十四、空前絶後! キグルミオン! 16
「あはは、美佳ちゃん。意地悪しないの」
ヌイグルミが窓という窓に張りついているSSS8の展望台。その中でおろおろとしているヒトミの後ろに久遠が寄って来た。
「むむ……だって……」
久遠の言葉に美佳が後ろを振り返る。
美佳の周りはもはや完全にヌイグルミに埋め尽くされていた。窓と窓がまるで台風に備えた目張りのように、ヌイグルミで埋め尽くされている。
そのどのヌイグルミオンも一心不乱といった感じで、窓の向こうにボタンの目を向けていた。
「皆で見た方が楽しいでしょ?」
「ぐぬ……」
「そうだよ、美佳! 皆で見ようよ!」
ヒトミが久遠の言葉に力を得たのか、無重力に任せて両の手足を何度も突き出して抗議の声を上げる。
「ぬぬぬ……」
「私もさっき先生と見てたわ。やっぱりこういう感動な景色は、誰かと見ないとね」
久遠がヌイグルミの間からわずかに見える隙間に目を近づけた。
「博士……鴻池のおやっさん氏と見てたの……なんかロマンスがない……」
「別に。誰と見てたっていいでしょ? 恩師なんだから。地球を見て話す話もあるわよ。ほら、場所空けてあげて」
「ぐぬぬ……」
久遠の言葉にようやく美佳が体を半分横にずらした。
「やったー!」
美佳が空けたスペースにヒトミが飛びついた。
「おお……」
美佳と並んだヒトミが地球の姿に感嘆の声を漏らす。
そしてヒトミが陣取った窓と体の間に、ウサギのリンゴスキーが自身の体をねじ込むように入れて来た。
ヒトミはそのリンゴスキーの体をぐっと胸に引き寄せる。ヒトミの目に青い地球が大きく写る。
「……」
美佳がユカリスキーを、ヒトミがリンゴスキーを胸に抱いて、しばらく二人は無言で地球を眺めた。
その隣でライオンのヒルネスキーが場所を空ける。
久遠がそこから二人に習って地球を見た。久遠の瞳にも青い地球が写る。
「どう? 奇麗でしょ?」
「青い地球……」
久遠の問いかけに美佳が答えた。
「そうね……でも昼の面はもう少しで終わり。もうすぐで、夜の面になるわ」
久遠が首を傾け窓の奥をのぞく。久遠の視線の先は地球の東側だった。そこはゆっくりと暗くなっていく。
「陽が沈むのが早いです……」
同じ方を向いてヒトミがぽつりつぶやく。
「基本の軌道が東に向かって南北に移動するコースだからね。こっちから向かってるもの。元々SSS8のような人工衛星は、高速で地球の軌道上を回ってるから。どうしてもゆっくりと同じ面を見てるって訳にはいかないわ。一周だいたい九十分。一日に何度も昼の面と夜の面を横切るのよ。この手の宇宙ステーションや、人工衛星は」
久遠が話すうちにも地球は見る見ると暗くなっていく。SSS8が南東に移動しながら太陽の反対側に回っていく。
そして地球は大陸や島の形に、人工の光で彩られた夜の面を見せていく。
「むむ! 雷です!」
夜の面が大きくなると、ヒトミが何度か瞬きしながら目をこらした。
「そうよ。夜の面だと、雷がよく見えるでしょ? 人工の光が照らす夜景も奇麗だけど、やっぱり自然現象には感激しちゃわ。昼の面とはまた違った魅力よね。まあ、茨状発光体が輝いてないと、もっと奇麗に夜の面を見せてくれたと思うんだけど……」
「それでも、十分奇麗ですよ、博士」
「そうね……」
「……」
ヒトミと美佳がまた黙って地球に見入る。
「……」
久遠も黙って夜の地球を見る。そしてそこに人工の光の中に、ぽっかりと空いた暗い穴に険しい顔をしてみせる。
「おお! また光った! ああ、また!」
「むっ……どこどこ……」
久遠の表情の変化に気づかず、ヒトミが方々を指差し美佳がその後を目で追った。
「ほら、あそこ! 今度はこっち!」
ヒトミがあちこちを指差すが、
「ぬおおお……」
その指を追う美佳の目は戸惑いに泳ぐだけだった。
「あら? さすがね、ヒトミちゃん。さすがの動体視力ね。結構色々なところで落雷してるから、方々で光ってるでしょ?」
久遠は顔に浮かんでいた険しい表情を落とすとヒトミ達に微笑む。
「ええ……凄いです……」
「ぐぬぬ……雷なんて、追いきれない……」
同じ夜景の光景にヒトミが感心しきりとうなづき、美佳が悔しげにうなった。
「光ったところに、目を向ければいいじゃない、美佳」
「簡単に言ってくれる……こちらはただの女子高校生……そんな野生動物みたいな目、持ってない……」
