二、抜山蓋世! キグルミオン! 6
「どうした仲埜!」
特殊行政法人宇宙怪獣対策機構の地下格納庫で、坂東士朗の声がこだました。
戦闘機の格納庫を彷彿とさせる無骨な空間。その奥に巨大な猫の着ぐるみがつるされており、場違いなまでの笑顔と愛くるしさを周囲に振りまいていた。
「く……」
その着ぐるみと寸分違わず同じ猫の着ぐるみが、格納庫の床にヒザを着いていた。
「お前の着ぐるみ愛は――」
坂東の声には容赦がない。叱責するかのように投げつけられる。
「ぐぬぬ……」
「その程度か!」
だがその坂東の姿はこの地下にはどこにもなかった。
代わりにそこにあったのは――
「認めて欲しければ! このカティから、一本とってみろ!」
そうくぐもった声で叫ぶペンギン――その笑顔も愛くるしい着ぐるみだった。
「まだまだ!」
そう応えたヒトミの姿もやはり見当たらない。
そこにいたのは猫の着ぐるみ。キグルミオンのキャラスーツだ。
先までヒザを着いていた猫の着ぐるみ。それがふらつきを誤魔化すように勢いよく立ち上がる。
二体の着ぐるみがそのふわふわでもこもこの体で向き合った。
ペンギンの着ぐるみが堂として立っているの対し、猫の着ぐるみは肩で息をしている。
その二体の着ぐるみを壁に背中を預けて久遠が見守る。その脇では床に座り込んだ美佳が、大量のヌイグルミに囲まれながら一心不乱に情報端末に指を走らせていた。
ヌイグルミ達は声援を送るかのように、飛び跳ねたり抱きつき合ったり手を叩いたりしていた。
「ダッ!」
「ヤッ!」
ペンギンの着ぐるみが駆け出し、猫の着ぐるみが身構えた。ペンギンの脚は短い。それにもかかわらず機敏な動きで、猫に向かっていく。
ペンギンが駆ける度に、カチャカチャと金属音がした。まるで拍車でも鳴っているかのようだ。
ペンギンがその平たい羽を、手刀のように繰り出す。鋭い本物の刃のような一撃だ。その笑顔に似合わない、殺人的な鋭さだ。
「グワッ!」
猫の着ぐるみがその手刀を避けきれずに、まともに胸板に食らって後ろに飛ぶ。
ふわふわでもこもこな猫の着ぐるみが、格納庫の床に転がっていった。
「どうした! このカティは練習用の只の着ぐるみ! 具現化された力の粒子――〝グルーミオン〟! それを身にまとっている貴様が、遅れを取っていいわけがないぞ!」
勿論只の着ぐるみのはずがない。中に入っているのは、隊長の坂東だからだ。
「く……強い……」
そしてこちらも勿論猫の着ぐるみに入っているのは仲埜瞳。
「ヒトミちゃん、しっかり! 落ち着いて、相手をよく見て!」
壁際で見学していた久遠が、両手を口に当てて声援を送る。
「ぐふふ……二人の戦闘データを、ヌイグルミオンにフィードバック……」
その横では美佳が、やはり一心不乱に端末を操作していた。
美佳が指を踊らせる度に、周囲を固めたヌイグルミオン達がこれまた踊るように動いた。無言ではあるが、手足を振って声援を送っているようだ。
「着ぐるみは! 着ぐるみになりきれる者にだけ応えてくれる! ちゃんと着ぐるみになり切れ、仲埜!」
「ぐ……そんな……」
ヒトミはうなることしかできない。
「私の着ぐるみ愛より、隊長の方が上だって言うの……」
ヒトミがペンギンの着ぐるみを見上げる。
その姿はペンギンそのものだ。
どっしりと構えたその立ち姿は、まるで卵を暖める親ペンギンのように揺るがない。
それでいながら一旦駆け出すや、まるで海中を泳ぐ――いや、海中を飛ぶペンギンのように自由自在に動き回る。
繰り出される手刀は、その海水を切る羽そのものの鋭さを持っていた。
坂東はペンギンに――カティになり切っているのだ。
「あっ、ちなみにカティって名前なのは、『ペンギン過程』からね。『ストレンジ・クォーク』がね、一時的に『トップ・クォーク』に変わって『Wボゾン』を放出するの。ものすごく短い時間だけどね。でねその時の『ファイマン図』が、脚を踏ん張っているペンギンに似てるって言われているわ。まあ単にペンギン過程の発表者が、その直前の研究者同士の賭けに負けて、無理矢理『ペンギン』って単語を発表に盛り込まなくっちゃならなくなって、こじつけただけとも言われてるけどね! それで重要な物理の図式なのにペンギン過程って可愛い名前で言われているのよ! 脚を踏ん張っているペンギン! かわいいでしょ!」
「はい! てか、それ今何か関係があるんですか――」
