第三話
第三話
これで何度目かの神楽とのデートは、やっぱり賢志らを連れ立ってのものだった。そうでないと神楽以上に、俺が困る。面倒くさい奴に引っかかったと今更後悔しても詮無いことだとわかってはいても、溜息がこぼれる。
いつも通り福本の背中に隠れるように登場した神楽に挨拶を交わして、俺たちは電車に乗ってM市へと向かった。
馴染みの大型商店街はそれなりの盛況ぶりだった。これが平日になると、がらんと人気がほとんどなくなるが。俺たちは以前と同じ店で昼食をとり、商店街を歩き始めた。
ここではメンズものも品揃えが良いので、ファッションに疎い男でも思わず立ち寄ってしまうことが多い。高校の友人はそんなパターンだ。そしてデートの主役がいかに女性にあれども、これだけメンズが揃えば、彼氏の服を自分で見繕いたいと女は思う。そんなわけで福本はレディースだけでなくメンズの専門店にも足を運び、賢志を疲弊させていた。
ちなみに俺はそんな二人にはぐれないように目を光らせながら、俺や神楽の服を半分冷やかしに見繕う。必然、着せ替え人形状態になる神楽は、俺が勧める服をいじましく試着してそのたびに似合うかと聞いてくる。これだけなら可愛いのにと勿体なく思えてくる。
この通りの突き当たりにあるデパートが抱える、古着屋のテナントで掘り出し物がないかと物色した後、すぐ近くの路地の古着屋にも足を運んだ。そこで白が基調で雪の結晶の模様が編まれたボン付きニット帽を神楽にプレゼントした。喜ぶ神楽は早速被っておずおずと俺を見るから、俺は如才なく褒めた。賢志がからかってきたが適当にあしらった。
それまで口だけは開くことのなかった神楽が、ニット帽をプレゼントしたあたりから、ぽつりぽつりと口を開き始めた。
「……こっちより、この服の方が似合ってない?」
「それだと少し子供っぽくないか?」
「ぽくない。似合う」
気遣い含みの俺の結論に神楽は語気を強めて睨み付けてきた。はっきり言うと神楽の感性は子供っぽかった。そういえば喫茶店で注文したのはメロンソーダだったな。そんなことが今更思い出される。
神楽が負けじとばかりに仏頂面で、さっき俺が眉をひそめた服を俺の視界いっぱいに広げてきた。そんな仕草も子供っぽい。意地っ張りというか。しかし、前みたいに癇癪を起こされたくもない。
「このフリフリがいい」
「似合うと思うよ。これも良くないか」
頷きはするが、その後でそれとなく俺のおすすめを勧める手段に出た。これなら怒らせる心配は少なくなるはずだ。案の定、神楽は俺が渡した服を広げてまじまじと品定めして、
「これも可愛い。でも……、試着してみる」
自分が選んだのと勧められたのを困ったように交互に見て、試着室に飛び込んでいった。
「やっぱり要領良いよね、ナツくん。けんじくんなら大慌てなのに、すぐに対応してる」
「賢志と同じにしないでくれない?」
いつの間にか近くに立っていた福本に笑いかける。しかし周囲を見ると賢志がいなかった。
「けんじくんは今試着してるよ」
「不満たらたらじゃなかったか?」
「はは、言ってたよ。でも、私の勧めた服を着てくれる辺り、愛を感じちゃう」
その発言にはかゆみを覚えたが、賢志と福本らしかった。
「神楽って見た目と中身にギャップがあるな」
「そこがあやの可愛いところでもあるんだけどね」
顔を立てているのかどうか微妙な発言である。
お嬢様な外見で中身がかなりの子供というのは、かわいいを飛び越して異質だと思うけれど。さすがにそこまでは口にできない。
「ナツくん」
見ると、いつものゆるんだ顔ではなく、真面目な顔つきだった。
「あやなりに頑張ってるの。今まで努力しても報われなくて、私以外とは極力関わらないようにしてたあやが、自分から動いてるの。多分、癇癪持ちはずっと変わらないけどね。できるなら、ナツくんなりに向き合って接してほしい。嫌なら嫌って言ってほしい。頼んだよ」
そんな言葉までさばさばとした口調で言われると、逃げることはできないと思わされてしまった。意外と俺の周りには押しの強い女が多い。
神楽は神楽なりに一生懸命か。わからなくもない。そうでもないと、あんな内気な自己中が一人で俺に告白しに来ないだろう。
カーテンが引かれる音に顔を上げると、精一杯の笑顔を浮かべた神楽が立っていた。
「似合う?」
「んー。もう一工夫ほしいなぁ。何かないかな」
近くの棚などを物色して、気になったものを神楽の姿に被せてみるが、一向に納得のいくものはない。
「神楽。次はこっちの服を着てみて」
