十三、勇猛精進! キグルミオン! 8
壁際を丸く切り取る鋼鉄の扉がゆっくりと開いていった。それはSSS8の外壁に設置されたドッキングハッチだった。
巨大なSSS8の中でも安全性の確保故か、ここだけは小さく区切られたスペースとなっていた。四方が壁に囲まれた部屋の突き当たりに扉がある。
壁際につけられていたモニタには、外の宇宙の様子が映し出されていた。SSS8の外壁に突き出すようにSTVがドッキングしていた。その隣には寄り添うように巨大な着ぐるみが宇宙に浮いていた。
キグルミオンに付き添われ、STVがSSS8にドッキングし今まさにそのハッチが開放されようとしていた。
人一人が頭から通れるぐらいの大きさの扉が開き、温度差からか空気の流れが変わりかすかに揺れる。
「ヤッホーッ! SSS8の皆さん! ありがとうございます!」
開いたハッチの向こう側から白衣に身を包んだ久遠が一番に顔を出した。宇宙服はハッチをくぐるには小さ過ぎ、STVの中で脱いだようだ。
久遠は白衣の端を無重力ではためかせ、多少入り口に体をぶつけながら全身を現わしてくる。
「ヒトミちゃんも、ありがとうね」
「はーい」
久遠が遠くに向かって呼びかけると、壁面のモニタからヒトミの声が再生された。
「ようこそ! 桐山博士! ご無事でなによりです。ご高名はかねがね、論文でお見受けしてますわ」
その久遠を迎えたのは褐色の肌で満面の笑みを浮かべるサラ船長だった。サラは久遠に手を差し出した。もう一方の手で壁際の手すりをつかみ、サラは久遠の手をとって、その身を抜け出させるを手伝ってやる。
サラの周りを他三人程のスタッフが固めていた。
「いや! そんな! まだまだ論文を引用させてもらう身ですわ! ましてやンボマ博士の論文には、何度引用させてもらったことか!」
「堅苦しいのはなしよ、桐山博士! 私のことはサラでいいわ!」
「じゃあ、サラ博士。私も久遠でお願いしますね」
「オッケー! ミズ・久遠!」
引き出す為に握った手でそのまま握手し久遠とサラが互いに微笑む。久遠は握手の手を軸に体を起こし、背中を伸ばしてサラと正面から向き合った。
「ああ! それにしても! SSS8に来たのね! 研究者垂涎の的の! 世界最大の粒子加速器に!」
「そうよ。歓迎するわ」
「はーい……入り口で話し込むと……後ろの〝者〟の邪魔ですよ……」
話し込む久遠の背中を何かが柔らかく押した。サラとの話に気をとられていた久遠は、軽く驚いて振り返る。
久遠が振り返るとそこには、ヌイグルミがつむじをこちらに向けて浮かんでいた。
「ナマケモノ……通りまーす……」
ナマケモノの後ろから美佳の声が届く。だが美佳の姿は見えない。ナマケモノの着ぐるみは自分でハッチを通る気がないようだ。
ハッチの丸いふちに引っかかりながら、ヌイグルミのふわふわでもこもこの体が押し出されようとしていた。チューブから押し出される歯磨き粉のように、ナマケモノはにゅっと後ろから押されて出てくる。
「あら、ゴメンね。ダレルスキー」
「……」
出てくるナマケモノのヌイグルミオン――ダレルスキーを見つけ、サラが大きく目を見開いた。ぴくっと指が一つ痙攣するように動き、無重力に浮いた身で更にかかとを浮かせかけて止まった。
そしてサラは何かの衝動に負けまいとしているかのように、うずうずとその場で身をよじる。
「ぐふふ……お邪魔します……」
ナマケモノが押し出されるままに出て宙に浮かぶと、その後ろからヌイグルミの背中を押していた美佳が続いた。
「紹介しますわ。この娘が我が宇宙怪獣対策機構のオペレータ。須藤美佳ちゃんです。で、こっちがヌイグルミオンのダレルスキー」
他のスタッフに身を引いてもらってハッチから体を抜き出す美佳。その美佳と宙を気ままに漂い出すヌイグルミを、それぞれに指し示して久遠がサラに紹介した。
「よ、よろしく!」
少々うわずった声でサラが応えた。そのサラの目が漂うヌイグルミに、ヒモでもついているかのように引きつけられ追いかけていく。あまつさえその背後にヌイグルミが漂い出すと、サラは首ごと振り返って追いかけた。
