十五、波瀾万丈! キグルミオン! 7
「もう……皆、体力なさ過ぎ。ねぇ? リンゴスキー」
ヒトミがふわっと体を浮かせて前に歩を進める。
ヒトミの後ろでドアが閉まった。そのドアが閉まる前にその奥の光景が見える。
部屋の一番奥では久遠がベッドに突っ伏して寝息を立てていた。枕に顔を埋めた久遠はぴくりとも動かない。精魂尽き果てたと言わんばかりに身を堅くして寝ている。
熟睡する久遠のベッドの手前では縫いぐるみの山が築かれている。
縫いぐるみの山がぐらっと揺れた。縫いぐるみの山が崩れその中から美佳の手が突き出るように覗いてドアが閉まる。その美佳の手はこちらもぴくりとも動かなかった。
ヒトミはしまったドアの向こうの光景を気にした様子も見せずにそこを後にする。
「困ったな。目が覚めちゃった。せっかくの寝台特急なのに……」
ヒトミは疑似重力に身を任せ一歩一歩大きく飛ぶように前に歩を進める。
その度に胸に抱えていたリンゴスキーの耳が揺れた。ただしリンゴスキーの耳は垂れて揺れる。リンゴスキーも眠っているように首をがくっと垂れて動かない。ヒトミに体を揺られるままに、ウサギの縫いぐるみは耳と首を揺らした。
「探検探検……」
ヒトミはリンゴスキーを抱いたまますぐに車両の連結部のドアに辿り着く。
ヒトミの目の前でドアが自動で開いた。ドアの向こうにもドアが見える。連結部の向こうのドアもこちらのドアに反応して自動で開いた。
ヒトミは一蹴りで二枚のドアを抜け連結部を飛び越える。着地した先も客車だった。後ろに残した車両と同じような通路が続く。一人の左手側を客室のドアと壁が埋め尽くしている。就寝用に照明の落とされた間接照明の灯りと相まって、ヒトミの前に狭い光景が続く。
「リンゴスキー達はこっちの客車? 何かの時用に、控えててくれたんだよね?」
ヒトミが狭い通路を真っ直ぐ上機嫌に進む。
「まあ、それが枕投げって。リンゴスキー達も迷惑だよね」
ヒトミに話しかけられたリンゴスキーは勿論答えない。縫いぐるみだから答えないのではなく、今は眠いから答えない。そうとでも言いたげにリンゴスキーは首を揺れるに任せヒトミに身を委ねていた。
疑似重力は浮くでもなく、歩くでもない歩幅を与えてヒトミを進める。数歩で次のドアの前まで辿り着いた。
「おっ? ここは明るい――確か、ここは!」
ドアについた窓から向こうの灯りが漏れていた。そこは間接照明ではなく煌煌と灯りがともっているようだ。
ヒトミの目の前でもう一度ドアが開いた。連結部の反対側のドアも同時に開き、今度は視界が一気に開ける。
「うおおっ! やっぱり食堂車!」
ヒトミがドアの向こうに身を踊り出させる。ヒトミは実際に小躍りするように着地した。
「食事は食べてから乗ったからね! 食堂車は朝食までお預けって言われてて、ちょっと残念だったんだよ、リンゴスキー」
ヒトミがきょろきょろと辺りを見回した。
車両の両端にテーブルが並べられ、人の背丈程の敷居で区切られていた。皆で集まるようにできていながら、個別のテーブルのプライバシーもある程度守れるようにしているようだ。
談笑の声は漏れ出ているが顔は敷居の向こうを覗き込まないと分からない。
「おお……この時間帯は、お酒の時間ですか?」
ヒトミが今度はゆっくりと回りを見回しながら奥へと進む。
大人の男女が二人組みや幾人かでテーブルに着いてる。そのテーブルに並んでいるのは本格的な食事ではなく、お酒とそのつまみのようだ。
「むむ……大人の時間なのです……」
ヒトミがテーブルを一つ一つ覗き込みつつ奥へと進む。
テーブルに着く何人かと時折目が合った。テーブルの席の主達はヒトミに軽く手を振って応える。中には明らかにお酒の入ったグラスを差し出してくる者いた。ヒトミは困ったように眉の間にシワを軽く寄せて手を横に振って断る。
尚もグラスを突き出してくる若い男性に手を激しく振りながら、ヒトミはその奥のテーブルの前までに移る。
敷居の向こうが背中で埋まっていた。一人の大男が背中を見せてテーブルに座っている。
「あっ! た……」
その背中に見覚えがあったのかヒトミが思わず声を上げかけて息を呑んだ。
ヒトミが今来た方の敷居の後ろに慌てて隠れる。
ヒトミにお酒を差し出して来た若い男性が、不思議そうにそのヒトミの背中を見つめた。
「むむ……隊長も、隅に置けない……」
ヒトミが少し顔を赤らめながら、ゆっくりと敷居の向こうに向けて首を伸ばした。ヒトミはそのまま息を殺して背中の向こうののテーブルを覗き込む。
同時にヒトミの胸に抱かれていたリンゴスキーの耳が首ごと横に垂れた。
ヒトミの言葉通り背中を向けて座っていたのは板東で、その奥に別の人物の姿が見える。
「あの人は……確か……」
ヒトミは敷居の向こうの様子を確かめると首だけ元に戻して顔を上げる。
ヒトミは顔を敷居の体側に戻したが、リンゴスキーの長い耳はその長さ故にまだ敷居の向こうにはみ出していた。
「隊長にも、ロマンスが……むむ、まぁおかしくないけど……」
ヒトミは顔を赤らめ、照れたように鼻の頭を掻きながら呟く。
「ま、邪魔しちゃ悪いし……」
ヒトミは尚も眠ったように首を傾けるリンゴスキーを抱いたまま一人呟いた。
わずかに敷居の向こうにはみ出たウサギの縫いぐるみの耳。
「……」
そこに無言で鋭い視線が向けられている。板東の向こうに座る人物がかすかに覗くリンゴスキーの耳に剣のある険しい眼差しを送って来ていた。
ヒトミはもう一度敷居の奥は覗かずに床を蹴り、
「気まずいし、帰るかな……」
その視線の主と目を合わすこともなくその場を後にした。
次回の更新は17日を予定しています。
4/10日締め切りの賞に応募する作品を書く為に、ペースを落とさせて頂きます。
ご了承下さい。