十 天衣無縫! キグルミオン! 3
モニタに大写しになるSTV。それは他に比較するものがない宇宙空間でゆっくり進んでいるように見える。
「一番機! 追いついたんですね!」
ヒトミはがSTVの前方につけられた窓にそのキャラスーツの巨大な頭部を押し付けた。
ヒトミはキャラスーツのプラスチック然としたつぶらな瞳を窓に押し付ける。
宇宙船の緩やかな丸みを帯びた内壁に、キグルミオンの顔が瞳を中心にぴったりと押し付けられた。ヒトミ自身の頭部で窓が完全に防がれてしまう。
その後ろでユカリスキーとリンゴスキーがハッチをくぐって軌道モジュールに入ってくる。
キグルミオンが完全に塞いでしまった窓。その窓とキグルミオンの頭部の間にわずかな隙間を見つけて、ユカリスキーとリンゴスキーがハッチをくぐった勢いのまま楽しそうに頭をねじ込んで来る。
「見える? ユカリスキー。リンゴスキー」
ヒトミがごりごりと目を窓に押し付ける。無重力故それは反動となって自身の体を時折後ろに押し戻していた。
「仲埜。緊張感がないぞ。後、三時間後には宇宙怪獣と会敵するんだぞ」
坂東が軌道モジュール内を確認しながら渋い顔をしてみせる。
「実際、三時間の間することないじゃないですか? ところで、一番機が見えないんですけど? そろそろお尻が見えてもいい頃ですよね?」
ヒトミが窓に目を押し付けたまま角度を変えて機外を見る。だがそこには茨状発光体が照らすほの明るい宇宙が広がるだけだった。
「状況の確認にあてろ。そんなことだから、一番機を探して前の窓をのぞくんだ。前には居ないぞ」
「はい?」
「一時間以上前に打ち上げた機体が、我々のすぐ前に居るとは限らないだろ? 一時間ちょっとで地球を一周しないと、重力に引かれて落っこちる。暢気にこっちが打ち上がって来るのを、止まって待ってるとでも思ったか?」
「ああ、後ろに!」
ヒトミがキグルミオンのまるっこい体をくるりと反転させた。ヒトミは早くも無重力に適応しているようだ。軽く身をひるがえすと迷いなく壁を蹴った。
広くはない軌道モジュールの船内。そこを気ままに舞うふわふわでもこもこなキグルミオンのキャラスーツ。ヒトミは坂東の肩に軽く頭をぶつけながら後部の窓に向かった。
「こら!」
坂東の抗議の声も気にならないのかヒトミは真っ直ぐ後部に向かって飛んでいく。そこにあった窓にやはり頭部を押し付けると角度を浅く目を押し付けて機外に目をやる。
「おおっ! 見えました! あれですね! あのちっこいの! キグルミオン!」
ヒトミが興奮のあまりにか誰も居ない一番機に向かって手を振る。
「そうだ。向こうの方が速度が速いように設定してある。直に追いつくぞ。乗り移る準備をしておけ」
「乗り移る準備……」
さすがに緊張するのかヒトミがごくりと息を呑んだ。
「そうだ。ひとまず向こうに追いつかせて、相対速度を同じにする。実際はすごい速度で動いているが、これで一番機と二番機の速度は相対的にゼロになる。つまりお互いから見れに停止していることになる。止まってる車を乗り換えるのと変わらないが、問題は宇宙だということだ。乗り換えるのに足を着く地面がない」
「……」
ヒトミが一番機を目で追いながら坂東の説明に耳を傾ける。
「SSS8とのドッキングなら、向こうがロボットアームで拾ってくれるがな。こっちはセルフサービスだ。一番機が相対的に停止したら、そこでSTVが推進モジュール以外を自壊して破棄。キグルミオンのアクトスーツを曝露。キグルミオンを包んでいるパッキンも破棄。キグルミオン自体が元に戻る反動でパッキンを振りほどく。計算通りなら、リニアチャック部がこちらを向いているはずだ」
「そこに二番機をなるべく近づけて、私が乗り移るんですね?」
「そうだ。言うは易しだがな」
「……」
「大丈夫よ。地上でもモニタしてるから」
無言でうなづいたヒトミの頭上に久遠の声が再生される。
「久遠さん!」
ヒトミがようやく窓から顔を離し久遠の声を求めて辺りを見回した。
「はーい。ヒトミちゃん、そっちはどう? 異常ない? 無重力、楽しんでる?」
「もちろんです!」
ヒトミはスピーカを特定できなかったようだ。
「博士。そっちはもういいのか?」
ヒトミが最終的に顔を向けた方向とは、全く別の方角から久遠の声が聞こえて来る。
「ええ、隊長。打ち上げの後処理は、大まか終わりました。今は打ち上げ台の余熱とりに、散水機で水をまいてます。ヌイグルミオン達が、喜々としてホース向けてますわ」
「そうか。こちらも順調だ。宇宙怪獣を倒す緊張感が、もう少し欲しいぐらいだな」
「あはは。SSS8の皆さんは、気が気でないでしょうけどね。キグルミオンが到着するのは宇宙怪獣の襲撃に、ぎりぎり間に合うタイミングですから。まあ、先生のことですから。とっさに全て計算したんでしょうけど。それで大丈夫と。それも頭の中だけで。それにしてもまったく、無理をなさいますわ……」
最後は呆れたようにつぶやくと久遠は沈黙してしまう。
「そうだな。よし! 時間だ! 海上にあるうちに一番機の運搬モジュールの破棄が始まる! その後はこちらの仕事だ!」
坂東がそう告げると、
「おおッ!」
再び窓から機外へ目を戻したヒトミが歓声を上げる。
ヒトミが目を移したのは二番機の後方。そこでは窓の向こう青い地球に向かって、何かが分解しながら落ちていく。
それは推進に必要なパーツ以外を一番機が分解破棄しているところだった。
同時に中からこんもりとしたその積み荷が現れた。その積み荷は己を覆っていた透明のパッキンを打ち破るように見る見ると膨らんでいく。
現れたのは巨大な猫の着ぐるみ。
脚部はまだ推進モジュールに固定された着ぐるみがぐんぐんと大きく原型を取り戻す。
「ほえええっ!」
ヒトミが素っ頓狂な歓声を上げた頃には、キグルミオンは宇宙にその愛くるしくも勇ましい姿を完全に取り戻していた。
改訂 2025.08.31