美佳が眠たげな半目を恨めしげにヒトミに向ける。
「失礼ね。私だって普通の女子高校生よ。ちょっと人よりいい、中々の瞳を持ってるだけよ。仲埜瞳だけに」
「知らない……ヒトミの瞳自慢なんて……」
「ふふん」
「あはは。まあまあ、美佳ちゃん。今度記録映像で見せてあげるから」
「ふん……」
「ところで、博士」
ヒトミが不思議そうに久遠に振り返る。
「何、ヒトミちゃん?」
「時おり一緒に光る赤い光はなんですか?」
ヒトミが窓の外を指差しながら不思議そうに首を傾げると、
「『赤い光』?」
久遠がその言葉と仕草に、つられたようにこちらも小首を傾げた。
「ええ。雷が光ると、何個か一緒に赤い光が光りましたよ。何か、雷なのに、上に打ち上がってるような光」
「――ッ! ヒトミちゃん! スプライトが見えるの? 肉眼で追えてるの? まさか! 茨状発光体のせいで、本来より明るいこの今の宇宙で?」
久遠がそのつり目を驚きに見開いた。そしてヒトミの言葉を確かめようとか窓に顔を近づける。
だが久遠自身には見えないようだ。久遠はしばらく目を凝らすが特にそのまま動かなかった。
「はい? 何ですか、博士?」
「スプライトよ。赤い光よね? 宇宙に向かって打ち上がる?」
久遠は一度は窓に近づけた顔をヒトミに向ける。
「『スプライト』? そう言えば、時おり言ってましたね。確かに赤い光が、宇宙に向かって打ち上がってましたけど? 何ですか、博士?」
「雷放電と一緒に、空に打ち上がる雷よ。スプライトは妖精って意味ね。地上に雷が落ちるのは当然知られているけど、同時に時おり宇宙にも電気が放たれているのよ。滅多に見られないことも相まって、スプライト――妖精って呼んでいるわ」
「へぇ……」
ヒトミがもう一度スプライトを見ようと思ったのか、久遠の言葉に感心したように声を漏らすと窓に向き直る。
「ああ、今度は流れ星! ほらほら、美佳! 今度はあっち! こっち!」
「な、流れ星まで……ヒトミ、本当に見えてるの……」
美佳が驚愕に目を珍しく見開いてヒトミを見る。
「見えるよ、美佳。一瞬だけど。すっと何か、あっけなく落ちていく光がそうでしょ?」
「ぐふ……もはや、人間の領域を出た視力……」
美佳がその力にやられ血反吐を吐いたかのように、口元を押さえながら応えた。
「ひどい、美佳!」
「やれやれ、ヒトミ……宇宙誕生一三八億年……ビッグバンやインフレーションに始まり……ファーストスターやセカンドスターが、超新星爆発してまで作り出してくれた今の宇宙……その宇宙の奇跡のようなハビタブルゾーンに生まれた生命を代表する知的生命体が――こんな野生児だなんて……宇宙もびっくりなはず……」
「ちょっと、美佳! 珍しく長々と話したかと思ったら! ヒドい言いよう!」
「ふふん……自慢げに視力自慢するから……」
「いいじゃない! 肉体的な取り柄しかないんだから!」
ヒトミは美佳はお互いへの抗議の為か、押し合いへし合いしながら窓の外を見続ける。
「……」
久遠は少し窓から離れ、そんな二人の背中を黙って見た。
「スプライトは、〝地球から宇宙に向かって放たれる〟数少ない現象の一つ……それに極自然に気づいた……」
久遠はヒトミの背中を見ながら一人つぶやく。久遠は硬い表情でヒトミの背中を見つめる。
美佳のお腹から、ユカリスキーが顔を出して振り返り、そんな久遠の表情を見つめた。
そんなユカリスキーの仕草にも久遠の顔は崩れない。何か考え込むように頬が緊張に固まってしまっている。
久遠の視線をヒトミと美佳は気づかない。ヌイグルミ達に囲まれながら、和気あいあいと窓の外の地球を見続けていた。
「ヒトミちゃん……あなたなら、本当にそれを調べられるのかもしれないわね……」
久遠はそんな無邪気なヒトミの背中に向かって更に小さくつぶやき、
「天空和音を――」
ようやく頬のこわばりをふっと崩して優しく微笑んでみせた。
(『天空和音! キグルミオン!』十四、空前絶後! キグルミオン! 終わり)
作中スプライトに関しましては、以下で紹介されているドキュメンタリーを参考にさせていただきました。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0422/
改訂 2025.09.24




