十二、一意専心! キグルミオン! 8
漆黒の闇を失い薄暗い不自然に明るい宇宙空間に、それでも一際まぶしく輝いたノズルの炎。縦軸に切り込むように回転していたSTVのノズルの一つが火を噴いた。
「はいはい! ヒトミちゃん! 任せたわよ!」
それと同時にヒトミのキャラスーツの頭部で久遠の声が再生される。
「久遠さん!」
姿勢制御のノズルを噴いたそのSTVの中から届いた、やや緊張感のないその声。だがSTVそのものは噴射前より状況が悪くなったように見える。
独楽が回転するように、ネジをねじ込まれるように、規則的に回転していたSTVの軌道がその噴射でぶれた。今度は独楽が力を失って止まる寸前のようにふらつき、壊れたネジ穴に強引にねじ込むように歪みながら、STVが不安定にぐらぐらと揺れ始める。
「うおおおぉぉぉ……」
その証拠と言わんばかりにわざとらしい美佳の雄叫びも再生された。
「ちょっと、美佳! 大丈夫なの?」
見るからに不安定な回転を曝すSTVと、わざとらしいが一応聞こえてきた美佳のただならない声に、ヒトミが悲鳴めいた声を上げる。
「ダメかも……」
「美佳!」
返って来た答えにヒトミは更にその名を呼ぶる
「ダレルスキーの手足が……めちゃくちゃダンシングしてる……まずい、こんなに躍動感のあるナマケモノは……私の縫いぐるみ美学に反する……ダメ……見るに耐えない……」
「もう! 真剣に訊いてるのに!」
「はい! ヒトミちゃん、落ち着いて! 私も美佳ちゃんも、宇宙飛行士さんも。みんな大丈夫だから。落ち着いて、指示に従ってね」
「久遠さん!」
「いい、ヒトミちゃん。ぶれるのは仕方がないわ。元より回転方向に向かって噴くノズルがないから、なるべくそれに近い働きをしてくれるノズルを噴かせたのよ」
「はい」
「でも別の方向にも力が働くから、今見てるみたいに不安定な動きをしてるの。いい、これをどうにかして頂戴」
「私がですか?」
「俺がだ! 着ぐるみ! 貴様は俺のフォローに回れ!」
その言葉と同時にイワンがロボットアームを蹴った。イワンはいつの間にか、手に命綱とは別のロープを持っている。
「イワンさん!」
「俺がこのロープの先端を宇宙船に引っ掛ける!」
イワンはヒトミに振り向かずに応えると、それでも相手によく見えるようにかロープの先端を肩の上に持って来た。
イワンの肩越しに金属製のフックが着いたロープの先端が見える。
「できるんですか! めちゃくちゃ回転してますけど!」
ヒトミもロボットアームを蹴り、命綱を後ろにたなびかせながら宇宙に飛び出す。
その後ろを二体の宇宙服姿のヌイグルミオンが続いた。
「できる! いや、やる! めちゃくちゃとはいえ、先ほどより噴射のおかげで速度は落ちている! 簡単な縦軸回転のままなら、速度的に危険だったが、今ならできる!」
「でも! ぐらんぐらん揺れてますよ!」
「ふん! そんなもの! 後ろのSSS8の連中にかかれば、あっという間に軌道を計算してくれる! ぶつからない、ぎりぎりの位置を教えてくれる! 俺達は言われた角度に、このフックを突き出すだけだ!」
ヒトミに答えるイワンの身がその答えともに真空中で止まる。ピント張られたイワンの命綱。それでイワンとSTVの距離が計算通りの位置に来たようだ。少し手を伸ばせばSTVに届きそうな位置でイワンの体が止まる。
「おお!」
ヒトミが雄叫びを上げながら同じような位置で止まった。それと同時ヒトミの体がくの字に曲がる。急に伸びなくなった命綱に背中を引っぱられたようだ。
ヒトミに続いてユカリスキーとリンゴスキーも似たような姿勢で止まった。
「何をふざけてる? 着ぐるみども!」
「いや! 急に引っぱられたから! それに目の前をSTVが暴れて、かすめていきますよ!」
ヒトミの言葉通り不安定に揺れるSTVの巨体が、ヒトミ達の鼻先をかすめるように回転している。
「それぐらいで、奇声を上げるな! これがこの巨大で回転しているSTVに、ぎりぎり近づける距離だ!」
「ひゃあ! ホントに、大丈夫ですか? 何かちょっとぶつかったら、あっという間にどっか弾き飛ばされそうですよ!」
「いちいち、うるさいぞ! 宇宙は本来これぐらい危険なところだ! これだから、まともに訓練も受けてない奴は!」
「ああ! ちゃんと、民間宇宙港で! ちょっとは訓練しましたよ!」
「『民間宇宙港』で、『ちょっと』だと! ええい! もういい! ふざけた態度は、その着ぐるみだけにしておけ! 作業にかかるぞ!」
「はい!」
ヒトミの返事を待たずに、イワンはロープを持った右手をSTVに向かって差し出した。
「サラ船長! 指示を頼む!」
「オッケー! そのまま手旗信号を振り下ろすように、私の合図で下ろして! そのタイミングで、作業用の足場がその位置に来るはず! 回転の力には逆らわないで、手応えがあったらすぐに手を離して! 後はウインチが速度を殺してくれるわ!」
ヒトミとイワンの耳元でサラ船長の緊迫した声が再生された。
「それで終わりですか?」
「ミズ・ヒトミ! 一度の作業では完全に速度を抑え切れないわ! 同じような作業を七回繰り返す予定よ! その際に、イワン大佐の体が反動で飛んでいかないようにするのが、あなたの仕事よ! できるわね?」
「できます!」
「オッケー! 全ての作業が終わるまでには、全部で二時間弱を見込んでいます! それまで、STVの三人には頑張ってもらうしかなないわ! ではカウントダウン! 十、九――」
サラがヒトミの返事を合図にしたようにカウントダウンを始めると、
「悪い知らせだ……」
その音声にかぶさるように板東の抑揚を押し殺した声が再生された。
「隊長! 何ですか?」
サラのカウントダウンはそのまま続けられる。それを耳元で聞きながらヒトミが板東に聞き返した。
「落ち着いて、よく聞いてくれる仲埜。イワン大佐。たった今ハッブル7改から情報が来た――」
「――ッ!」
板東のその声にヒトミとイワンが同時に息を呑んだ。
「四、三――」
サラのカウントダウンもややかすれたものに変わる。
「発見が遅れた……宇宙怪獣が、後数十分で到着する」
「一――」
板東のその声とサラのカウントダウンは同時に終わり、
「くそったれ!」
イワンが手元のロープを振り下ろした。
改訂 2025.09.12