「サラ博士?」
「……」
久遠の呼びかけにサラは振り返らない。
「サラ博士?」
「えっ? 何かしら」
二度名を呼ばれサラが驚き我を取り戻したように振り返った。
「いえ。うちのヌイグルミオンが何か? 政治的に微妙なのは分かりますが、ここは一つ見逃して――」
「見逃すなんて、とんでもない!」
サラがくわっと目を見開いた。頬を紅潮させ唾すら飛ばして久遠に応える。
「はい?」
「あ、いや……ヌイグルミオンは、今回のミッションの立役者ですからね。コアラとウサギのヌイグルミオンには、STVの救出に大変力を尽くしていただきました。せっかく動く縫いぐるみが居るんですもの……できれば自由に……そのいつでも、もふもふできるように……ああ、一体ぐらい手元に……」
サラがうつむき最後は小声で何事かつぶやく。
「サラ博士?」
「あっ? いえ! 今までは政治的にうるさい国もありました! 確かにコアラとウサギのヌイグルミは、今まで部屋にこもっていてもらいました! 私ですら会っていません! ですがその有用性が確かめられた以上、これからはヌイグルミオンも自由に船内を動いていただいて結構だと思います! 少なくともコアラとウサギのヌイグルミだけでも! この船の英雄ですもの、自由にしてもらいますわ! もちろん関係各位には、私が説得します!」
サラがもう一度久遠の手を取った。今度は両手で久遠のこちらも両手を包み込むように持ち、その手を力強く何度も上下に振った。
「は、はぁ……」
久遠はそのサラの情熱的な様子に、かすかに身を後ろに退いて応える。
「ああ! 宇宙飛行士さん! ありがとうございました!」
美佳の後で同行していた宇宙飛行士がハッチから姿を見る現すと、これ幸いにと久遠がサラの手をほどいて振り返る。
「ぐふふ……」
久遠が後ろを振り返ると美佳がサラの顔をのぞき込んだ。美佳は怪しげな光をその半目の目に浮かべ、何か悪巧みをしているかのように口角を方頬だけ上げる。
「何? ミズ・美佳?」
その笑みにサラが困惑しながら振り返った。
「ヌイグルミオンは大量に連れて来た……この後与圧モジュールから、ぞろぞろ入船させる……皆働きたい……」
「え、ええ……聞いてるわ……でもさすがにその数を自由にさせるのは、各国がどう言ってくるか……そこは分かってちょうだい……」
「ヌイグルミオンはデータリンクしてる……」
「それも知ってるわ。それが何か?」
サラの困惑の表情は更に色濃くなった。眉間にシワを寄せて少し身を引きながら美佳を見返す。
「お友達連絡網がある以上……色々なところに居れば、色々なデータが集められる……」
「むしろそれは、各国の懸念材料よ」
サラの眉は今度は困惑に深くなる。真っ直ぐに左右に伸びた眉がそのシワを更に深めていく。
「ふふん……でも少なくとも一体、一番置いておきたいのは――船長室……」
「『船長室』!」
サラの眉間のシワが一瞬で吹き飛んだ。
「沢山居るヌイグルミオン――」
「た、『沢山』!」
サラの眉が今度は弧を描いた。
「そうその沢山居るヌイグルミオンから、どれでも好きな――」
「『どれでも好きな』!」
眉の下に続く目が誰はばかることなくきらめいた。
「そうどれでも好きなヌイグルミを、片時も離れずに手元に置いておいてもらいたい……」
「『片時も離れずに』!」
輝くその目の下に続くのは紅潮し切った頬に、緩みきって開けられた口だ。誰が見ても明らかな程サラの喜びに輝いていく。
「働くヌイグルミは、チョーカッコ可愛い……手元に一体……それは船長にとって、当たり前の権利……」
その喜色に輝くサラの瞳を迎えたのは、怪しい笑みを浮かべる美佳の半目だった。
「ミズ・美佳……あなた……」
その半目を真顔になって見つめ返すサラ。そのサラに美佳が思い切り手の平を広げて差し出した。
サラがその手をがっしりと握り返すと
「ぐふふ……政治的取引成立……」
美佳の背後を暢気にナマケモノのヌイグルミが漂い流れていった。
改訂 2025.09.17