十三、勇猛精進! キグルミオン! 9
「仲埜! よくやった!」
SSS8内のキグルミオンの格納庫。キグルミオンでほぼ埋まるその空間に板東の力強い声が響き渡った。それは壁際のスピーカから再生された音声だった。
「はーい」
ヒトミの暢気な声がやはり音声で再生される。
キグルミオンのアクトスーツが格納庫に吊るされていた。その背後に天井からロボットアームが伸ばされ、リニアチャックを覗くように固定されている。その先端にまだヒトミのキャラスーツの姿はなかった。ヒトミはまだアクトスーツの中のようだ。
キグルミオンのアクトスーツの所々に乾いた血の跡がこびりついていた。
「宇宙怪獣の返り血を浴びた。洗浄剤で洗い落とすから、しばらくそのままで待機だ」
「うぃっす。お願いします」
ヒトミの返事を合図にしたかの様にキグルミオンの全身に一斉にしぶきが浴びせかけられる。細かい水流のそれはキグルミオンの全身を上から下に襲いかかる。洗剤まじりのその水流はキグルミオンの全身に残った血を瞬く間に洗い流していった。
「家に帰ってすぐシャワー。何だか憧れです」
「何を言ってる?」
「ウチはボロアパートですからね。シャワーどころか、お風呂もないですし」
「そうか」
ヒトミと板東が話す間にも水流はキグルミオンの足下に降りて来ていた。そしてそのまま唐突に止まる。
「よし、終了だ」
「ええ! 短くないですか! せっかくのシャワー!」
「宇宙で水は貴重なんだぞ。ましてや宇宙怪獣の血液を洗い流した水は、隔離管理後、研究用に回されるもの以外は強制廃棄だ。循環させることすらない。贅沢できん」
「何故ですか?」
アクトスーツの背後でロボットアームが動き出した。それを迎えるようにリニアチャックがゆっくりと開いていく。
「謎が多過ぎて危険すぎるからな」
「なるほど。じゃあ、イワンさんも今頃、ぶーぶー文句言ってるところですか?」
ロボットアームがリニアチャックの向こうに消える。
「『ぶーぶー文句言ってる』のは、お前だけだろうよ」
「さいですか。てか、イワンさん大丈夫なんですよね? いっぱい返り血浴びてたですよね?」
「ご自慢のロシア式宇宙服が、イワンの身を守ったろうよ。何しろ気密性に関しては、宇宙服の右に出るのは、潜水服ぐらいだろうしな」
「でも気になりますよ。訊いて下さいよ」
ロボットアームがリニアチャックの向こうからぬっと抜き出された。それと同時に魂が抜かれたようにアクトスーツの頭部がだらりと前に倒れた。
上から伸ばされいたロボットアームはそのままヒトミを掴み上げる。アクトスーツの肩越しに前に回り込み、そのアクトスーツとよく似たキャラスーツの全身を前に持ち出す。
「優秀なミッションスペシャリストが、ぶーぶー言ってるかどうかの心配か?」
「だって、返り血はとばっちりでしょうし。久遠さんと美佳を助けてくれたのは事実ですし。気になりますよ」
「そうか……分かった、分かった……ん……」
板東が格納庫のガラスの向こうで何やら手元を操作した。だがその手がすぐに止まる。
「どうしたんですか?」
不意に黙り込み作業が止まった板東にヒトミがロボットアームに掴まれた身で乗り出した。ヒトミの体はちょうど板東の居る操作室のガラスの前を通過するところだった。
ヒトミは自身のキャラスーツの身をガラスに薄く写しながら、その向こうの板東の表情を覗き込むもうとする。
「いや……時間がかかっているようだ。何かアクシデントでもあったか……」
板東は手元のモニターを覗き込んでいるようだ。じっと静かにアゴを引いて下の方を見つめる。
「ええっ! イワンさんってば、あんなに自慢してたのに。もたもたしてるんですか? 後で言ってやろっと!」
「……」
ガラスの向こうの板東は手元にやった視線と相まって何か考え込んでいるように見える。
「どうしました?」
自身の身が下に降ろされていく過程で板東の顔は見えづらくなっていく。ヒトミは背中を伸ばして最後まで板東の表情を覗こうとした。だがヒトミからはもう見えなくなったようだ。ヒトミは諦めたようにすぐに背中を戻した。
「いや……確かにちょっとおかしいな。サラ船長が派遣した科学者達も、現場に入れず立ち往生らしい……」
「ふふん! 後で思いっきりバカにしてあげますよ! 今度の勝負はこっちの勝ちですねって!」
ヒトミは地面に降ろされるとロボットアームから解放された。
ヒトミはそのまま床を蹴り一度は通り過ぎた操作室の窓に向かって浮かんでいく。
無重力に任せて浮かび上がってくるキャラスーツ。宇宙怪獣を倒したそのままの浮かれ気分を表しているかの様にヒトミはぷかぷかと浮き上がってくる。
「散々遅い遅いってバカにされましたからね! 今度は着ぐるみの優秀性を教えてあげますよ! もたもたしてますねって!」
ヒトミのその言葉も暢気で浮かれ気味な声に、
「そうだな……単にもたついているだけならいいが……」
板東は尚も視線を落としたまま小さく応えた。