一、鎧袖一触! キグルミオン! 12
「美佳ちゃん、シャッター開けて」
桐山久遠は宇宙怪獣の爆発を確かめると、事務所の中でくるりと身をひるがえした。
その声にはどこか宇宙怪獣を倒したことに対する興奮のようなものが感じられなかった。
「外は煙が充満……モニタでも確認できる……」
「直に見たいわ」
狭い事務所。すでにシャッターの前に立った久遠は、美佳に背中を見せたまま答える。
その表情はなぜか固い。
「了解……」
「……」
美佳の返事とともにカーボン製と思しきシャッターが静かに上がっていく。
差し込んできたのは温かい太陽の光。そして鼻をつく匂い。
対照的な刺激を久遠は同時に無言で味わう。
久遠は窓に腰掛けるように身を乗り出した。その身はどこか力んでいるように見えた。まるで何かのテストに挑んでいるかのような力の入った仕草だった。
「そう……この程度のことでは、見向きもしないのね……」
久遠は何故か真っ先に空を見上げる。もうもうたる煙の向こうに見えるキグルミオンのシルエット。その姿を横目に久遠が先ず目を向けたのは空だった。
そこには謎の茨状発光体が変わらず輝いていた。
「でも、間違ってはいないはず」
久遠はそこでやっとキグルミオンに目を向ける。凛々しい少々つり目がちの目が、丸くこんもりとした優しいシルエットをとらえる。
キグルミオンはその巨体を揺らしてこちらに歩いてきていた。
遠近感により小さく見えるそれは、まるで街路のジオラマに降り立った本物の着ぐるみに見える。
「ふふ……」
久遠の表情がやっと和らいだ。
「グルーオン。フェルミオン。ダークマター。量子エンタングルメント。観測問題。シュレーディンガーの猫。ウィグナーの友人――」
久遠が肩からも力を抜いた。
「人間原理でも何でもいいわ。私達は生き残ってみせる――」
ビルの前まで戻ってきたキグルミオン。
「このキグルミオンでね」
久遠が笑顔でその巨大着ぐるみヒーローを迎える。
「おつかれ様です」
中のヒトミが、その着ぐるみ然とした優しい顔に相応しい――屈託のない声で久遠の笑顔に応えた。
キグルミオンの背中にロボットアームが差し向けられた。
ロボットアームが背中に近づくや、音を立ててその背中にあったチャックが独りでに開く。ロボットアームはそのまま真っ直ぐチャックの中に吸い込まれていった。
格納庫らしき天井の高い金属質な部屋で。戦闘機の格納庫を彷彿とさせる窓のない無骨な空間だった。
その中でまるで打ち上げ直前のロケットか、建設途中の船を縦にしたかのように、周囲を鉄骨に囲まれてキグルミオンは直立していた。
伸ばされていたロボットアームの関節が屈折を始める。しばらくすると、その先端にキグルミオンそっくりの着ぐるみがつかまれて出てきた。
「……」
その様子を久遠は、ゴンドラの柵に手を突いて見つめる。
初めての実戦。その成果。そして無事の帰還。何より操縦者の安全。
それらを確認しようとしてか、ついつい力が入って久遠は身を乗り出してしまうのだろう。
「お疲れ様。よくやってくれたわ」
ロボットアームの先端の様子がはっきりと見え始めると、久遠は心底安堵したように口を開く。
「はい」
キグルミオンのチャックの中を満たす、謎めいた黒い物質から出されながらヒトミが応える。
久遠はもう一度微笑む。理屈の上では何ともないと分かっていても、やはり生の声を聞くと安心するのだろう。
「ほえええぇぇぇ……何ですか? この可愛いヌイグルミ達は?」
床に降ろされた着ぐるみ。その着ぐるみの周りをわらわらとヌイグルミ達が取り巻いた。
人の背丈の半分程の大きさのそれは、なぜかヌイグルミ然としたふわふわでもこもこの体で着ぐるみに走り寄ってくる。
格納庫然とした無骨な鉄骨だらけの空間。建物だけ見回せば無愛想な場所に、愛らしい猫の着ぐるみと動物のヌイグルミがたわむれるように互いの周りを取り合っていた。
猫の着ぐるみは巨大な宇宙怪獣と戦ったキグルミオンと全く同じ姿をしていた。
「ぐふふ……この子達はヌイグルミオン……」
美佳がコアラのヌイグルミを抱き締めながら答える。ヌイグルミはその可愛らしい顔の頬に、なぜかマジックで一筋の縫い傷が描かれていた。
そのコアラがこちらもなぜか持っていたのは、おもちゃのマジックアームと高下駄。マジックアームの先端には丸い半円がついている。手元のレバーを握ると、その先端が閉まって物をつかめるようになっていた。高下駄は、下駄のまるで天狗が履いていたかのような背の高いものだ。
そしてそれらを時折取り落としそうになっては、慌ててつかみ直している。こちらのコアラのヌイグルミもやはり自分で動くようだ。
「ヌイグルミオン? 最初にキグルミオンに入ってた子よね? その子」
「そう……本来は人間が入るキグルミオンのキャラスーツ……この子はその身長差をこのサイズ補正装置でおぎないながら頑張ってくれたわ……」
美佳そう言って手を離すと、待ってました言わんばかりにコアラのヌイグルミが身をひるがえした。
ヌイグルミは下駄を一瞬で履くと、両手に持ち直したマジックアームを楽しげに振り上げる。比率は少々おかしいが、それで人間の手足の長さ程になった。
「何か、色々と無理があるのは、よく分かってない私にもよく分かるわ」
ヒトミがくぐもった声で、呆れたように着ぐるみの顔を上下させてコアラの全身を見回した。
「まあ、色々と説明が必要でしょうけど。先ずは自己紹介ね」
久遠が笑顔で二人の会話に割って入る。
「私は桐山久遠。さっきも言ったけど、キグルミオンの技術責任者よ。よろしくね」
「ふふん……須藤美佳……オペレーション担当……よろしく……」
「よろしくです。私は仲埜瞳です」
ヒトミがそう言って手を差し出すと、久遠と美佳がそれぞれにその手を握った。勿論ヒトミの方は着ぐるみを着たままのふわふわの手だった。
その手にコアラを初めとするヌイグルミがわらわらと、我も我もと群がって握手を求めてくる。
「そして――」
久遠がそんな着ぐるみとヌイグルミを横目に壁際のモニターに振り向いた。
ヌイグルミオンの一匹が心得たように手に持っていたリモコンのスイッチを押した。
「坂東士朗だ」
モニターの向こうにサングラスをかけた三十過ぎと思しき男の顔が写し出された。男は回線が繋がるや否や己の名を名乗る。
男は何故か宙に浮いていた。いや、それはそれ程不思議ではなかったのかもしれない。よく見れば周囲の小物も重力に逆らって空中を漂っていた。
宇宙空間からの通信のようだ。
「私達の隊長よ。今は、SSS8に出張中」
「君がキグルミオンを扱ったのか?」
坂東と名乗った男は挨拶もそこそこにヒトミをじっと見つめる。
「はい」
ヒトミが着ぐるみのままうなづくと、
「降りろ――君では死ぬだけだ」
男は冷淡にそう告げた。
(『天空和音! キグルミオン!』一、鎧袖一触! キグルミオン! 終わり)
改訂 2025.07.27