二、抜山蓋世! キグルミオン! 1
「む・か・つ・くーッ!」
「まだ言ってるの? ヒトミちゃん」
桐山久遠はあきれたと言わんばかりに息をはき出した。窓に腰掛け、紅茶の香りをくゆらせる。少々つり目な目を愛しげに細め、白衣の科学者はティーカップの琥珀色の水面に顔を近づけた。
視線を揺れる液体に落としながら、久遠は大きく鼻で息を吸う。
「フレーバーにカラー。紅茶はいいわ。物理的で」
自身がくゆらせた香りが、その鼻孔の奥をくすぐる。
久遠はその香りを楽しみながら、窓から事務所の外に目を移した。
宇宙怪獣襲撃から丁度一週間が経っていた。
町は残骸であふれている。物流の確保が最優先。そう言わんばかりに、辛うじて道路のアスファルトだけが見えていた。
他は街路にしろ、建物前にしろ、公園にしろ、除けられ集められた瓦礫が山と積まれている。
それでも人々の生活は戻ってきていた。瓦礫の間を縫うようにして車が行き交い、残骸を踏み越えるように人々が町をゆく。
「……」
久遠はそのまま天を見上げた。神の天罰の鞭にもたとえられる茨状発光体が、やはりそんな町を明るく照らしている。
久遠の表情が一瞬で険しくなる。
そんな久遠の様子を知ってか知らずか――
「何なんですか! あの人? いきなりの初対面で、何が『降りろ』ですか! 何が『君では死ぬだけだ』――ですか!」
若いくぐもった女性の声が室内に響き渡った。
「まあまあ、ヒトミちゃん」
久遠は室内に目を戻し、打って変わった優しい笑みで微笑む。
「ふふん……いきなり素人が、対宇宙怪獣の決戦兵器を操る……ある意味隊長の『降りろ』は正論……」
須藤美佳が一人席に座り、手元の情報端末を操りながら呟いた。相変わらず言葉の抑揚そのものは少ないが、どこか楽しげな口調だった。
美佳の端末の中ではキャラクター化されたヌイグルミ達が、わいわいと部屋の中を楽しげに走り回っていた。
「だって、美佳! 考えても見てよ! 私は実際宇宙怪獣を撃退したじゃない? それを居もしなかった人に、あんな風に言われる覚えはありません! そう思わない?」
「ヒトミの活躍……直で見ていれば、違ったかも……隊長いつもタイミング悪いから……」
美佳と呼ばれてヒトミと応える。どうやらあっという間に仲良くなったようだ。
「そうね。でも、隊長が宇宙に居たのは偶然じゃないわ」
久遠は先程とはまた違ったため息を漏らす。
「ぐふふ……上も汚いことをする……」
美佳の端末の中でヌイグルミ達がひそひそ話を始めた。どうやら美佳の声や行動にいちいち反応するようだ。
「何ですか? 何が汚いの、美佳?」
「ヒトミちゃん。私達の組織――どう思った?」
「えっと……」
「正直に言ってくれていいわよ」
答えをゆっくり聞こうとしたのか、久遠は静かにカップに口を持っていく。
「えっ? その、本気で宇宙怪獣に着ぐるみで戦うつもりなのかな――とか?」
「ふんふん。それで」
「えっと、私の他はたった三人なのかな? とか。私と同い年の高一の女子高生がオペレータってどうなの? とかですかね」
「ふふん……二十前の天才女性科学者もお忘れなく……」
美佳が楽しげに博士の方に向くと、その手の端末の中のヌイグルミ達が手を叩いたり振ったりし始めた。中には飛び跳ねるものもいる。どうやら久遠に賞讃の声を送っているようだ。
「美佳ちゃん、私の歳はいいの。そうよ。私達は色々とおかしいわ。本来私達の特殊行政法人『宇宙怪獣対策機構』は、もっと大きな組織で発足するはずだった……」
久遠が事務所を見回す。どこからどう見ても貸事務所の一室にしか見えない。
「それが方々から妨害が入ってね。『宇宙怪獣対策機構』は発足すら危ぶまれたわ。それをこの美佳ちゃんの家の援助で、何とか立ち上げたのよ。こんな小さな組織でもね」
「へぇ。美佳の家、凄いんだ」
「ふふん……秘密基地から、美味しい紅茶まで……我が家の権力なら、何でも手に入る――ぐふふ……」
美佳が妖しい笑みを浮かべた。情報端末の中のヌイグルミ達が、途端に身を寄せ合ってブルブルと震えだす。
「美佳……ちょっと、笑顔が怖いんだけど……」
「ふふん、冗談……で、ついでにその力を利用して……ここでのアルバイトの口も手に入れた……」
美佳の端末の中で、ヌイグルミ達が今度は自慢げに胸をはった。
「そんな権力振りかざして、その家のお嬢様はアルバイトの待遇なんだ」
「家は家……私は私……ふふん……」
美佳が鼻を自慢げに鳴らす。やはり端末の中のヌイグルミ達もどこか自慢げだった。
「それでね。美佳ちゃんの家のお陰で、何とか手配できたのがこの指令用擬装雑居ビルと、出撃用擬装雑居ビルって訳。後、この二つを繋ぐ形で地下に作られてる格納庫ね。こんな都会のせせこましい中で、宇宙怪獣撃退の為に私達がやっとこさ手に入れた――ささやかな秘密基地がここってわけ」
「はぁ……でも、何でそんなに苦労するんですか? 人類最後の希望ですよね、キグルミオンは? 妨害どころか、世界から援助を受けたっていいぐらいだと思います」
「まあまあ、ヒトミちゃん。落ち着いて。そんな訳で、大事な隊長様が宇宙に出張させられているのも、今も続くそんな妨害の一つのなの」
「そんな! まだ邪魔してきてるんですか? あ、でも。あの隊長さんなら、別にいいです。ずっと宇宙に居てくれて」
「はは。会う前から随分嫌われたわね、隊長も。ヒトミちゃんも、紅茶でもどう? 落ち着くわよ」
「むむ。紅茶じゃ落ち着きませんよ――ちょっと、ランニングしてきます!」
「それはいいけど……」
早くもランニングの為にドアの向こうへと消えていたヒトミ。その背中に久遠は声を投げかける。
「何ですか?」
壁の向こうからヒトミのくぐもった声が返ってきた。
そう、ヒトミの声は最初から最後まで、まるで何かに入っているかのようくぐもっていた。
「その〝格好〟で、ランニングする気?」
久遠はドアの向こうに戻ってきたヒトミの姿をあらためて上から下まで見つめた。
「何かおかしいですか?」
猫の着ぐるみ――キグルミオンのキャラスーツが、心底不思議と言わんばかりに首を傾げてくぐもった声で聞き返してきた。
改訂 2025.07.29