十一、確固不抜! キグルミオン! 8
「ほおおおぉぉぉえええぇぇぇっ!」
ヒトミは窓ガラスらしきところに顔を押し付けて奇声を発した。
ヒトミの顔一つ押し付けられると枠いっぱいになる窓枠。そこにはめられたガラスに、力の限り顔を押し付けてヒトミは奇声を発する。
ヒトミは電車のような乗り物の中にいた。四角く細長い空間の両サイドにイスが取り付けられ座って移動する乗り物。ヒトミはそのイスに腰掛けず子供が車窓に見入るように、立て膝で座り、背もたれに手をついて窓の外を見ていた。
「仲埜。子供か、お前は。しっかり座ってろ」
その隣にどっしりと腰をかけた坂東が呆れたように唇を歪める。この乗り物の天井はそれほど高くない。坂東は今にも頭が着きそうだと少し首を斜めに傾けていた。
「だって、隊長! SSS8の中に電車があるんですよ! 電車が!」
「リニアだ」
「どっちでも、いいですよ! あっ! 動いた!」
坂東に呆れられてもはしゃぎ続けるヒトミの目の前、でゆっくりと景色が動き出した。窓の向こうの壁がすっと遠ざかっていく。
坂東の言葉通り動力はリニアらしくヒトミを乗せた車両は音もなく動き出した。やはりこれは車両で駅を発ったところらしい。光に溢れた地下鉄のプラットフォームのような景色が向こうに流れていき、変わって暗いチューブ状の空間に車両が吸い込まれていった。
「しかもすごい静かじゃないですか!」
「はは、気に入ってもらえたかな」
坂東とは反対側の隣に座った中年男――鴻池がヒトミに振り返る。
「そりゃ、もう!」
「SSS8の中は広いからね、螺旋状に輪を描いている中に、こうやってリニアが走ってる」
「へぇ! おっと!」
鴻池に返事を返すヒトミの体が足から浮き出す。
「だから、しっかり座ってろと言ってる。ベルトを締めてろ」
坂東が斜めに傾けた顔で、苦虫をかみつぶしたような顔をしてみせる。よく見れば坂東も鴻池も腰にイスから伸び出たベルトを巻いていた。
「はーい」
ヒトミが渋々といった感じで腰から座り直した。自身に割り当てられたベルトを巻いていると、ヒトミは何かに気がついたように顔を上げる。
ヒトミ達三人以外の乗客がこちらを見ていた。
「ん?」
ヒトミが不思議そうに皆を見つめ返す。
人種も国籍も全てを入り交じった男女がヒトミを見ている。幾人かは手さえ振り、ヒトミに注目していることをわざわざ伝えてきた。
「皆さん、こっち見てますよ、隊長。お知り合いですか?」
「お前が有名人だからだ。自覚しろ」
「むむ。キグルミオンより、中の人が有名なのは問題なのです」
「安心しろ。ちゃんとキグルミオンの中の人として有名だ」
「おお。やっぱり、着ぐるみヒーローは世界共通の憧れなのです! あんなに世界各国の大人な皆さんが、こっち見てるなんて! ああ、キャラスーツでいるべきでした! 仲埜瞳、一生の不覚!」
ヒトミはそれでも生身の手で、こちらを見ている他の乗客に手を振り返した。
「はは。大人なだけじゃなくって、皆各国の一流の頭脳や、技術者だよ」
「へぇ」
鴻池の言葉にヒトミが感心したようにうなずきながら皆を見回した。
「もっと驚け、仲埜。将来のノーベル賞候補が、うじゃうじゃ乗ってるぞ」
「ええ。そうなんですか?」
「そうだよ。SSS8は世界で唯一、ここでしかできない実験が数多くできるからね。世界中から、お金も頭脳もやって来るんだ」
自身もその内の一人であろう鴻池がヒトミに習っておどけたように手を振った。
その様子に他の乗客達の何人かが吹き出す。
「笑われてますよ」
「何でだろうね」
「おやっさん。おやっさん程の頭脳が、そんなに威厳もないことしてるからです」
「おやっさんさんも、すんごい頭なんですか?」
名前を聞いても結局『おやっさんさん』と呼ぶことにしたらしい。ヒトミは特に悪意もなく年上の『すんごい頭』の人物を気さくに呼んだ。
鴻池も気にしていないようだ。笑顔のままでヒトミに応える。
「さあ、どうだろうね。着いたよ」
動き出した時と同様に止まったことも分からない程、リニアの車両が音もなく停止した。実際多くの人間が駅の光が差し込んできたことで、次の駅に着いたことに気づいたようだ。
乗客の幾人かが腰のベルトを外す浮かび出す。
ヒトミ達三人もベルトを外した。すっと浮いた身で頭上に手を差し出し、ヒトミは頭を天井に打たないように身を守る。
ヒトミはそのままドアをくぐる。その背中をやはり残った乗客が興味深げに見送った。
「あれ?」
停車した車両の向こうを別の車両が追い越していく。かなりの速度を出して別の車両が駅を通過していった。その様子にヒトミが素っ頓狂な声を上げる。
「どうした?」
駅の出口に向かっていた坂東が振り返る。
「今、特急が通りましたよ。ビューンって、追い越してきました。でも、窓も何もなかったんですよ」
「窓がないところまで、よく見えたね」
鴻池も振り返り感心したようにうなづく。
「見えましたよ。着ぐるみアクターの動体視力なら、あれぐらいどうってことないですよ。でも、せっかくの電車なのに、窓もないなんて残念です」
「あれは特急は特急でも、寝台特急だからな」
「『寝台特急』? 寝てないと着かない程、さすがにSSSも広くないでしょ?」
ヒトミは坂東の説明に納得いかないのか大きく首を捻る。
「はは、移動時間がかかるから寝るんじゃなくって、寝る為に移動するからね。同じところをぐるぐると回るんだ」
今度は鴻池が答える。
「はい?」
「SSS8は基本無重力だ。だから、日頃から筋力の衰えを補う為に、運動が欠かせない。だが体を鍛えていて当たり前――そんな職業宇宙飛行士ばかりが、このSSS8には来てるわけじゃない」
「はぁ」
坂東の説明にヒトミが更に首を傾げる。
「だから、わざとぐるぐる回ってるだけの車両を走らせて、遠心力で少しでも擬似的に重力を作るんだ。わずかでも筋肉の衰えを遅らせる為にね。特に睡眠に利用されるから、寝台特急と呼ばれているんだ」
坂東の後を受けて鴻池が説明した。
「そういうことだ。ほら、いくぞ、仲埜」
話を締めた坂東の声が聞こえていたのかいなかったのか、
「だから、寝台特急! ほおおおぉぉぉえええぇぇぇぇっ! すごいのです!」
ヒトミは再び動き出した車両に感心したように今度も奇声を発して見送った。
改訂 2025.09.08