十四、空前絶後! キグルミオン! 3
「うふふ……ふふん……あはは……」
頬を丸く染め上げ、サラは皆の先頭を浮かんでいく。ご機嫌なサラの両肩には、相変わらずナマケモノのヌイグルミがぶら下がっていた。
ナマケモノのヌイグルミオンは、だらけ切って弛緩し切った体で、それでいてその両手はがっしりと怠ける為にしがみつかれていた。
そんなナマケモノを気にもせず、サラはご機嫌に前に進む。
その後ろをペンギンの着ぐるみが続き、更にその後ろを白衣の女性、コアラのヌイグルミを抱いた少女、いかつい大男にヌイグルミの集団が続く。
「ほら、着いたわよ! SSS8なら、まずここを紹介しないとね!」
サラが通路の一角で不意に振り返った。
その声は先の母国語ではなく皆に翻訳されて届いていた。通路の一角ではあるが、特別に翻訳装置が組み込まれているようだ。
「何ですか? ここ?」
ペンギンの着ぐるみが不思議そうに首を傾げる左右に巡らせた。
そこには簡単な展示スペースになっていたようだ。壁際に写真や年表が並び、模型の類いもケースの中に入って並べられていた。写真や図解、年表はディスプレイに表示されており、長く横に通路の先まで続いていた。そして時おり言語が入れ替わった。
「SSS8の歴史――てか、人類の宇宙開発史ね」
ヒトミに追いついた久遠がペンギンの羽を手に取る。そして年表の一番初めの当たりで、通路の手すりをつかみ体を止めた。久遠はそのままつないだ手で、ヒトミも引き止めアゴで目の前の年表を差しし示す。
「星座を巡る物語や、かぐや姫などの古来からの伝承や伝説。そんな空想に頼る前史を抜けて、人類が科学的に宇宙に挑んで来た歴史を紹介しているのよ。もちろん、神話や民間伝承などが、人類の宇宙への憧れに果たした役割は大きいけどね。ひとまずは科学的なところを展示してるの」
「へぇ。わざわざSSS8に、そんなスペースを作ってるんですか?」
「そうよ、ヒトミちゃん。むしろSSS8だからかしらね」
久遠の横に美佳と坂東が追いついた。二人はそれぞれに展示に目を向ける。
「何でですか?」
「人類にとって宇宙の開発史ってのは、宇宙を解き明かした歴史でもあるの。それをきちんと並べれば、それは必然的に宇宙の歴史そのものになるわ。その中の一つに素粒子を通じて、宇宙を知るという宇宙の解き明かし方があるの。宇宙はまるでウロボロスの輪。自身の尾を噛む蛇そのものなのよ。始まりが終わりを呑み込んでいるの。宇宙で一番小さな素粒子を解明しないと、宇宙そのものを理解できないのよ。その始まりの方を解き明かすのに大活躍するのが、ここ粒子加速器。ましてや宇宙に浮かぶ粒子加速器なら、展示にはぴったりでしょ?」
「はぁ」
「まあ、まず人類は当然近くの宇宙から、宇宙の姿を知ることになるの。アリストテレスの昔なら、目で見える範囲の宇宙を見て、宇宙を考えたわ。望遠鏡による少し遠くの宇宙の観測は、時代が下ってガリレオ・ガリレイを待たないといけないの。彼の望遠鏡による地道な観測のお陰で、月にも地形があって、金星は満ち欠けがあり、それは地球より太陽の内側を回っているからで、木星は地球と同じく衛星を持っていることが初めて分かったのよ。これらはその少し前に人類史上久しぶりに唱えられていた、コペルニクスの地動説が正しいと確信させる結果となったの。地球はある意味特別じゃない。どの惑星も太陽の周りを回ってる。そう考えれば何も不思議なことはない。地動説が正しいってね」
「『久しぶり』?」
