八、気宇壮大! キグルミオン! 4
「むっは! 疲れた!」
ヒトミが簡素なベッドに体ごと突っ伏した。顔から枕に突っ込むや、そのまま四肢をだらりと拡げて動かなくなる。
ベッドも簡素ならそれが置いてあり部屋の作りも簡単なものだ。四角い間取りに辛うじて宿泊用と思えるこのベッドが二つ置いてある。その他はテレビと小さな情報端末がポツンと事務用机に置いているだけだった。
後は壁に四角く切り取られた窓枠が目立つだけのどこからどう見ても安ホテルの一室だった。
その四角い窓からは西日がはや差し込み始めていた。
「ふふん……ヒトミははしゃぎ過ぎ……」
もう一方のベッドに美佳がカバンを置いた。己のヒザの上にユカリスキーを乗せこちらはそのベッドにちょこんと座る。
「だって! 一日中宇宙センターの見学だったんだよ! ロケットだよ! 宇宙だよ! 管制室だよ!」
ヒトミが目を輝かせながら上半身をがばっと持ち上げた。その瞳の中で今まさにロケットが打ち上げられているかのように、キラキラと好奇心と興奮に目がきらめいていた。
「ビルみたいな大きさのVABには……私も感動した……」
「でしょ! でしょ! それとあれなんだっけ! 久遠さんが熱弁ふるうやつ!」
ヒトミがあぐらをかいてベッドに座り直す。
「世界初の小惑星サンプルリターンをした探査機……博士がバイクに『8823』のナンバーつける程、入れ込んでる……」
「そう! それの――パプリカだったけど!」
「ヒトミ、それを言うならリプリカ……」
「そうリプリカ! レプリカだったけど、見れて良かった! あれの本物って、何十億キロと宇宙を旅して戻って来たんでしょ? 凄いよね! 何だっけ? 色々機械が壊れたりしたんだよね?」
ヒトミが目を輝かせながら身を乗り出す。
「燃料漏れであわわはわわ……エンジン停止であががうがが……音信不通であぎぎがぎぎ――と、色々大変な状況が、あの小惑星探査機を襲った……」
「やっぱり美佳もよく分かってないじゃない」
細部を適当に説明する美佳にヒトミが本家のお株を奪う半目で見つめる。
「むむ! キセノンがほわわはわわ! 中和器がうにゃにゃふにゃにゃ! マイクロ波加熱がほにょにょふにょにょ! 四台のスラスタがそれぞれに壊れ、本来一対のはずのイオン源とその中和器を、言わばニコイチで組み合わせてうっちゃれやっちゃれで――」
美佳は急に興奮した口調でそこまで口にすると、不意に手元のユカリスキーを上空に放り投げた。
ユカリスキーは見上げる二人の視線を受けて、空中で慌てたように手足をばたつかせる。それで地球を放たれた小惑星探査機の陥った困難な状況を現したようだ。
ユカリスキーはそのまま身をひるがえして天井に足を着くと、そこを小惑星と見立てたのかそこでスコップで何か地面をすくうよう腕をふるう。
「それでも、サンプルを採取して戻って来た! それが――博士ご執心の小惑星探査機!」
ユカリスキーが直ぐに重力に引かれて落ちてくる。それを見上げながら美佳が両手を差し出した。
ユカリスキーは両手を投げ出して母親の下に帰ってくる園児のように美佳に抱きとめられた。
「それは前に聞いたわ。誤魔化し方が変わっただけで、やっぱり細かい所は知らないんじゃない?」
「ふふん……今回はユカリスキーの体を張った熱演付き、より分かりやすくなった……」
体を張ったユカリスキーをぎゅっと片手で抱き締め、美佳が誇らしげに余った方の手を腰にやって胸を張った。
「いや、天井に放り投げただけの即興芸だし……」
「むむ……博士なら、嬉々として語ってくれる……訊けばいい……一晩中、つき合わされるけど……」
「いい。遠慮しとく」
ヒトミが顔ごと視線をそらして頬を指で掻いた。
「そう? ところで、ヒトミは博士達について行かなくってよかった……」
「博士達に? ああ、隊長と久遠さんが、私の両親に会いに行くって言ってたよね。別にいいのに」
ヒトミが窓の外をのぞいた。そこから見えるのは海までの陸地と、その向こうに続く暗い海原だった。
「あいさつは必要……遅いぐらい……危険な任務……ちゃんと説明するのが、大人の責任……」
「キグルミオンの中の人やってるのは、もうちゃんと私から伝えてあるよ。わざわざ帰りは夜の海になるのに、スケジュールの合間縫って会いに行くこともないよ」
ヒトミが海の向こうに目をやったまま応える。
「ただの着ぐるみアクターじゃない……宇宙怪獣と戦ってる……」
「うーん……十年前のあの日、宇宙怪獣に襲われたのは、もちろん私だけじゃないし。両親もだし。宇宙怪獣を倒さないと、人類そのものが危機だし。理解はしてくれてるよ」
ヒトミがようやく海から目を離して美佳に向かって微笑んだ。
「それでも何で、自分達の娘が……そう思うのが人情……そして分かっていても、事情を説明するのが大人の責任……」
「別に、いいけど。しこたまお土産持たされて、帰ってくるだけよ」
「ヒトミ自身も、顔を見せなくっていい……」
「これが、最後じゃないもの」
ヒトミが美佳の目をじっと見つめる。
「……」
「違う?」
「違わない――」
美佳が一度軽くうつむき目をつむった。
「ヒトミはちゃんと地球に還ってくる……私もユカリスキーも、博士も、隊長も……皆で宇宙から帰ってくる……」
「そうよ……美佳こそ、大丈夫? 両親さん心配してない?」
「ふふん! 地球の危機に、我が子の危険をも顧みず! 先頭に立って愛娘を宇宙に送り出す若手政治家夫妻! 次の選挙は一層盤石! ジバン・カンバン・カバン! 我が選挙区に、一片の隙なし!」
美佳がユカリスキーを持ち上げながら高らかに歌い上げるように鼻を鳴らす。
ユカリスキーは選挙の候補者よろしく――まさに持ち上げられて居もしない有権者に向かって右手を振ってみせた。
「いや、美佳……」
「そしてその盤石のジバンを、地球を救ったヒーローの一人というカンバンを背負って私が世襲する……ぐふふ、パーティーは連日盛況のはず……今から重たいカバンを持てるように、体を鍛えておかないと……」
美佳が妖しい笑みを浮かべてユカリスキーを抱き締め直す。
「あのね……」
ヒトミがその様子に呆れ顔でつぶやくと、
「ぐふふ……」
美佳はコールタールでも吐き出しているかのような笑みを漏らし、ユカリスキーがありもしない心臓ごと凍えているようにその笑みに全身を震わせた。
改訂 2025.08.21