二、抜山蓋世! キグルミオン! 2
「オイッチ、ニッ! と!」
猫の着ぐるみが雑居ビルの前でストレッチを始めた。
勿論それは仲埜瞳が中の人になっているキグルミオンのキャラスーツ。キグルミオンのコックピットとでも言うべき、人類最後の希望の大事な一部分だ。
「私の着ぐるみ愛なら、どんな着ぐるみだってなり切ってみせるんだから。あ、おはようございます!」
そんな大事な着ぐるみが、無防備にも街中でストレッチをしていた。あまつさえ瓦礫の道ゆく人びとに、知った顔を見つけては挨拶していた。
「おはようございます! 今朝も早いですね! あ、どうもです!」
ストレッチ中のヒトミに幾人もの人が声をかけてくる。ヒトミはその度に挨拶を返した。
「おっ、今日も頑張るね」
「お姉ちゃん、ここのところ毎日ね。いつも走ってるじゃない」
「暑くない?」
通行人は次々と声をかけてくる。宇宙怪獣に蹂躙された街。その爪痕もまだ生々しい街に、ふわふわでもこもこの着ぐるみが毎日現れる。それは人びとの気分を少し明るくしているようだ。
「はい、頑張ります! でも、お姉ちゃんじゃ、ありません! キグルミオンなのです! 暑くなんてないです!」
「ヒトミちゃん! すっかり有名人ね!」
ヒトミの頭上から、久遠の声がする。見上げてみれば久遠が窓から上半身を乗り出してこちらをのぞいていた。
「ふふん……毎日あの姿でランニングしていれば、否が応でも目立つ……」
美佳も顔だけのぞかせていた。
「着ぐるみは皆の人気者! これぐらい当たり前ですよ!」
どうやらこの一週間ですっかり人気者になったようだ。集団登校中なのだろう、通りがかりの子供達が我も我もと近づいてくる。
キグルミオンはあっという間に子供達に囲まれてしまう。
握手を求め、抱きつき、歓声を上げる子供達。中には乱暴に叩いてくる子供もいたが、ヒトミは笑顔で相手をする。
街のいたるところに残る破壊の後。災害復旧にあたる為に、無骨な車両がひっきりなしに行き来している街路。
空には報道も含め、災害派遣用など多くのヘリがけたたましいモーター音を上げて舞っている。
否が応でも被害の程を思い出させる光景だ。
そんな中キグルミオンの周りだけは、日常を忘れさせる優しい雰囲気に包まれていた。
だが微かな希望を感じさせるこのほのぼのした光景に――
「おう! 姉ちゃんよ! 捜したぜ!」
似つかわしくないドスを利かせただみ声が割り込んできた。
「あなた、この間の?」
ヒトミが声のした方に振り返った。
とっさに周りの子供達の方を抱き、己の後ろに隠そうとする。
「おうよ。この間は世話になったな。捜したぜ。チョッピーさんよ」
宇宙怪獣が現れたあの日。ヒトミのウサギの着ぐるみにナイフを突きつけた暴漢。人をバカにしたような笑みを浮かべ、その男は斜めに身を傾けるように立っていた。
あの日と同じくスーツ姿。だがどこかその懐が不自然にふくらんでいることにヒトミは気づけない。
「あの子はチャッピーです」
「そんなことはどうでもいいんだよ!」
男の怒りは一瞬で燃え上がる。相変わらずのようだ。
子供達の一人がその大声に泣き出し、小さな子供が皆つられるように後に続いた。
「うるせぇ! ガキども!」
「なっ! 自分で怖がらせておいて!」
「知るか! 大人の用事が先だ! ガキなんて、勝手に怖がらせておけや!」
「くっ……皆離れて!」
ヒトミが子供達の背中を押した。幾人かの子供達はそれでこの場から逃げ出し始める。
だが何人かの子供は恐怖に足もすくんでしまったようだ。逃げるどころか増々キグルミオンの足や腰にしがみついてくる。
異常を知った周りの大人達が子供をかばおうと近寄ってきた。
だがしがみついた子供は泣きじゃくるだけでなかなか言うことを聞こうとしなかった。
「動けねぇのは、好都合! 舐められたままじゃ、終われない稼業でね!」
男は人だかりが増えてもお構いなしのようだ。そう恫喝するように吠えると、スーツの懐から鈍く光る金属製の何かを取り出した。
「キャーッ!」
助けにきた大人が悲鳴を上げて、慌てて力づくで子供達を引きはがす。
「ヒトミちゃん!」
「ヒトミ……」
ビルの上でも異常が分かったようだ。久遠と美佳が慌てたように首を引っ込めた。
「ちょっと……それって……」
「おうよ……ちょいっと、引き金引きゃあ……バァンとならぁ……」
男は己の行動に酔っているのか、息を所々呑みながらもへらへらと笑いながらその鈍い金属の塊をヒトミに向けた。
銃口だ。
「私はともかく! 周りの人まで巻き込まないで!」
「うるせぇ! 俺が納得すれば、それでいいんだよ!」
「あなたね!」
二人の周りからさっと人波が退いた。ヒトミにしがみついていた子供達も、周りの大人達が引きはがしていた。
だがまだ一人キグルミオンの後ろに隠れるようにしがみついていた。年端も行かない少女がキグルミオンの背中にかばわれ泣きじゃくっている。
「止めなさい!」
ヒトミが両手を大の字に拡げた。それは背中の子供をかばう為でもあり、無抵抗を示す為でもあっただろう。
「やかましい! 誰に物言ってんじゃ!」
しかし男は聞く耳を持たなかった。
男がぐっと銃を握る手に力を入れた。
「死ねや……」
男の目が憎悪と己の行為に酔って歪む。
「この……」
子供を背にしたヒトミがどうしようもなくつぶやくと、
「止めろ!」
空高く戦闘服に身を包んだ大男が落ちてきた。
改訂 2025.07.29