七、電光石火! キグルミオン! 15
虚空に突き出されたヒトミの右手。それは何かをつかみ取ったかのように宇宙の真空の中で力強く曲げられている。つかみ取ったのは地球の平穏か、そのヒトミの背後にはどこまでも青い地球が浮かんでいた。
「……」
着ぐるみ然としたキグルミオンの右手の先端からほとばしっていた閃光が、静かにやんでいった。
宇宙の果てまで届かんばかりに放たれたクォーク・グルーオン・プラズマの閃光。今やその閃光は残光となってわずかに浮かんでいる。
宇宙に走った稲光りのような残光は、実際はヒトミの瞳に焼きついたものだ。
ヒトミがそのまぶたを一度ゆっくりと閉じ、
「宇宙怪獣――撃破……」
力強く瞳を見開かせながら口も開く。
「ヒトミちゃん!」
その声とともに久遠の歓喜が爆発した。ヒトミの耳元に再生されたその声は、押さえ切れない喜びに満ちていた。
「久遠さん! やりましたよ!」
ヒトミもキャラスーツ内の集音マイクに向かって歓喜の声を上げる。
「ええ! こっちでも確認したわ! 宇宙怪獣は完全沈黙! 全壊とはいかなかったけど、宇宙怪獣の残骸はそれぞれ勢いを失って地球に落下中! こちらの計算では全て大気圏で燃え尽きるはずよ! 地上に損害はないわ! ヒトミちゃんは?」
「大丈夫ですよ! どこも異常なし!」
「そう! 今から大気圏再突入シークエンスに入るわ! しばらく待たせるけど、初めての宇宙! ご褒美だと思って、しっかり堪能して!」
「はい!」
「よし! 美佳ちゃん! 迎えの往還機を親機から切り離し! 予定通りの位置と高度でヒトミちゃんを迎えに行って!」
「了解……」
ヒトミの耳元に今度は美佳の押さえた声が再生される。
「隊長にも連絡よ! 着陸したら、直ぐに出迎え準備してもらって! ああ! 居残り組のヌイグルミオン達も、何人かこちらに向かわせて! キグルミオンのメンテ、ここでやるから! それと特務隊にも連絡! ご協力を感謝――ってね!」
「博士……人使いが荒い……」
「いいのよこれぐらい! キグルミオンが初めて大気圏外で活躍したんだから!」
「はいはい……」
「……」
久遠と美佳のやり取りを最後にぷつりとキャラスーツ内の音声が途切れる。ヒトミはしばらく無言で耳を澄ませるが、自身の息づかい以外はもう何も聞こえてこない。
「宇宙か……」
ヒトミは目の前に己の両手を持っていく。キグルミオンの視界越しに目をやれば確かに宇宙を背景にその手が見える。
ヒトミは茨状発光体を避けて、その腕をしげしげと宇宙にさらす。
「来たんだ……宇宙……」
ヒトミが考え深げにつぶやく。ヒトミはその場で顔を真上に上げると、同じような景色が続く宇宙をじっと見つめた。どこまでも同じでありながら、どこか違う星々の散らばりがそこにはあった。
「……」
ヒトミが身をよじる。初めて無重力にさらしたその身では、意図した通りの動きできなかったようだ。二三度上半身だけをひねりまごつきながら、キグルミオンの体をヒトミは反転させる。
青い地球がヒトミの目に飛び込んで来た。
「……」
ヒトミはその青い星を無言で瞳に収める。
「どう? ヒトミちゃん?」
久遠の声が不意に再生された。その声はひと時の興奮が去り落ち着きを取り戻したのか、穏やかに発せられる。
「地球が、きれいです。故郷の海が全部に広がってる感じです」
「そう? ヒトミちゃんの島、きれいな海があるらしいものね」
「宇宙。不思議なところですね。いつも地に足をつけてる地球が見下ろせて。自分は何もないところに浮かんでいて。そうか。地球も浮かんでるのか。地球で生まれて、一緒に宇宙に浮かんでる。何か不思議な感じです」
