二、抜山蓋世! キグルミオン! 8
「お姉ちゃん!」
ヒトミは不意に背後から声をかけられた。
「ん?」
キグルミオンを着たヒトミは、擬装指令ビルの前で立ち止まると体ごと振りかえる。
瓦礫が脇に避けられた街路に、小学生低学年とおぼしき少女とその母親らしき女性が立っていた。
少女の顔は半分恥ずかしげに母親の脇に埋められていた。
「ほら、ご挨拶もちゃんとする」
母親うながされるが少女は更に顔を埋めてしまう。
「こんにちは」
ひとまずと思ったのたか、ヒトミは全身で小首を傾げる動作をしながら挨拶した。
その動作は着ぐるみによく似合う。小さな仕草では関節部の大きい着ぐるみでは動作が目立たない。挨拶をしながらも、全身を使ったジェスチャーで少女に『君は誰?』と訊いているのだろう。
「……」
少女はその仕草に微笑みながらもやはり顔を全て曝け出さない。目だけ母の体からのぞかせた。
「すいません。この娘ったら、自分からお礼が言いたいって言い出したんですけど……」
母親が困った顔で切り出す。
「『お礼』? 何ですか?」
「ほら。猫の着ぐるみさんに、自分で言うんでしょ? さっきみたいに大きな声だして」
「……」
少女はまたも顔を隠してしまう。
「ん?」
ヒトミがキグルミオンの頭で少女の顔をのぞき込もうとする。体全体で親しみを表現しようとしているのだろう。その仕草は大げさ気味な程に大きくゆっくりだ。
ヒトミが己の膝に手を着き、キグルミオンの顔を少女に覗き込ませた姿勢でピタリと止まる。
無理に聞き出そうとせず、向こうから声をかけてくれるの待つつもりだろう。
恥ずかしがる少女。その少女に『お話を聞かせて』と言わんばかりにかがみ込む猫の着ぐるみ。
その二人の微笑ましい姿に、周囲を行き交う人びとから笑顔が送られてくる。
皆が視線を送り笑いながら通り過ぎていく。
ヒトミの背後――擬装指令ビルの高層階の窓も開いた。
だがヒトミはそちらから送られてくる視線には気づかない。
「すいませんね。ほら、今朝の騒ぎの時に」
母親がたまりかねたのか自分から口を開いた。
「ああ! あの時の子? 怪我なかった?」
ヒトミは『分かったよ』という動作を少女に分からせる為に、ゆっくりと大きく二度キグルミオンの首を縦に振る。
そう。少女はよく見ると暴漢が拳銃を取り出した時に、ヒトミが背中でかばった女の子だった。
「男の人、怖かったよね? もう大丈夫だからね。怖い人は警察の人が連れてってくれたからね」
ヒトミは今度は『大丈夫だよ』と分からせる為にか、大きく首を縦に何度もふりながら少女に話しかける。
「……」
少女がやっと両の目をヒトミに向けた。
キグルミオンがその上半身をゆっくりと元にもどした。むしろやや逸らし気味に背を伸ばし、腰に両の拳を持っていき『安心したよ』と言わんばかりの仕草をしてみせる。
一つ一つが大げさなキグルミオンの動作に、少女はまだ声は出ないがクスクスと笑う。
「あなたはこの子にとって、ヒーローなんだそうですよ」
「ヒーロー? 私が?」
「ええ、そうですよ。テレビで見るのと同じ――とか、さっきまではしゃいでたんですけどね。いざお姿を見かけたら、急に恥ずかしがっちゃって」
「私がヒーロー……」
ヒトミがキグルミオンの小さな視界から、少女の瞳を覗き込む。
その瞳は真っ直ぐキグルミオンを――ヒトミを見つめている。
「えへへ……」
少女が会心の笑みで笑う。
そしてその小さな手を差し出した。
「あ? 握手だね! オッケー!」
ヒトミがフワフワでモコモコの手で、少女の手を固く握り返す。
そして何かの約束でもするかのように、何度も少女の手を上下にふった。
「さあ、ほら。猫の着ぐるみのお姉ちゃんに、お礼言うんでしょ?」
「……ありがとう……お姉ちゃん……」
ヒトミが手を離すと、母親にうながされて少女がようやく口を開く。
だがまだ恥ずかしいのか、口から出たのはそれだけだった。
「どうも! でも、お姉ちゃんではないのです!」
ヒトミがドンと胸を己の拳で叩き、
「?」
少女がその様子を不思議そうに見上げる。
「私はキグルミオンなのです! 中に人――お姉ちゃんなどいないのです!」
「まあ、キグルミオンって名前なんだって、この猫さん」
「キグルミオン?」
「そう! キグルミオン! キグルミオンこそが、君のヒーローなのです!」
キグルミオンの力強さを見せようとしてか、ヒトミは両手を左右非対称に拡げて拳を握ってみせる。
その即席のヒーローポーズに少女がクスクスと笑い、
「……」
擬装指令ビルの上から坂東士朗がその様子を無言で見つめた。
改訂 2025.07.29