一、鎧袖一触! キグルミオン! 10
「『ウィグナーの友人』……ヒトミちゃん……あなたは、それになれると言うの……」
久遠は半ば放心したようにつぶやいた。
「『シュレーディンガーの猫』に乗り、『ウィグナーの友人』になり切り、『観測問題』をものともせず――」
久遠が美佳の手元の情報端末に手を伸ばした。美佳の肩に久遠の手が無造作にぶつかる。
美佳がそこにいることを忘れているような、端末にしか目に入っていないような手つきだ。
そのモニタの中では、今度も宇宙怪獣が宙を舞っていた。
「博士……」
「天空の和音を、私達に……ヨハネス・ケプラーの夢を私に……」
久遠が端末を操作すると、そこには天空に輝く茨状発光体が写し出された。
「博士……しっかり……」
「――ッ! ゴメン、美佳ちゃん……そうね……今は――」
久遠の瞳に力が戻る。モニターを切り替えた。キグルミオンから送られていると思しき映像の向こうに、距離を取る結果となった宇宙怪獣が立ち上がろうとしていた。
「あの宇宙怪獣を倒すのが先ね! ヒトミちゃん!」
「はい!」
「私の名前は桐山久遠。そのキグルミオンの技術責任者よ。須藤美佳ちゃんって娘と、今からあなたをサポートするわ。宇宙怪獣――倒してくれるわね?」
「はい!」
ヒトミの返事に空気を切る飛行音が重なる。続いて閃光とともに上がったのは爆発音。
もうもうたる煙が上がっていた。対宇宙怪獣ミサイルの爆撃跡だ。
戦果を確認せん為にか、その煙をかすめるように攻撃機が急旋回していく。
「いい返事ね。で、見ての通り通常兵器は役に立たないわ。でも――」
久遠が決意と自信に満ちた笑みを浮かべる。
「強い力の粒子――『グルーオン』を物質化している私達のキグルミオンなら話は別よ」
「『強い力の粒子』?」
「そうよ。試しに殴ってみる? ミサイルなんて目じゃないわよ!」
「博士……結構雑……」
「まずは格闘でいいんですね? 任せて下さい!」
モニターの向こうの視界が揺れる。キグルミオンが煙に向かって突進を始めた。
「そうよ。私達のキグルミオンなら――」
ぐんぐんと宇宙怪獣がモニターの中で大写しになっていく。
「この強い力で、世界を救えるわ!」
久遠自身のその力強い宣言とともに、ヒトミの振り上げた拳が宇宙怪獣の頬にめり込んだ。
空対獣ミサイルを食らった宇宙怪獣が平然と、早くも靄と化し始めた煙の向こうに立っていた。
「うおおぉぉぉーっ!」
その宇宙怪獣にヒトミの――キグルミオンの拳が襲いかかる。
猫の着ぐるみの拳が宇宙怪獣の頬にめり込んでいく。
ミサイルでも無傷だった宇宙怪獣がその一撃で吹き飛んで行った。地響きを立てて転がって行く。
「いけます!」
「当たり前よ!」
ヒトミの耳元で久遠の上機嫌な声が再生された。
「いい、ヒトミちゃん。手短に話すからよく聞いて。そのキグルミオンは素粒子――そう、例えば『クォーク』間に働く『強い相互作用』を媒介する『グルーオン』という『ゲージ粒子』を物質化しているわ。ゲージ粒子というのは、本来物質間を媒体する力の粒子なの。だから物質として〝物〟としては取り出せないわ。〝物〟の粒子は本来ゲージ粒子とは別の『フェルミ粒子』――『フェルミオン』と呼ばれるもので――」
「博士……手短でもなんでもない……」
「内容も、呪文聞いているみたいです!」
美佳が呆れ、ヒトミが悲鳴めいた感想を述べる。
「ええ? まだ、前振りなのに! 『ダークマター』と、それがもたらしてくれる観測者と、観測対象者の重ね合わせの状態も話さないと。それと――」
「今度にして下さい!」
宇宙怪獣が立ち上がり、怒りの為にか赤い目を更に赤くして突進してくる。
「博士……『ウィグナーの友人』になら、あの娘は自然となってる……ここは我慢……」
「くぅ……そうね――とにかく! 素粒子同士すら結びつける『強い力の粒子』のグルーオンを具現化――そう、言わばフェルミオン化したグルーミオンを着ているのが、着グルーミオン――私達のキグルミオンよ! この強い力が世界を救うのよ!」
「どりゃぁぁぁああああぁぁぁ!」
久遠の話を聞いていたのかいなったのか、ヒトミは雄叫びを上げながら宇宙怪獣と組み合っていた。
「博士! 殴る蹴るだけじゃ、倒せそうにありませんけど? この後、どうすれば!」
「分かっているわ、ヒトミちゃん! 先ずは格闘で相手の体力を削って! 美佳ちゃん! 自衛隊に伝達! 我に宇宙怪獣撃退の策あり――よ!」
「了解……」
「策――なんですか! それは?」
ヒトミが着ぐるみの中で汗だくになっていた。特別なものとはいえ着ぐるみの中。ヒトミの体力は目に見えて削られているようだ。
ヒトミが宇宙怪獣を振り払った。息も荒くなり始めていた。体力を回復させたかったのだろう。
「何を言っているの、ヒトミちゃん? 巨大着ぐるみのヒーロー必殺技は――光線に決まっているわ!」
久遠の声がどこか妖しげに再生される。
「ええ! 光線? 出るんですか!」
「ふふん、そうよ。人呼んで――」
もはや久遠はこぼれる笑みを隠さなかったようだ。
「『クォーク・グルーオン・プラズマ』よ!」
久遠がとても楽しげにその名を告げると、キグルミオンの胸元が眩しいまでに輝き始めた。
改訂 2025.07.29