二、抜山蓋世! キグルミオン! 7
「ヒトミちゃん。流石に落ち込んでるかしら?」
己を地下へと運んできたエレベータを降りながら、久遠は白衣をひるがして一人で口を開く。
「美佳ちゃんも、頑張ってたみたいだけど……」
久遠が地下格納庫のドアに向かいながら更につぶやいた。
「さて、何て声をかけたものやら――」
最後に思案げに眉間を寄せ、久遠は通路の先にあった自動ドアの前に立つ。
そしてそのドアが音を立てて開くと、
「うがあああぁぁぁぁぁああああぁぁぁっ!」
くぐもった雄叫びがドアの向こうから響き渡った。
「な、何?」
久遠が目を丸くして格納庫に駆け込む。
「博士……」
ドアのすぐ横に立っていた美佳が久遠をその抑揚のない声と、眠たげな半目で迎える。その腕の中にはコアラのヌイグルミオン――ユカリスキーが大事そうに抱えられていた。
「何事よ?」
「ヒトミが……」
「ぬがあああぁぁぁぁあああぁぁっ!」
格納庫の中央では、キグルミオンが双手を上げて更なる雄叫びを上げていた。
「ヒトミちゃんがどうしたの? キャラスーツに入ってるの、ヒトミちゃんよね?」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
キグルミオンの中のヒトミが今度はその手を降ろし、両ヒジをくの字に曲げて一際肩を怒らせてみせた。
その周りをユカリスキー以外のヌイグルミオンが取り巻いている。その様子はどこか右往左往しながらも、楽しげに逃げ回っているように見える。
「ヒトミが……」
美佳が久遠からついっと視線をそらせた。
久遠から美佳の表情が見えなくなるる
「ヒトミちゃんが何? まさか、自暴自棄に……」
「ぬおおおおおぉぉぉぉおおおおおっ!」
「ヒトミちゃん!」
久遠が思わず身を乗り出すと、
「うがぁっ! ランニングしてきます!」
ヒトミが突如駆け出した。
「えっ? ヒトミちゃん?」
「行ってきます!」
ヒトミがドアを押し開けて出て行く。
「どうしたの、ヒトミちゃん」
「ヒトミが、放っといてって言うから……ぷっ……」
美佳がたまらずと言った感じに噴き出す。
「はい?」
「ヒトミに落ち込みなんて似合わない……放っとかずにヌイグルミオンけしかけたら、最初は無視された……」
美佳がユカリスキーを抱き締める。
けしかけた様子を再現しようとしてか、ユカリスキーが宙に浮いた手足をばたつかせた。
「はぁ……」
「ボコボコにと皆で覆い被さったら……ボコボコどころかモコモコに……」
「まあ、あれただけのヌイグルミに抱きつかれたら、そりゃフワフワのモコモコになるわよ」
「ぐふふ……切れたヒトミは、ヌイグルミオンを弾き跳ばした……」
「あ、そ……」
「あんなに楽しげにヌイグルミオン達を宙に舞わすとは……さすがヒトミ……で……そのまま、キャラスーツに着替えて雄叫びを……」
「単純ね……」
「ヒトミは単純……ぐふふ……それがいいところ……」
美佳が腕の中のヌイグルミを楽しげに揺すると、その揺れ以上にユカリスキーが上下に首を振った。
「ぬがあああああぁぁぁぁあああああぁぁぁ!」
猫の着ぐるみが半壊の街を駆け抜ける。
どこかその足取りは乱暴だ。内心の苛立ちそのものが様子に現れているようだ。
「お疲れ様です! どうもです!」
そしてやはり街で人びとに見かけられるや声をかけられた。
ヒトミは荒い息づかいのままで、その度に律儀に返事を返す。
「うおおぉぉぉおおぉぉ……」
ヒトミはそのまま雄叫びを上げたかと思うと、
「こんにちは!」
と街ゆく人に律儀に挨拶される度に挨拶を返していた。
「ぬぬぬ! ちょっと落ち着いてきた! あ、どうもです!」
猫の着ぐるみで街を駆けるヒトミ。少しずつその足取りが落ち着きを取り戻す。
「ほっ。ほっ。ふぅ……」
ヒトミが息を整える。その度に落ち着いたフォームにヒトミの走りは変わっていく。
「そうよ。別に着ぐるみの熟練度で負けたわけじゃないんだから。隊長がちょっと強かっただけよ。まあ、強いに越したことはないんだけど……」
ヒトミは辻にさしかかると直角に曲がった。そのまま次の辻にくるとやはりくるりと回る。
「あんまり遠くに行くなって言われてるけど、同じところばっかり回るのも飽きる!」
そう。ヒトミは擬装指令ビルの周囲をグルグルと回る。
そして今やキグルミオンの足はリズミカルに街を駆けていた。
「……」
何度目かの擬装指令ビル前。ヒトミはちらりとビルを見上げる。
そこには室内の狭さ故と、その自身の背の高さ故に坂東の頭と背中が見えていた。
「ふん……」
ヒトミがくぐもった鼻声を鳴らすと、
「お姉ちゃん!」
幼い少女が背中から声をかけてきた。
改訂 2027.07.29