「あはは。まあ、まだまだ低軌道だけどね。地球の重力の揺りかごから出るのには、もっと高く飛ばないといけないわ。で、いつまでもそうさせていてあげたいけれど、そうもいかないのよ。ユカリスキーがもうすぐお迎えに来てくれるわ。お迎えの往還機が来たら格納庫の方を向いてあげて。ユカリスキーが命綱一本で宇宙に出てヒトミちゃんに合流するから」
「その綱に引っ張ってもらって、往還機に帰るんですね?」
「そうよ。で、地球に還るの。ひとまずはそれでお疲れさまってところ」
「はい。あっ。見えてきました」
ヒトミが遥か眼下を見下ろす。地球の海の青に小さな点を作り二機目の宇宙往還機が打ち上がってくる。加速の為に噴き出すジェットエンジンの炎を後ろにたなびかせ、往還機が宇宙に上がってくる。
「そう。もう一分もかからないわ。私は帰りの軌道弾道の確認に入るから、一回通信切るわ。後は美佳ちゃんとお願いね」
「はい」
「ふふん……後はお任せ……ヒトミはただ浮かんでいれば、ユカリスキーがつかまえてくれる……」
上機嫌に通信を切った久遠に代わり、こちらもご機嫌な美佳の声がヒトミの耳元で再生される。
「お願いね、美佳」
「ふふん……ユカリスキーにお任せ……」
往還機がヒトミの目でその姿が直接確認できる大きさまで近づいて来た。加速に噴き出すジェットが微調整に入ったようだ。細かく噴射を出し入れしながら、慎重にヒトミの向かって上がってくる。
「仲埜――」
その往還機を見つめるヒトミの耳元で今度は坂東の声が再生された。
「ああ、隊長。無事に地球に着いたんですか?」
「着いた。今機内から、出迎え作業をモニタしてる」
「そうですか。今、帰りの便が来ましたよ」
往還機が発する窓からの灯りと、主翼や尾翼に点けられた光。それすら確認できる位置までその往還機がゆっくりとヒトミの足下に近づいてくる。青い地球の上にキグルミオンすら収める巨大な往還機が横たわった。
「そうか。ペイロード・ハッチが開いたら、後は引っ張ってもらえ。詰め込むぞ」
「〝ぐにゅー〟ですね」
「そうだ。帰りの〝ぐにゅー〟だ」
「あはは。はい」
ヒトミの眼下で宇宙往還機の背中が空いた。そこら小さな影が飛び出す。その影は太いロープを引きながらぷかぷかと浮かんで近づいてくる。
宇宙服を身にまとったユカリスキーだ。ユカリスキーは宇宙服の背中からガスを噴射してゆっくりとヒトミに近づいてくる。
「ん?」
その様子を見守っていたヒトミが不意に後ろを振り返る。
「どうした、仲埜?」
「いえ。何だか……」
ヒトミは後ろを不思議そうに何度も振り返る。キグルミオンの巨大な頭がその動きに合わせて後ろを何度も見た。
ユカリスキーがその間に到着しヒトミの腰の辺りでぐるりと周囲を回り出す。
「どうした?」
「いえ。何だか、誰かの視線を感じて……」
「視線? 宇宙だぞ。しかもそっちの方向には、SSS8すらない。人なんて誰も居る訳ないぞ」
「そうですよね……」
ヒトミは納得がいかないようだ。いつまでも首を傾げながら後ろに振り返る。そのキグルミオンの胴体の周りをユカリスキーが一周した。
ユカリスキーはキグルミオンの胴体を一周すると、ロープの先に着いていた金具をそのロープ自身に取り付けた。それでキグルミオンが輪になったロープに腰を結びつけられた。ユカリスキーがその金具の固定を二三度引っ張って確かめると手を振った。
「んん?」
ロープが引かれキグルミオンの体と金具をつかんだユカリスキーが、ともに宇宙往還機に引き寄せられていく。
「気のせいだったかな? 確かに誰かに見られてたように感じたんだけど……」
ヒトミはロープに引かれながら最後まで己が視線を感じた方に目を向けた。
だがヒトミの視線の先にあったのは、
「あそこに誰か人でも住んでる? はは、まさかね……」
宇宙をぐるりと取り囲むように輝く――茨状発光体がただただ物言わずに輝く姿だけだった。
(『天空和音! キグルミオン!』七、電光石火! キグルミオン! 終わり)
改訂 2025.08.20