八、気宇壮大! キグルミオン! 8
「ロケット打ち上げ準備急げ! ユカリスキー研究員! VAB――大型ロケット組立棟の様子は?」
左手の拳を己の腰にあて右手で天を指差しながら、いつもは眠たげな半目を美佳がキラリと光らせた。
打ちつけては返す柔らかな汀の波を背後に、美佳が凛々しくも逞しく背筋を伸ばして目を光らせる。口調もどこか勇ましい。
そんな美佳の脇ではコアラのヌイグルミが、こちらは砂浜にヒザをついてかがみ込んでいた。
拾った板きれらしきもので、ユカリスキーは砂地に小さな囲いを作っている。まるで海辺で遊ぶ幼児のような仕草で、ユカリスキーは何やら急ごしらえの構造物を作っていた。
「美佳ちゃん。打ち上げは秒読みを含めて、スケジュール通りにされるのよ。急げなんて指示でないわよ」
その様子に久遠が呆れたように笑った。久遠の手は自分は手出しないとでも言いたげに、柔らかに己の胸の前で腕組みされていた。その手の先に鈍色に光る細長い大きなペンのようにも見える鉄製の筒を持ってる。
「むむ……ユカリスキー……作業は順調……」
美佳が口調をいつもの調子に戻した。
ユカリスキーが砂浜から立ち上がる。そこには三方を砂地に差した板きれで囲み、その上をこちらも板を置いただけの屋根でできた建物らしきものができていた。
「美佳ちゃん。それがVAB?」
「ふふん……そう……」
久遠の問いに美佳が自慢げに鼻を鳴らす。
「そこに世界一の一枚扉をつけてくれると、完璧なんだけど」
「むむ……今はこれが限界……」
「あはは、ありがと。じゃあ、はいこれ。ロケット。搬入するわ」
久遠が腕組みを解き少し身を屈めてユカリスキーに鈍色の筒を渡した。
「ペンシルロケット搬入! 点検・整備開始!」
ユカリスキーがロケットを受け取ると美佳がやはり張り切った声を上げる。
ユカリスキーは点検と整備の為か受け取ったロケットを、前後左右にくるくると回しながら見回した。
「何をやっとるんだ?」
その背後から坂東が呆れたような声がかけられる。
「見ての通りですわ。我々の打ち上げの為に、実際にペンシルロケットを使ってシミュレーションしてるんです」
久遠が声のした方向に笑顔で振り返る。見ればヒトミに腕を取られ坂東が引かれるように近づいて来ていた。
「ああ! 美佳ズルい! 一人で勝手に始めて!」
ヒトミは坂東の腕を放すと美佳の下に駆け寄る。
「ふふん……オペレーションは『宇宙怪獣対策機構』のアルバイトオペレータたる私の仕事……これは私にこそ必要な訓練……」
「でも、私も実際打ち上がるのに!」
ヒトミはユカリスキーが持ったロケットに顔を近づけてまじまじと見る。ユカリスキーは我関せずと、そのロケットをVABと美佳が呼んだ板の囲いの中に立てる。その動きに合わせてヒトミの目が物欲しげにロケットを追った。
「ぐふふ……楽しいことは独り占め……」
「美佳、本音が出るのが早いわよ……」
「さて、VABに搬入終了。搬入されたロケットの点検と整備も終わったとして、次は?」
久遠が両手を軽く叩いて皆の注意を引きつけた。
「次? 次なんだっけ?」
ヒトミがこめかみに指をあてながら首をひねる。
「仲埜。先が思いやられるぞ」
「だって!」
「俺達は所詮肉体派だ。あきらめるところは、あきらめろ。仲埜」
「嫌です! 参加したいです! えっと、次は……」
「これだからヒトミは……やっぱり黙ってロケットの尖端に乗ってればいい……」
美佳が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ああ、もう! 今は見てるだけじゃ暇でしょ? 久遠さん! 次なんですか?」
ヒトミがじれたように久遠に振り返る。
「VABの次は、MLでLPよ」
「分かんないです! 何語ですか? 何の略ですか?」
「あはは! ML――大型ロケット移動発射台に乗せて、LP――射点と呼ばれるロケット発射場に移動させるの」
「オッケーです!」
ヒトミが勢いよく小さなVBAに振り返ると、
「――ッ! って! もう始めてるし!」
ユカリスキーが一度は板の囲いの中に収めたペンシルロケットを、むんずとつかんで取り出していた。ユカリスキーはそのままやはり拾ったであろう板きれの上にロケットを直立させて運び始める。
「器用ね、ユカリスキーは。ちゃんとロケットらしく立てて運んでくれて」
「あれの実際は凄いぞ。巨大なロケットが横に動いていくんだからな」
「ユカリスキー! 代わって! 私もやりたい!」
「ぐふふ……ヒトミなら途中で落っことす……ロケット打ち上げ前に大惨事……」
それぞれに言葉を漏らす四人の前をユカリスキーが汀に向かって歩き出す。
「ヒトミちゃん。ユカリスキーが何で海の方に向かうか分かる? 分かるんなら、代わってもらっていいわよ」
「えっと……」
ユカリスキーの後を追いかけ始めたヒトミが、その場で止まりぽりぽりと頭を掻く。後頭部しか久遠達からは見えないが、言葉に詰まっているのはその振り向かない背中が物語っていた。
「ふふん……あっちは南……それになるべくなら海に向かって打ち上げたい……失敗しても、海に落ちてくれれば被害は少ない……」
「そう! それです! 久遠さん! 南の海に落とす為です!」
ヒトミがまるで自分が答えたかのように勢いよく振り返って久遠を指差す。
「『落とす為』じゃないわ。南の海で打ち上げる為よ、ヒトミちゃん。それじゃあ、そもそも何で南なの?」
「えっと……ヒントは?」
ヒトミが今度は頬を掻く。
ユカリスキーは波打ち際に着くとくるりと皆に振り返った。
「ヒントは、打ち上げの為よ」
「んん……南国の方が、打ち上げの後の打ち上げが楽しいから?」
自分でも間違っていると分かっているせいか、ヒトミは頬を掻く速度を上げて答える。
「打ち上げの打ち上げの為に、国家予算使ってロケットの射場作らないわ。ロケットはね、ヒトミちゃん。赤道直下から打ち上げるのが最適なの。北半球から見るとなるべく南で打ち上げるのがいいって訳」
久遠が汀で一人待つユカリスキーに向かって砂浜を歩き出す。久遠の後を坂東と美佳も続いた。
「はあ、何でですか?」
自分に追いついた久遠の後を追いながらヒトミが尋ねる。
「ロケットを打ち上げる際に、少しでも燃料を節約する為よ。ロケットは普通に東に打ち上げられるの。地球の自転もロケットの速度に乗せる為にね」
「へえ……」
「ふふん。地球の重力から逃れる為に、まさにその地球の自転の力を借りるのよ――」
ユカリスキーの傍らまできた久遠はそこまで口にするとヒトミに振り返る。
「素敵だわ。やっぱりロケットはロマンで飛ぶのよ」
そしてコアラのヌイグルミの頭を優しく撫で、空を見上げながら久遠は続けた。
改訂 2025.08.23