十五、波瀾万丈! キグルミオン! 9
「どうだ?」
壁際のモニタに鋭い眼光が写り込んだ。
問いかけられたその言葉は力強いロシア語だった。
言葉に込められた期待がその視線と声に表れていたようだ。
イワン・アレクセイヴィッチ・ジターノフがふわりと浮かんだ身で、壁際のモニタを覗き込んでいる。
ロシアの屈強な軍人であり、一流のミッションスペシャリストでもあるイワン・アレクセイヴィッチ・ジターノフ。その両方の職業故か、この大佐は穴でも空くかのような鋭い視線をモニタに送った。
そのイワンの背に翻るのは三色ラインの旗。白、青、赤の順に三本の線が並ぶロシア国旗が壁に掲げられていた。
四隅を壁に止められたそれは、ゆらゆらと通気の風にだけに揺れている。
壁や設備には全てロシア語が表示されていた。イワンはロシアモジュールの施設にいるようだ。
モニタには一部の隙もなく軍服に身を固めた軍人が写ってる。後方勤務の女性士官のようだ。
「残念ながら、目新しいことは。ましてや、そちらの設備で調べたデータですから」
勿論相手からの返事もロシア語だ。
そしてそのモニタには『шифр』の文字が浮かぶ。
イワンは暗号通信で地上と交信していた。
「そうか。資料としては、おそらく今まで同じか。何かあればと思ったが……いや、未登録のモノが手に入った。まずはぎょう幸。そう思おう」
イワンはやはりロシア語で応える。
「何かあったら、頼む」
イワンが通信を切ろうとしてかモニタに指を伸ばした。
「このまま、おつなぎしましょうか?」
だがイワンの指がモニタに伸び切る前に、相手の女性士官がにこりと微笑んで申し出た。
「……」
イワンの手がぴくりと止まる。
「最近、連絡とってらっしゃらないとお聞きしてますわ。せっかく軍病院で、療養できているのに。もっと連絡なさればいいのに」
「いや、私用や私情は持ち込まん。私的な通信は、与えられたプライベートの時間で行う」
「それさえも割いて、軍務をこなしているように思えましたもので」
「ただでさえ、コネで最新設備のある軍病院に押し込んだんだ。その分は祖国に尽くさんとな」
「それとこれとは別と思いますが?」
「この身は血の一滴も、肉の一辺も祖国に捧げた身だ。今は国の為にできることに、全力を尽くす。たとえどんな汚れ仕事でもだ」
イワンは応えながら、その言葉通りの決意の表れかぐっと拳を握る。
それと同時唇も固く結んだ。自然と力の入ったそれは真一文字に結ばれる。
「たとえばロボットアームに細工をするような仕事でも――ですか?」
「たとえが辛辣だな。まだ何処の仕業か分かっていない。宇宙に身を置く身としては、笑えないジョークだな」
固く結んだ口のままイワンは口を開く。
「失礼しました。ただ、やはり人為的なものとお考えですか?」
「そうだ、たとえあれが、我が祖国の仕業でも驚かん」
「大佐とは、別系統の工作だと?」
「別の国かもしれんがな。まあ、あれをただの事故だと思うお人好しは、着ぐるみの中身だけだろうな」
イワンの口元が不意にふっと緩んだ。
「あら? 珍しい。大佐が相手を褒めるなんて」
「褒めてなどいない」
イワンがぴくりと眉根を痙攣させた。
それと同時に口元を結び直す。だが何処かそれはわざとらしい。
力は入っているが先と違い微妙に歪んでいる。意識し余計な力が入っているようだ。
「あら。そうですか?」
女性士官が今度もにっこりと微笑む。
「そうだ」
イワンがムキになったように答える。
「分かりました。ですが、ご家族へのご連絡は、忘れずに。寂しがっていると思いますよ」
「分かっている。切るぞ」
イワンがもう一度モニタに手を伸ばした。先より素早い動きのそれは、もうこれ以上その話をする気がない意思表示のようだ。
女性士官も食い下がる気はないのか、相手が切るに任せたようにモニタの向こうで静かに待つ。
通信用のフレームが閉じられ、女性士官が笑顔のままその向こうに消えた。
「……」
イワンはモニタの前でゆっくりと目を閉じる。
イワンはしばらく瞑想するようにまぶたを閉じ続けた。
そしてふところから携帯端末を取り出した。
「……」
イワンが黙って指を走らせ端末の電源を入れた。
端末のディスプレイにイワンの顔がぼぉと照らされる。
「……」
イワンがふっと相好を崩した。着ぐるみの話を出したときよりも柔らかに、顔から全ての力みが消える。
だがイワンのその笑みはすぐにすっと引っ込んでしまう。
元の険しい顔に戻ったイワン。イワンがもう一度携帯端末に触れる。
端末のディスプレイには赤い血に塗れた肉片が映し出された。
「家族か……分かっている……待っていてくれ……」
イワンは自分に言い聞かせるように呟くと力強く壁を蹴り、
「今は何を犠牲にしようと、やらねばならないことがある……」
祖国の旗を背にモジュールの向こうへと消えていった。
次回の更新は4月14日以降の予定です。
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