十三、勇猛精進! キグルミオン! 12
「ミズ・久遠! 船内を案内するわ!」
無重力でなくとも浮いていきそうな程、頬を満足げに膨らませてサラ船長がSSS8の通路を進んでいた。
サラが元気よく床や壁を蹴る。その度に張り切り過ぎなのか、その反対側の天井や壁に頭をぶつけそうになる。
サラの背中にはナマケモノのヌイグルミが抱きついていた。ナマケモノのヌイグルミオンは、腕こそしっかりサラの首に巻きつけているが、他は完全にやる気無さげにぶら下がっていた。
その証拠にサラ自身は実際には手で防いで壁にぶつかるのを防ぐが、ナマケモノは跳ねるたびにシッボや手足を無造作にあちこちにぶつけていた。それでいてそのことを気にしている様子もない。
「ありがとう。サラ船長」
サラの後ろを久遠が続く。サラが英語で話しかけ、久遠も英語で応えていた。通路までは逐次翻訳の機械は埋め込まれていないようだ。
その久遠はサラの背中を困り顔で見ていた。一応その困惑の顔を表には出すまいとしているようだ。久遠は真面目な顔を作り、内側から破ろうとする困惑の表情をその半開きの口で誤摩化していた。
サラに手渡したダレルスキーはここぞとばかりにやる気の無さを見せている。そしてそのダレルスキーの好きなままにサラはぶら下げさせていた。
楽しげにサラが舞い、その背中でダレルスキーが跳ねた。
「サラ船長。ダレルスキーは気に入ってもらえたみたいね」
「もちろんよ! ああ! 私もヌイグルミに囲まれて暮らしたい! あの美佳って娘! 分かってるわ!」
「はは……」
久遠の困り顔は苦笑いという形で崩れた。
「ところで、ミズ・久遠。SSS8の感想はどう?」
「いいわ! 人類はこれほどまで巨大な人工物を、宇宙に浮かべることができるのね! 素直に感動するわ! それもそれが粒子加速器だなんて! ああ、いつもこっちの都合でエキゾチック・ハドロンをお願いしてゴメンなさいね」
「別に、気にしないで。宇宙怪獣は人類の最優先事項。誰も文句は言わないわ。少なくとも口には出さないわ。さすがの変人揃いの科学者達でもね」
サラが久遠に応えながら一際大きく床を蹴った。
その背中のダレルスキーの体が伸び切り、そして天井に当たる寸前にサラが身をひるがえすと大きく跳ね上がった。
「口に出さないだけ?」
「そうよ。実験時間にちょうど割り込まれた科学者は、自分のノーベル賞がまた遠退いた――とかよくぼやいてるけど。まあ、ある意味本音でしょうね」
「はは」
「それにこれほどまでに巨大な機械でないと実験できない理論。それを解き明かすプロジェクトはやはり巨大だわ。どれほど有意義な実験に参加していたとして、多くの人はその巨大過ぎるプロジェクト故に、大多数の中の一人でしかないのよね。出来上がった論文を見て、自分の名前が何十人の中の一人として埋もれているところをいざ見てみると、色々と複雑な気分なのよね。世界に評価され、歴史に名が残るは、その論文に最初に載っている二、三人の名前だけだろうしね。ここでもちょっと人が集まれば、世界の名立たる研究者がぞろぞろ居るってのにね。そんな人でも、その二、三人には入らないのよ」
「サラ船長でもそんな感じ?」
「そうよ。船長なんて、任命され損。雑用と調整係の親玉なだけよ。はぁ……人類最大の実験施設や、超巨大プロジェクトってのも、考えものよね……」
サラがわざとらしいため息を吐きながら答える。
「分かるわ。昔からある問題だものね」
「そうね。一人が頭で考えた理論で終わり。はい、受賞。なんて時代が終わり、高エネルギーの粒子加速器などで何十人が手を動かして、初めて理論の正しさが証明される時代だものね。もちろん賞の受賞者は人数が決まってるし。プロジェクトリーダーが受賞するのは当然として、他に誰が賞を手にするのか? 何人他に受賞できるのか? あの人が受賞できるのなら、この人は? なんてね。他のプロジェクトチームが同時期に同じような理論を発表してました。なんて問題もあるからね。じゃあ本当は誰が一番先に発見したのか? 誰が本当の功労者なのか? なんて頭を悩ますことばかり。増々狭き門になる受賞レースに、科学者も時には政治的に振る舞うこともあるわ。選考委員と親しくしたりして、自分や、自分のチームの誰かに受賞させる為にね」
「世知辛いわね」
久遠がこちらも遠慮せずにため息を吐いた。
「そうね……」
「カナダアーム9が異常を来したのも、その一環かしら?」
「まさか……そこまで……」
久遠の投げかけた疑問にサラの眉間が曇った。
「人為的かもしれない? それはサラ船長も疑ってるでしょ?」
「ありとあらゆる可能性から、調査はされるわ……そうとしか答えられない……」
「……」
「……」
二人はしばらく黙って前に進む。
「まあ、その点私は実際は楽なんですけどね。キグルミオンの論文なんて、ほぼ独占だから」
暗くなりかけた雰囲気を払拭する為にか、努めて明るく久遠が口を開いた。
「あら? やっぱりそう?」
不意の会話の再会にサラがこちらも明るく笑って振り返ると、
「そうよ。異端中の異端だから。誰も寄ってこないわ。」
久遠がそれに答えて今度は自嘲気味に笑った。
「でも宇宙怪獣を撃退した日から、SSS8の中でも果然評価が変わったわ。こっちは半信半疑でエキゾチック・ハドロンを撃ち込んだんだけど、あっさり宇宙怪獣を倒しちゃうんだもの。あっという間に評価が跳ね上がったわよ。正直私も信じてなかったもの。キグルミオンで宇宙怪獣が倒せるだなんて」
サラが前に向き直る。サラの視線の先で通路が分かれていた。丁字路に突き当たり左右に道が分かれている。
「それもこの人類の叡智を集めた宇宙粒子加速器と、そこに集まる世界の名立たる研究者の協力があってこそよ」
「ミズ・久遠……」
「この施設とあの着ぐるみに、人類の命運がかかっているわ。今は誰が一番先かだなんて、争ってる場合じゃないわ」
「そうね……」
サラが真剣な顔でうなづくと、
「うおおぉぉっ! どいて下さい! 通ります!」
通路の向こうから少女の怒号めいた声が轟いて来た。
その声はくぐもって入るがはっきりと当たりに響いて届いた。
どうやら死角となっている、前方の丁字路の角の向こうから聞こえて来たようだ。それと同時に多くの人の喧噪と床を蹴る音も聞こえてくる。
「はい? ヒトミちゃん?」
その聞き覚えのある声に久遠が反応する。
「ん?」
久遠とサラが同時に止まって丁字路の様子をうかがった。
その丁字路の向こうから無重力故に宙に浮いた人だかりが、雪崩を打って姿を現した。
「皆さん! 握手は後で! 記念撮影は後ほど! お話は翻訳機のあるところで! 誰が一番先とかないですから――」
同時に現れたのはその中心に居たペンギンの着ぐるみ。SSS8のクルーが我も我もとペンギンの着ぐるみを取り囲んでいた。
人類の叡智を集め世界の命運を握る宇宙粒子加速器中で、
「カティは今、医務室に向かってるのです!」
ヒトミは世界の名立たる科学者に我先にと囲まれてもみくちゃになっていた。
改訂 2025.09.18