ヒトミが長々と説明を始めた久遠に突っ込みながら立ち上がると、
「余所見とは余裕だな!」
カティが体当たりをかましてきた。
「キャーッ!」
海中を飛ぶペンギンのような突進を食らい、猫の着ぐるみが格納庫の床を何処までも転がっていった。
「う……」
ヒトミがうっすらとその目を開けた。ヒトミの瞳に薄ぼんやりと無骨な天井が映る。
どうやら寝かされていたようだ。
「ヒトミ、気がついた……」
今目が覚めたヒトミよりも眠たそうな半目を向けて、美佳が心配そうに上からのぞき込んでいた。
美佳の周りでは数々の動物を模したヌイグルミ達がやはりヒトミをのぞき込んでいる。
「ここは……」
ヒトミが上半身を起き上がらせる。
地下格納庫の床に寝かされていたようだ。キグルミオンのキャラスーツは流石に脱がされていた。マットの上に横たわり、薄い毛布を体に掛けられている。
ヒトミが体を起こすに合わせて毛布がずり落ちた。
それを慌てた様子でヌイグルミオンの一体が整え直した。
「ありがとう……気を失っていたの私?」
「そう……隊長容赦なかった……リンゴスキー……」
美佳が一匹のヌイグルミに呼びかける。愛らしい耳をしたウサギのヌイグルミだ。
リンゴスキーと呼ばれたウサギのヌイグルミオンがカップを手に駆け寄ってくる。
「ありがとね……」
ヒトミがウサギからカップを受け取る。
「歯が立たなかった……」
ヒトミがぽつんと呟く。
「むむ……隊長は戦闘のプロ……気にすることない……」
「でも……そうじゃないの……」
「ん……」
「着ぐるみのなり切り方が、そもそも違ったの……」
「ぐぅ……よく分からない……」
「……」
俯き黙り込んでしまったヒトミ。ほとんど口をつけなかったカップを脇に置く。
「……」
そのヒトミに美佳も無言で応える。
美佳の周りのヌイグルミオン達も身を屈めてヒトミの表情をうかがった。
「ヒトミ……落ち込んだときは、お友達に一緒にいてもらうといい……」
美佳がコアラのヌイグルミオン――ユカリスキーを抱き寄せる。
「……」
「リンゴスキーでも、ニジンスキーでも、マキバスキーでも……好きな子を……」
ウサギ、馬、牛のヌイグルミオンが、美佳に名前を呼ばれる度に手を振ったりうなづいたりして応えた。
「……ありがと……」
ヒトミは美佳にそう応えながらも、抱き締めたのは――己のヒザだった。
「少々やり過ぎじゃございません?」
貸事務所の一室としか思えない宇宙怪獣対策機構の本部。擬装指令ビルのその一室で、久遠はいつものように紅茶の香りをくゆらせながら窓の外を見ていた。
それは坂東の席のすぐ脇だった。
「ふん……あれぐらい、隊じゃ普通だ」
坂東はイスに座り報告書らしきものに目を通していた。事務机も事務仕事もこの男には全く似合わない。本人もその自覚があるのか、直ぐに報告書を放り出し足を机の上に投げ出した。
「隊は隊でも、レンジャークラスでしょ? 隊長がおっしゃっているのは?」
「ふん。レンジャーぐらい普通だ。あれぐらいでダメなようなら、先が知れている」
「ふふ。一応あの娘に『先』を見てらっしゃるのね?」
『先』という言葉とともに、久遠は窓の外の茨状発光体を見つめる。
「……」
「その気になれば、ご自身の権限であの娘をキグルミオンから降ろすことができるはず。そうなさらないのは、多少は期待してらっしゃるからでしょ?」
「ふん……君らがうるさいからだ……」
坂東が己も机の上のカップに手を伸ばした。こちらは随分と覚め切ったインスタントのコーヒーが入っているようだ。冷め切った琥珀色の液体が、坂東が手にかけると大きく揺れた。
「『ウィグナーの友人』……」
久遠がポツリと呟く。
「……」
坂東が口まで持っていったカップをピクリと止める。
「キグルミオンを動かすには、ソレになる必要があります。観測対象者でありながら、観測者であるウィグナーの友人に」
「君ら学者の言い様はよく分からん。観測者云々など、チンプンカンプンだ。だが――」
「……」
「着ぐるみになり切ることが重要という意味なら、博士にあらためて教えて貰う必要はない」
坂東がカップの冷めたコーヒーを一息で飲み干した。
「そうでしたわね……身を以てご存知でしたわね……」
「ふん……」
坂東は一際大きく鼻を鳴らし、
「……」
久遠は黙って窓の外の茨状発光体を険しい目で見つめた。
改訂 2025.07.29