十 天衣無縫! キグルミオン! 1
十、天衣無縫! キグルミオン!
その巨大な鉄の塊は天を突いていく。
人類を生み出した地球から、人類が作り出した機械が重力を振り切って飛んでいく。
爆発的な炎を後ろに吹き上げ、空気が生み出す抵抗を突き抜けて、重力を逃れんと空に上がっていく。
大地に残してきたのは視界の全てを塞いでしまうような爆煙と、それをモニタ越しに見上げる二人の女性、そしてたくさんのヌイグルミだ。
「SRB燃焼終了」
その内の一人モバイル管制で有人宇宙ロケットを打ち上げた実戦物理学者――桐山久遠が手にした情報端末を上空に掲げた。
久遠がいるのは打ち上げたロケットを最終的に組み立てたVAB――Vehicle Assembly Buildingの中。情報端末はロケットが打ち上がっていく空を遮る天井に向かって向けられた。
地上からロケットを追う映像がその端末に映し出される。VABの天井越しにそこだけは、空を切り取ったようにロケットが表示される。
情報端末を持ち上げなくともその光景は映し出されていただろう。だが久遠はまさに空をのぞくようにして、今まさに打ち上がっていくロケットの様子を確かめたかったようだ。
久遠はじっと空に向かって情報端末ごしにその様子を見つめる。
ロケットはそのメインのロケットの脇につけられた補助ブースターを切り離しているところだった。
「SRB burnout.」
久遠の声に続いて今はモバイル管制に従事している万能オペレータ――須藤美佳が、その状況を英語で読み上げる。
美佳もいつもの情報端末を空に向けていた。
美佳の周りにはいつものコアラのヌイグルミとウサギのそれ以外の、たくさんのヌイグルミオンが寄り添うように集まっていた。美佳の足にもたれるように寄りかかり同じ端末を見上げるもの。他のヌイグルミと手を取り合って直接天井を見上げるもの。どのヌイグルミも美佳と一緒に空を見上げる。
情報端末の映像が地上から追うものから、ロケットにつけられたカメラからのものに変わる。
その映像の中ではロケット本体から補助のロケットが離れていくところだった。大きな円筒状のロケット本体からその小型版のような補助ブースターが離れていく。
その映像に映るロケットの背後に丸みを帯びた地上が――地球が見える。大気と大地で形作った丸い線を見せた青い地球が、暗い宇宙の景色を緩やかに切り取っている。
「SRB第一ペア分離。SRB第二ペア分離」
「First pair and second pair SRB jettison.」
補助ブースターがゆっくりと離れ、その青い地球に向かって急速に後ろに落ちていく。
無事に第一段階が終わった安堵からか、久遠がふっと頬を緩めた。そして久遠はようやく持ち上げていた情報端末を降ろした。
その表情と動きに美佳もつられて頬をゆるめながら、こちらも情報端末を降ろし久遠に微笑む。
「打ち上げ後三分が経過。第一段エンジンの燃焼は正常。制御系・飛行経路も正常。ロケットは順調に飛行を続けています。現在の高度は、約108キロメートル。秒速は約2・29キロメートル」
久遠は美佳に微笑み返し、もう一度その特徴的なつり目のに力を入れ直した。
「衛星フェアリング分離」
「Payload fairing jettison.」
情報端末の中のロケットの映像が、事前に用意されていたと思しきグラフィックのものに変わる。そこでは先端部の衛星フェアリング部を外したロケットが、一段目のロケットを噴出しているグラフィックモデルで表示されていた。
同時に位置情報も表示されており、南の島を離陸したロケットが南東に向かって空に打ち上がっていく様子が表されていた。
「……」
その先端部の有人ユニットに久遠がしばし無言で目を落とす。
「博士……心配……」
「そうね……いかにも衝撃や抵抗に強い外見をした衛星フェアリング……それを外したむき出しの有人宇宙船……科学的に大丈夫だと知っていても、やっぱりね……」
「ふふん、中の人達は図太い……大丈夫……」
「そうね……よし。打ち上げ後五分が経過。ロケットは順調に飛行を継続。現在の高度は160キロメートル。秒速は4・37キロメートル」
前回の民間宇宙旅行会社が運んだ高度よりも、より高いところまで到達しているロケット。もちろんその様子は地上から肉眼で見えない。VABの中ではましてや天井で空を阻まれている。
「第一エンジン燃焼終了」
それでももう一度久遠は空を見上げた。
「First engine cut off.」
美佳も縫いぐるみ達を従えて空を見上げる。
「第一段ロケット、第二段ロケットから分離」
「First and second stages separation」
「第二段エンジン燃焼開始」
「Second stage engine ignition」
「第二段エンジンの燃焼は正常。ロケットは安定した飛行を継続。現在高度は約287キロメール。秒速は約6・45キロメートル」
「Second stage engine――」
二人は天井の向こうにその機体が見えているかのように打ち上げを継続を刻々と記録する。
「第二段エンジン燃焼停止」
「Second stage engine cut off」
ロケットのグラフィックからそれを宇宙へと運んできた炎が消える。
「さあ。打ち上げ最後の仕事よ、美佳ちゃん! 第二段エンジンをSTVから切り離すわ!」
その様子に久遠が一つ息を大きく呑んだ。
「……」
美佳が無言でうなづく。
情報端末の中ではハレーションを起こして白く光る地球と、その背後の漆黒の宇宙が映っている。その映像は有人宇宙船からのものだ。白い地球と黒い宇宙を下に従えるように湾曲した宇宙船自身も上部に映っている。
その有人宇宙船であるSTVから第二段エンジンを映した映像だ。
その映像の中でゆっくりと第二段エンジンが離れていく。無音の世界でゆっくりと離れていくロケットの第二段エンジン部。それはゆっくりとだが確かに小さくなっていく。
「STV分離!」
「STV separation!」
その様子に久遠と美佳が喜色を爆発させて同時に叫ぶ。
久遠と美佳の周りではヌイグルミ達が負けじと我も我もと飛び上がって喜び表した。
「打ち上げは成功……いってらっしゃい……二人とも……」
「任せた……二人……」
久遠と美佳はVABの天井ごしにいつまでも空を見上げた。
改訂 2025.08.31