十 天衣無縫! キグルミオン! 10
「何ですか?」
ヒトミがその光に目を向ける。全体では円形を描くスペース・スパイラル・スプリング8。その外周の一角から何かが飛び出してきた。
それはSSS8の外周に比べれば豆粒のように小さい。ともすれば見失ってしまいそうなその小さな光の点を追って、ヒトミのキグルミオンのつぶらな瞳が向けられる。
「姿勢制御装置だ。かなり簡易だがな」
坂東の声がヒトミの疑問に答える。
「『姿勢制御装置』?」
ヒトミがキグルミオンの中で目を凝らした。先よりは少しその点は大きくなっている。
そしてヒトミとともにまずは外周を越えた。SSS8の中央にぽっかりと空いたドーナツの穴の部分を背景に、それはぐんぐんとヒトミに近づいて来る。
「ランドセル?」
大きくなるに連れてそれは何かランドセル状のものであることがシルエットで分かった。四角い箱状のものに肩から腰にかけてまわす平たいベルト状のものが取り付けられている。
「ランドセル――金属のランドセルですか?」
ヒトミは坂東に応えながら足下に目をやる。慣性を殺す為に足を先に移動しているヒトミは、その足下にSTVの推進部を、そしてその更に向こうに赤い光の群れを見た。赤い宇宙怪獣の目の光に混じって、その下の剥き出しにされた牙の光すら、ちらちらと見える程に今や近づいていた。
「そうだ。パックパックだ。それを背負ってもらう」
「背負えばいいんですか?」
坂東がバックパックと呼んだ飛んで来るものに、ヒトミが体ごと向き直る。
こちらももう細部も分かる程キグルミオンに近づいてきていた。金属製の機械に平たいベルト。坂東が言うようにやはり背負って使うようだ。
最後は斜めに並走するように飛んで来るパックパック。人間が背負って使う形でなおかつキグルミオンが背負える大きさだった。
「そうだ。SSS8から射出されて、慣性で飛んできているだけだからな。こちらで捕まえないといけない。任せたぞ」
「わかりました――やっ!」
ヒトミは最後に気合いを上げると右手を勢いよく突き出した。
キグルミオンのふわふわでもこもこの右手がバックパックのベルトをつかんだ。ヒトミはそのままの勢いでバックパックを背負う。
「どうだ? 仲埜?」
「……」
坂東の問いかけにヒトミが軽く首をひねって両肩をぐるぐると回す。
「どうした?」
「何か、ちょっと小さいような。一応問題なく背負えましたけど」
「……そうか……問題ないのなら、大丈夫だ」
坂東がタイムラグもない通信でやや遅れて応える。
「オッケー、ヒトミちゃん! 背負えたのなら、多少小さくっても大丈夫よ!」
ヒトミと坂東の通信に久遠の声が割って入る。
「久遠さん! これで宇宙遊泳も自由自在ですか?」
「……はは! そこまではね! でも、宇宙じゃ一方に力を入れると、どこまでもそっちの方向に飛んでっちゃうからね! イオンエンジンで進む探査機とかか、光子の反射を利用する宇宙ヨットはそれがありがたいんだけど! とにかく! STVの最後の噴射で、宇宙怪獣の群れの前に立ちはだかるように相対的に停止するわ! そのままSTV一番機は廃棄! 以降、バックパックのノズルで慣性を制御します! 制御は任せて! 半分以上は自動で! それ以上はこちらで何とかするわ!」
こちらは本物のタイムラグの後に、久遠がそのタイムラグを気にしてか一気にまくしたてた。
「制御はお任せですか?」
「……ふふん……そう、制御はこちらにお任せで……」
次に答えたのは美佳の声だった。
「美佳! 美佳がやってくれるの?」
「……ぐふふ……正確には、パックパックの中に居る宇宙人のヌイグルミオン――キャトルスキー君と、アダムスキーちゃんがやってくれる……」
「『キャトルスキー』とか、何だか怖いんだけど!」
「……ふふん、冗談……中にヌイグルミオンは居ない……慣性を計算して、ある程度は勝手に制御してくれる……大きく移動したい時は、こちらに言って……」
「分かったわ!」
「仲埜! こちらはひとまずSSS8にドッキングする! しばらく任せた!」
坂東を乗せたSTV二番機はその通信を合図にしたように、機体の横につけられたノズルから一つ火を噴いた。その勢いですっと軌道をSSS8よりに曲げていく。
「分かりました!」
応えるヒトミの体がSSS8の反対側の外周にさしかかる。
その外周に向かってヒトミを宇宙に打ち上げた二番機がキグルミオンから離れ遠ざかっていく。
「……」
宇宙に一人取り残されて、ヒトミは静かに瞳をつむった。
ヒトミは慣性に任せるままに宇宙を漂い、そしてこちらも慣性のままにゆっくりと回転していた。
宇宙をゆっくりと錐揉みするようにいくヒトミ。ヒトミはSSS8の外周を背に、その次の瞬間には宇宙の深淵を背にして無言で宇宙に身を任せる。
キグルミオンの巨大な体がSSS8の外周を抜けた。外周の上を抜けたとも、外周の下を抜けたとも、外周の横を抜けたとも言えない宇宙でのキグルミオン。
「……」
ヒトミは前後左右上下全てを宇宙に囲まれその身一つで曝しながら漂っていく。
不意に足下のSTV一番機の推進モジュールが火を噴いた。そしてお役御免と言わんばかりに勝手に足下から外れていく。
「……」
ヒトミはやはり無言で目を開け、宇宙で腰を軸に体をゆっくりと起こした。
宇宙の無重力に身を任すヒトミ。その姿にはもはや打ち上がった最初のはしゃぎっぷりも、二番機の壁や天井に頭をぶつけた不慣れな感じもなくなっていた。
ヒトミは宇宙に浮かぶSSS8を地球もろとも背にして浮かんだ。
群れなす宇宙怪獣は眼前にその姿をとらえられる程迫ってきていた。
だが人類の叡智と母なる地球と宇宙の深淵を背負ったヒトミは、
「来なさい、宇宙怪獣……」
それら全てを味方につけたかのように力強く身構えた。
改訂 2025.09.03