十二、一意専心! キグルミオン! 2
「たく……子供か、お前は……仲埜……」
坂東は呆れたように腕を組んだ。板東は操作板のドアが所狭しと並んだ壁に、その背中を預けて立っていた。板東は無重力故に完全に押しつけることができない背中を壁から浮かせながら、それでいてそこに押し留まる為に背中を壁に預けてじっと前を見つめる。
坂東の前ではヒトミがヒザを勢いよく上下させていた。ヒトミは自転車のサドルのようなイスに腰掛けペダルを漕いでいる。ヒトミが腰から下を踏ん張らせながらも、その両のヒザはリズミカルに交互に上げられていく。
ヒトミのヒザは素肌が見えていた。今日も着ぐるみ姿ではなく、Tシャツに短パンのラフな格好でヒトミは額に汗をかいていた。
「子供ですよ! ええ、子供ですとも! ロシアの大佐さんに、意地になって張り合うお子様ですよっと! ああ! どっちかって言うと、お年頃です!」
ヒトミは車輪のない自転車を漕ぐようにひたすら同じ場所でペダルを漕いでいた。
先と変わらずヒトミが筋力トレーニングに勤しみ、坂東がその様子を確認するように見守っている。先ほどまでの光景と違うのは、対抗意識を燃やして隣に並ぶロシアの大佐が居ないことだ。
「そうか」
「ああ! あいかわらず、何かムカつく! 私も十五ですよ! 十五! 花も弾けるお年頃ですってば!」
「『弾ける』のか?」
「もう弾けまくりですよ! 弾けるように咲きまくりですよ! てか、隊長! 隊長は筋力トレーニングしなくって、いいんですか? 怠けてると、私が一気に追い抜きますよ!」
ヒトミが最後の一言とともに更に腰から下に力を入れた。エルゴメーターと呼ばれる自転車のペダルを同じ場所で漕ぎ続ける器械に跨がり、ヒトミがサイクリングでも楽しむかのようにペダルを軽やかに蹴った。言葉程は怒っていないようだ。ヒトミは軽い調子でエルゴメーターのペダルを踏む。
「俺はお前の指導が優先だ。間違ったやり方をしないようにな。見ておいてやる。それとお前が終わったら、俺もする。気にするな」
「そんな暢気でいいんですか? のんびりしてると、本当に追い抜かれますよ」
「俺がお前に何か抜かれる程、ヤワではない」
板東が無意識にか鼻から息を抜きながら応えた。
「あっ、笑いましたね! ロシアの大佐さんも、そんな顔して追い抜かれてましたよ。まあ、最後はもう一度抜き返されましたけど……ああ! 思い出したら、ハラ立って来た! 大人げないですよ! あのイワンって人!」
「宇宙飛行士はものすごい競争を勝ち抜いて宇宙に上がって来る。基本負けず嫌いだ。もちろん身体能力も桁外れだ。油断しなければ、今のお前が勝てる相手じゃない」
「ぐぬぬ……よし! やっぱ、筋トレだ! 特訓だ!」
ヒトミが先にも増してペダルを漕ぐペースを上げた。
「仲埜、ペースを守れ。俺はお前のフライトサージャンじゃない。下手にオーバーワークになっても、軌道修正してやれんぞ」
「はーい。えっと、フ――何ですか?」
「フライトサージャンだ。宇宙飛行士の健康管理なんかをしてくれる専門医だ。黎明期の宇宙船では地上に居たがな。ここじゃ、桐山博士かプーラン博士が、自身の研究の合間を縫って、面倒見てくれる。直接診た方が早いからな。だから余計な手間をかけさせるなよ」
「プーラン博士?」
「最初にお前を検査してくれた女医さんだ。プーラン・ラマヌジャン博士。言っておくが、気さくな人だが、世界的な頭脳の一人だぞ。迷惑かけるなよ」
「はーい。あっ、博士と美佳。後もう少しで着くんですよね? SSS8に、STVで」
「そうだ。出迎えできるように、今は予定通りトレーニングを終えておけ。桐山博士と須藤くんは、SSS8が誇るロボットアーム――〝カナダアーム9〟ががっしりとつかまえてくれる」
「アレ、私、みぞおち打ちましたけど?」
「お前が下手に突っ込んで来るからだ。そんな行儀の悪いお前もつかまえてくれたヤツだ。心配ない」
「そうですか。ウィッス、分かりました。では、私は――ペースを上げて」
板東の言葉にヒトミがただでさえ宇宙で浮いている腰を浮かそうとすると、
「上げんでいい」
その板東がすかさずたしなめた。
「はーい。あ、そうだ。隊長!」
「何だ?」
「着ぐるみ着て、トレーニングすれば、いい運動になると思いません?」
ヒトミが一定のペースを保ったままペダルを漕ぎ、荒くはあるがリズムに乗った呼吸で板東に訊いた。
「思わんな」
「ええ! むしろ着ぐるみ着てるぐらいが、私にはちょうどいいのに!」
「余計な汗かくだけだ」
「それぐらいの負荷! どうってことないです!」
「筋力の骨量の維持が目的だと言っただろ? 余計な負荷は必要ない。それより、何か? 着ぐるみを着ると、負担が増すのか?」
板東が意地悪げな笑みをヒトミに向けた。
「ああ! カチンと来た! 言ってくれますね! 着ぐるみ着てたって! いつもと変わりませんですよ! キグルミオンの中の人――仲埜瞳は着ぐるみが普段着ですから! てか、早く着ぐるみ着たい! なんで、三日も経つのに、まだキグルミオン着たらいけないんですか! もうそろそろ、禁断症状が出そうですよ!」
ヒトミがまたペタルに必要以上に力を入れて漕ぎ始める。
「言ったろ? いろいろとしがらみがあるんだよ。それまでは――」
板東が何か口にしようとしたところ、
「何だ? 緊急通信か?」
背後から鳴り響いた非常を告げる甲高い電子音に振り返る。板東はそのまま壁際に設置されていた受話器を取り上げた。板東はヒトミに背中を見せたまま何度か力強くうなづいてみせた。
「何ですか?」
そんな板東の背中にヒトミがペダルを漕ぐペースを落としながら声をかける。
「悪い知らせだ。カナダアーム9の先端部に異常あり。このままでは――」
板東がヒトミに答えながら壁際の一角に手を伸ばした。そこにはモニタが壁に埋め込まれるように設置されていた。板東の操作にモニタは一瞬で光が入る。
「アームがつかめず、博士も須藤くんも宇宙の迷子だ」
板東のその言葉と同時にモニタには宇宙にぽつんと映るSTVの姿が表示された。
改訂 2025.09.10