十三、勇猛精進! キグルミオン! 15
「何だ何だ? 何の騒ぎだ?」
医務室のドアがすっと開き坂東がぬっとその巨体を突き出した。
「坂東さん」
女医がすぐさま反応しそちらに振り返る。女医の前にあったのは何かの塊だった。
板東が呆れた声を出したのは、そのふわふわでもこもこの塊だった。塊というよりは実際は固まりだったらしい。互いにくっつきあっているヌイグルミオンの一団。その山だった。
山と化していたそのヌイグルミが、無重力故にふわりと浮いていく。山だった固まりは同心円に集まるヌイグルミの球となった。
その固まりの一部がもぞもぞと動いて剥がれた。固まりから脱落してふわり浮き出たのはイヌのヌイグルミだった。
代わりにそのヌイグルミが剥がれ落ちた場所から、少女の左手らしきものがぴょこんと突き出た。
「ぐふふ……」
その様子に固まりの側に控えていた美佳が怪しく笑う。
「サンポスキーか……」
ふわふわと浮いていくヌイグルミを目で追い、坂東がぽつりとつぶやく。
イヌのヌイグルミオンのサンポスキーは板東にちらりと視線を送ると、壁を蹴ってもう一度固まりに飛びついた。
ふわふわ浮かんで向かっていくサンポスキーを待っていたのは、やはりふわふわな身をしたヌイグルミの固まりだ。
「今、採血するところね」
女医は突き出た左手に止血用のゴムを巻きつけた。
「もが……」
その処置に反応してヌイグルミオンの球の中から、少女のうめき声が響いて来た。いつも以上にくぐもった響きのヒトミの声だ。
女医はそのうめきに気にした様子も見せずに注射針を血管に突き刺した。
「ぐふっ!」
そのくぐもった声は更に大きく響き渡る。
「たく……採血一つで、先生の手を煩わせるな……」
「ぐふふ……」
その様子を坂東が呆れたように見つめ、美佳が意地悪げに半目を光らせる。
「無事だったか、美佳くん?」
「当たり前……ダレルスキーが居なければ、退屈で死ぬところだったけど……」
「そうか。まあ、無事で何よりだ。博士もだな?」
「もちろん……」
「分かった。たく……医務室で、散らかして……」
坂東は美佳に訊きながら壁際に目を移した。そこには中の人の抜けたペンギンの着ぐるみが漂いたどり着いていた。
「ふふん……採血にペンギンの羽など突き出すから……」
「注射針が怖くて、カティから出てこなかったか? たく……子供だな……」
「着ぐるみのないヒトミなど、ただの汗臭い女子高校生……」
「『汗臭い』って何よ! それは着ぐるみアクターの勲章よ!」
ヒトミの叫び声ととともに、ヌイグルミの固まりが中央から弾け飛ぶように解けた。ヒトミが最後に爆発し、己を取り巻いていたヌイグルミオン達を押しのけたらしい。
ヒトミに内側から押し戻され、ヌイグルミ達が四方八方の宙にばらけていった。
いたずらが見つかった幼稚園児の集まりのように、我先にとヌイグルミオン達は散っていく。あるものは頭を殴られまいと抱え、あるものは空中で意味もなく足を足掻かせ、あるものは誰かの背中に隠れながら宙を舞っていく。
処置は終わったらしい。ヒトミの左手には止血用のバンドが巻かれていた。
「終わったか、仲埜?」
「終わりましたよ! この間も採血したじゃないですか! こんなに何度も血をとられたら、ひからびますよ!」
ヒトミはすねたように空中であぐらをかいた。
「宇宙怪獣と戦ったんだ。血液検査ぐらい、何度やったってやり過ぎとということはない」
「むむ……いいですよ! カティになって、気を持ち直します!」
ヒトミは床を蹴り、壁際で脱ぎ散らされたままのペンギンの着ぐるみに飛んでいく。
「手間をかけさせた、ドクター」
坂東が採血の後始末をしている女医に声をかける。女医は針の先から試験管のような採血用のガラス管に血を移しているところだった。
「いえ、どういたしましてね」
手元に集中しているのか女医は坂東に振り返らずに応えた。
「うほっ! なんだかんだで汗臭い!」
ヒトミはカティの背中のチャックに手をかけながら一人で叫ぶ。
「ほら、やっぱり汗臭い……」
ユカリスキーを胸に抱いた美佳がその側まで漂って来た。残りヌイグルミオン達は互いに聴診器を当てる真似をし出したり、ベッドに横たわってその周りを他のヌイグルミオンが囲んでみたりと、それぞれに医務室らしい遊びに勤しみ始めていた。
ある一角ではクマのハニースキーががっくりと首を前に落としてうなだれ、その肩をウサギのリンゴスキーが慰めるように叩いた。その二体の前では深刻そうにうなづく、オオカミのナカマスキーの姿があった。どうやら深刻な病状の告知でもあったらしい。
「いいでしょ! 汗臭いぐらい! てか、これほとんど隊長の汗だから! カティは隊長の着ぐるみ! だからこれは、隊長の汗が染みついた匂いだから!」
ヒトミがカティに片足を入れながら振り返る。
「……」
その声に女医が不意に顔を上げてそちらを見た。女医は無言でカティのを見つめる。特に見ていたのはその左足のようだ。
「誰の汗だろうが、喜んでその匂いに向かって入っていく……その神経が信じられない……そう言ってる……」
全身をペンギンの中に埋め始めたヒトミの背中に、美佳が呆れたようにつぶやいた。
「むむ! これは着ぐるみの宿命なの! 汗臭いのを気にしてたら、着ぐるみアクターはやってられないの!」
ヒトミの反論の声は最後はくぐもったものになっていた。ヒトミは最後は美佳にチャックを上げてもらいながら、完全のペンギンの中に戻っていった。
「隊長! お待たせです! いきましょう!」
ヒトミはそのまま壁を蹴って入り口に向かう。美佳がその後に続き、多数のヌイグルミオンが我先にとその後を追った。
「ドクターにお礼を言っておけ、仲埜。では、ドクター」
坂東も身をひるがえしてドアへと向かう。
「はーい。ドクター、ありがとうです!」
ヒトミはドアまで辿り着くとこちらも身をひるがえし、ペンギンらしさを出す為か手足をぴんと張ってからお辞儀をした。
「皆……SSS8見学しよ……」
美佳がヒトミを追い越しドアをくぐった。
その美佳の脇を抜けて次々とヌイグルミが廊下の向こうに消えていく。
その流れに邪魔をされて坂東がドアの脇に止まった。お辞儀を終えたヒトミも流れに乗り損なったようだ。二人してドアの前でヌイグルミオンの列が途切れるのを待つ。
「はいはい。また、血を採りましょうね」
女医が笑顔でその様子を見守る。女医の手には採血を終えて空になった注射器がまだ握られていた。
「遅いですよ。いきますよ、隊長」
「お前が採血でぐずぐずしてたんだろうが」
ヌイグルミ達の最後尾に並びペンギンと大男が続いてドアをくぐる。
「……」
坂東の背中を女医が目で追った。その手の平の中でガラスの注射器がきしんだ音を立てる。女医の手の中で注射器が力の限り握りしめられていた。
最後にドアの向こうに見えた坂東の左足を見つめる女医の手の中で、
「坂東……」
ガラスの注射器の表面に音を立ててヒビが入った。
(『天空和音! キグルミオン!』十三、勇猛精進! キグルミオン! 終わり)
改訂 2025.09.20