十一、確固不抜! キグルミオン! 3
「おやっさん。仲埜の様子は?」
宇宙の無重力に身を任せながらも、強面な顔を崩さない宇宙怪獣対策機構の隊長と呼ばれる大男――坂東士朗は、先をいく中年男の背中に話しかけた。
真剣な顔で呼びかける坂東の首筋にはコアラのヌイグルミが、無重力故の無軌道も相まって、楽しげに左右に揺れていた。首筋にはしっかりつかまりながら、それでいて胴から足にかけてはふわふわと無重力に任せて浮いている。
坂東が呼びかけた中年男の背中にもウサギの縫いぐるみが、嬉しげに抱きついていた。こちらは四肢をがっしりと背中に絡ませ、ウサギ特有の長い耳を無重力に揺らしていた。
「格納庫でキャラスーツの排出中。いやあ、あの格納庫。作っといてよかったね。この十年、毎年維持費の予算の必要性を訊かれてたんだよね。いやあ、残しておいてよかった」
中年男がどこかとぼけた口調で応える。男は慣れた様子で無重力の通路を行く。無重力にもこの施設の構造にも、どちらにも慣れているのか迷いなく壁を蹴り先へと進む。
「そうですか……」
そんな男に坂東も遅れず着いていく。こちらはどちらかと言うとその逞しい四肢で、強引に速度を稼いでいるようだ。坂東が壁を蹴る度にいつものカチャカチャという金属音が聞こえて来る。坂東は宇宙服のブーツでも拍車のかち合うような音を鳴らして先を行く。
「まあ、気にするな。ところで坂東くん。あっちは見ていくかね?」
中年男がくいっとどこかを指し示すようにアゴを動かした。
「いえ」
「そうかい? 確かに、見ても仕方ないか。今は仲埜くんと、久遠くんのキグルミオンが大事だからね」
「あれが、今の人類の希望です」
「そうだね。あの猫の着ぐるみが、今では我々の希望だ。でも猫型なのは、久遠くんらしいね。小さい頃から、可愛いもの好きの可愛い娘だった」
「飛び級で大学に、行ったとか。おやっさんのゼミに」
「そうだよ。久遠くんは人類初の宇宙怪獣襲撃を機に飛び級を決めた。一日でも早く、宇宙怪獣と戦える力を手に入れる為だってね」
「……」
「日頃から資金援助をしてもらっていた久遠くんのお祖母様から、連絡があった時は驚いたよ。『ウチの十にもならない孫娘が、宇宙怪獣と科学的に戦うと言ってる』ってね。『科学的に戦う』だよ。孫娘がそう言ってるから、飛び級で僕のゼミに入れろだよ。どんな娘が来るのかと、最初はちょっと身構えちゃったね」
「そうですか」
「まあ、実際は――年相応の可愛らしい女の子だっけどね。そのまま一人前になって、猫の巨大着ぐるみ作っちゃったけど」
「今でもヌイグルミに囲まれて仕事してすまよ。オペレータの娘と一緒にね」
坂東がうるさげに首を振りながら応える。
頑として首から手を離さず、それでいて振られるがままに体を揺らすユカリスキー。そのユカリスキーは揺れが収まると、中年男に何度もうなづいてみせた。
「はは。政治一家の須藤家の美佳くんだっけ? その娘も相当らしいね。まったく。科学力と政治力を全力で女子力に使うなんて……いやいはや、困ったもんだ」
中年男は言葉通りには困った様子も見せず、とあるドアの前で止まった。無重力に任せていた身をそのドアノブに手をかけることで止める。慣性に下半身と背中に背負ったウサギのヌイグルミオン――リンゴスキーがふわりと揺れる。
「おかしな職場です」
坂東はドアについていたわずかな突起に指をかけて止まった。自身の屈強な体躯を、数本の指だけで止めてみせる。
「おかしなのは運命の方だろ?」
「運命?」
二人は開いたドアから中に入る。
ドアの向こうに視界が開けた。視界は開けたがすぐにガラス越しの視界だと分かる。ドアの向こうのすぐに壁のようにガラスが張られていた。
ガラスの向こうには愛くるしい猫の巨大な頭があった。
キグルミオンのアクトスーツ。その頭部だ。
ガラスの向こうはこの部屋よりも更に広い空間になっており、キグルミオンがこちらに向き合う形で格納されていた。
そのキグルミオンの背中には、今まさにロボットアームが差し入れられているところだった。
「そうさ。君が十年前に救助にあたった――」
中年男はドアに入った勢いでガラスまで一気に近づく。
「……」
男に応えず坂東がその後ろを追った。
「〝立ち向かう少女〟が今まさに、宇宙怪獣に立ち向かっている」
中年男の言葉と同時にアクトスーツの猫の顔が、力が抜けたかのようにがくんと額を垂れる。
代わりにその背中からロボットアームが戻され、その指先につかまれたキグルミオンのキャラスーツがあらわになった。
「誰でもキグルミオンの中の人になれる訳ではないのは、君が一番よく知ってるだろ?」
「……」
「あの時の少女が我々が求めてやまない『観測問題』を乗り越えるウィグナーの友人だった。やれやれ、『人間原理』を〝強く〟考えてしまいそうだよ。この運命には」
「……」
坂東は黙ったままガラスの向こうに視線を送る。
ガラスの向こうではロボットアームにつかまれたままキャラスーツのヒトミが、こちらに気づいて手を振っている。
ガラスの向こうからヒトミの声が同時に再生された。
「どうもです!」
それは運命など気にしていないかのような少女らしい明るい声だった。
改訂 2025.09.06