「そうよ。地動説そのものは、古代からあったのはあったのよね。さっきも言った通り、目で見える範囲の宇宙の観測では、まだ天動説の方が人々が納得できたから。地動説は脇に追いやられていたの。それをコペルニクスがもう一度疑問を呈し、ガリレオ・ガリレイがそっちの方が正しいって観測から考えたのよ」
「へぇ。あっ、お殿様だ」
ヒトミは久遠に応えながら、年表の向こうを見る。ちょうど表記が日本語に変わる。そこに表れたイラストにヒトミが素っ頓狂な声を上げる。
「ふふ、日本語版だけのトピックスよ。『暴れん坊将軍』こと徳川吉宗。彼は江戸城に天文台を作ったって言われているわ。国産の望遠鏡を作らせ、自らその望遠鏡をのぞいて、宇宙の観察までしたのよ。暦の為にね。国家にとって、暦作りは重要な仕事だったらね」
「ほえええぇぇ……」
ヒトミが床を蹴った。江戸時代のエピソードの前までヒトミは一息に飛ぶ。ペンギンの円な瞳が徳川吉宗の肖像画をのぞき込む。
「あっ? ロシア語に変わった」
そのヒトミの目の前で年表の言語が変わる。それと同時に徳川吉宗の肖像が消えた。分かって表記されたのはヒトミの言葉通りロシア語だった。
「あはは、放っておくと次々と変わるわよ。もちろんロシアは宇宙大国だから、年表も長いわよ。特にロケットの分野では先駆者だしね。スプートニクやガガーリンを初めとする、実際に宇宙に行った功績も凄いけど、忘れてはならないのはコンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーの功績ね。彼はツィオルコフスキーの公式を数式化し、実際に宇宙に行けると計算したロケット工学の父よ」
「つつつ、ツイ……」
「ツィオルコフスキーよ」
久遠がヒトミの後ろから手を伸ばし、年表の一角に触れる。久遠がそのままディスプレイの上に手を走らせると、年表の表記が日本語に戻った。それでもツィオルコフスキーの項目は表れ、世界的な出来事であることが知れる。
「つつつつ、ツイオ……」
ヒトミが日本語で表記された人名を見て、それでもつまりながら発音しようとする。
「ツィオルコフスキー。そうね。ロシアなら、そっちのジョージ・ガモフも見て。ロシア――現ウクライナ生まれのアメリカ人科学者よ。ツィオルコフスキーが大きな宇宙に挑んだ先駆者なら、ガモフは小さな宇宙に挑んだ先駆者ね。アルファ・ベータ・ガンマ理論で、ビッグバンの考え方を提唱したわ」
「ビッグバン? 宇宙の始まりの爆発ですか?」
「そうよ。日本の佐藤勝彦やアメリカのアラン・グースによって提唱されたインフレーション理論と合わせて、宇宙の創世を解き明かす理論ね。この時代まで遡ると、観測で見る宇宙や、ロケットなどで行く宇宙とは違って、理論で考える宇宙も重要になるの。特に素粒子の振る舞いなどについてね。これが言わばウロボロスの頭が自分の尾っぽを噛んでいるところね」
久遠が年表の上を見上げる。そこには蛇のイラストが掲げられていた。その蛇は輪を描いて身を丸めており、自分自身の尻尾を噛んでいる。
「へぇ」
ヒトミが久遠につられてペンギンの姿で蛇を見上げる。
「シュレディンガーの猫に、ペンギン過程。そして宇宙のたとえのウロボロスの蛇。地球の様々な生命を代表して、そしてそのイメージを借りて、人間は宇宙を解き明かそうとしている――」
久遠はヒトミと一緒にしばらく蛇のイラストを眺め、
「そう考えたいわね」
その愛くるしいペンギンの姿のヒトミに振り返り優しく微笑んだ。
作中実在の人物も敬称を省略させて頂いています。
創作上の演出です。ご容赦下さい。
改訂 2025.09.20