかい出すだけ、ちょっかい出して。さっさと居なくなりましたけどね、ロシアの大佐様は」
サラがちらりと脇に視線をずらす。サラが見た先にはトレーニングルームが広がっていた。
サラと坂東以外のクルーが、それぞれの運動に勤しんでいた。
サラの視線がトレーニングルーム全体を見回し、その出入り口までざっと周囲を見回す。
だがそこにはもう坂東と互角の体躯を誇る人物の姿はなかった。
「そもそも。ロシアモジュールからなら、もっと近いところに、別のトレーニングルームがあったと思うんだけど。ねぇ、バンドー」
「気になるのだろうな。色々と」
「キグルミオンのこと?」
「それもあるな。前も、わざわざこちらに来て、ちょっかいを出されたからな。まあ今は、カナダアーム9の事故のことだろう」
「ふん……自分が一番知ってるんじゃないの?」
サラが鼻の頭にシワを寄せて気色ばむ。
「予断はよくないな、船長」
「そうね。船長だものね。皆様、平等に扱わないとね。平等に疑わせてもらうわ」
「なら、日本の自作自演もありだな」
サラの言いように坂東が苦笑する。
坂東の額の汗は止まることを知らない。カルシウム抜け防止の運動以上に、坂東は体を鍛える為に走っているようだ。
「そうね。冗談じゃ済まない発想ね。事故に遭ったのは、日本の三人。それを救ったのもの、やっぱり日本の着ぐるみだものね」
「そうだな」
「そうよ。それにしても、狙われたのは乗務員の方かしら? まずは、交代要員のミッションスペシャリストね。この人は宇宙飛行士という得難い人材ではあるけど、命を狙われる程の政治的な背景はなさそうね。何より地球的な損失を考えれば、宇宙怪獣に唯一有効な手を打てている若手科学者のミズ・久遠かしら。地球的な損失を出すことが、犯人のメリットになるならね。まあ、政治的な背景といえば、日本の大物政治家夫婦の愛娘のミズ・美佳もそうね。でも彼女自身が有能なことを考えても、政治家の娘として命を狙うメリットは少なそうなのよね」
「乗務員の命を狙ったのなら、一番はやはり桐山博士か?」
「人が標的だったのなら、普通に考えてそうでしょう。ましてや桐山博士は、世界的企業の後継者候補でもあるのよ。あなたの方が詳しいでしょうけど」
「いや、あまり詳しくない」
「暢気ね、バンドー。彼女の実家の協力がなかったら、私達は今、ここでこんなに新鮮な空気すら吸ってないかもなのよ。あなたが今、盛大に飛び散らしている汗も、処理されずに、延々と宇宙船内を漂ってるかもなのよ。この科学の叡智を集めたSSS8は、世界中の科学薬品メーカや科学プラントメーカの技術の結晶でもあるからね。その世界的なメーカの中で、一番積極的にSSS8への協力を申し出たのが、ミズ・久遠の会社グループよ。もっと言えば、会長のお婆様らしいけど。ともかく、人を狙ったというのも、予断かもしれないわ。STVとカナダアーム9。この二つ。もしくは両方のシステムの信頼性を貶めて、自国や自企業の製品を納入させる為なのかも知れないわ」
「世知辛い話だな。だが、そこまでしないといけないのか? 商品の売り込みに」
「ISSの時代から、綿々と信頼されてきた技術だからね。新参者には大きな壁よ。カナダアーム9は、それこそカナダのお家芸だし。STVが使う、ランデブー・ドッキング技術とノウハウは、日本の虎の子でしょ?」
「さあな」
「もう。ランデブー・ドッキングには、高度に繊細な姿勢制御が必要なの。ランデブーはまず、相手と全く同じ速度で飛ぶ必要があるの。これは相対的に静止する為よ。その為には秒速7・7キロメートルで動いている宇宙船に、全く同じ速度で並走する必要があるわ。この宇宙でよ。で、相対的に止まっている相手を、ロボットアームでつかまえてもらってドッキングするの。言うが易しだけど、実際はかなり高度な技術なの。だから、この技術が出てくる前まで採用されていたのが、ハード・ドッキング方式。これは簡単に言うと、ドカーンと後ろからぶつかりにいって、ハッチをその衝撃でくっつける技術だわ。これはロシアが、宇宙開発の黎明期に確立した技術。そして……ランデブー・ドッキングによって、過去の遺物とされてしまった技術でもあるわ……どう考えても、ランデブー・ドッキング方式の方が、安全だもの……民間が宇宙輸送の主役になってからは、ロボットアームでつかまえる方式に主流は移ってしまったわ……」
サラは最後はちらりと横目で探るように坂東を見た。
「なるほど……ロシアの大佐様が、突っかかってくる訳だ……」
坂東は気にした様子も見せずにトレッドミルの上を駆けていた。
「そうね。人類同士が争ってる場合じゃないのにね……」
サラが前を向き直りトレッドミルを駆ける足を少し早めた。
サラは大きく息を吸い、先に自身が指摘した新鮮な空気を肺一杯に送り込む。
その額から汗が飛び散り、ふわりと漂うとつかまれたように空気の流れに乗った。壁に設置されていた空調のダクトの入り口から、空気を吸い込む風が起こされていた。
サラの額を離れた汗は人工の風に乗って、ダクトに吸い込まれ壁の向こうに消えていった。
改訂 2025.09.29
作中ランデブー・ドッキングに関しましては、以下で紹介されているドキュメンタリーとWebサイトを参考にさせていただきました。
ドキュメンタリー
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2014054847SC000/index.html?capid=mail_140425_c001_B_21
Webサイト
http://www.soranokai.jp/pages/htv_hyoushou.html
http://iss.jaxa.jp/iss_faq/iss/