神楽はむすっとした顔でそれを受け取って乱暴に試着室に戻っていった。舌の根も乾かぬ内に手のひらを返されたから拗ねたのかもしれない。気にしないでおくと、
「もっと褒めてあげればいいのに」
「服に関しては妥協はしたくないからな」
笑う福本になんてことなく返して再びコーナーを物色する。この帽子は微妙だな。これは色がださい。俺の目にかなうものはほとんど見つからない。
いつの間にか戻ってきていた賢志と、服のことなどで相談していた福本がくすりと笑った。
「ナツくんたら、私以上に真剣だね」
「これがこいつの趣味みたいなものだからな」
「お前みたいに趣味がないよりマシだろ」
「今はあるぞ。写真だ。お前より上手いぞ。お前は下手だもんな。携帯で撮った写真、春に見せてみろよ」
「写真撮ってるの?」
興味津々といった顔をした福本がじっと見つめてきて、俺は少したじろぐ。なんとなく、いつもの自信がでない。相手が熱心にしてるものと同じものを、しかし俺は遊びでしてるから、後ろめたいような気持ちになった。あとで、賢志をいじってやると決意して、口を濁しながら言った。
「まあな。お前と比べたら下手の横好きになるけど」
「そんなことないと思うよ。してるってことがすごいと思う」
「こいつ、すぐに飽きると思うけどな。今度はいつまで保つだろうな」
「けんじくん。ほんとのことだからって、水を差したらだめだよ」
「お前だって似たようなことしてるだろ。お前の世話焼きもいい加減にしておかないと、おせっかいだ」
口論を始める二人に巻き込まれないように距離を置いて物色を始めた。福本は美帆と似てるけれど、他人との距離感が決定的に違う。福本はなんだか壁がない。さすがに土足ではないものの、踏み荒らされればほとんど同じことだ。うっかりでそそかっしいところも美帆との違いだ。美帆はあれで隙がない。
「……あんまりいいのないな」
落胆する。そうしてると、肩を叩かれた。振り返ると、気後れした風の神楽が立っていた。
「これがいいなって思うんだけど……」
尻すぼみする神楽は、タートルネックの丈の短いワンピース姿だった。初めて見るチョイスだ。俺はじっくり見て頷いた。
「それが一番似合ってるな」
年相応なんて言葉が出てきたけれど、口にすれば怒るだろうから言わないでおく。これが賢志あたりなら、あえて言ってみたりもするのだけれど。
俺の言葉に喜んだ神楽は早速レジに行った。
そんな感じで俺たちは商店街を回っていたが、偶然にも美帆と里織に出くわした。美帆はともかく、里織では何を言われるかわかったものではない。
「せんぱい、こんにちわ。けんじ先輩と福本さんと神楽さんもこんにちわ。なんだか初詣以来の勢揃いですね」
「節操ないって思ったのこれで何度目かな?」
「かもな。デーとしてるんだけど、お前らは?」
露骨に無視された里織がじっと見つめてきたけど気にしないでおく。
「お買い物です。さとり先輩に、化粧品でひいきにしてる店を案内してほしいと、お願いしたもので」
だらりとしている里織を美帆が連れ出したという訳か。
「せんぱいたちはもうお昼食べました?」
「もう結構前に」
もうお昼時からかなりはずれた時間帯だから当たり前だけど。
「それは残念です」
笑顔で返す美帆に、にこにこしながら福本が声を掛けた。
「私はさっちゃんたちとお昼したいなー。食べてないんだよね?」
「いえ。ただ休憩がてら何か食べようかなって。それならたくさんのほうが楽しいと思っただけです」
空気を読みながらも正直に話す美帆に心打たれたように、福本がことさらにこにこして言う。
「だったら決定じゃない。けんじくんもあやもいいよね? ナツくんももちろん」
「いいよ。いやなんてありえないし」
反対する理由もなかった。他も特に不満そうな顔もしてない。
マックの店内の席の座った俺たちは思い思いに頼んだものを好き勝手に食べる。俺の向かいに座った神楽がなにやら一生懸命にハンバーガーを食べていた。そこに美帆が話しかけた。
「神楽さん、その紙袋の中身は服ですか?」
「うん」
蚊の鳴くような声で神楽が答えると、うきうきと美帆が身を乗り出すように聞いた。
「せんぱいに選んでもらいした? センスが良いですからきっと良いの選んでくれますよ。自分のだと奇抜というか個性的なものを選んだりしますけどね」
「俺の勝手じゃないか?」
「おかしいともダメとも言ってませんよ。むしろ、すごいと思います。私にはそんなチャレンジできません。雑誌で無難に選びます」
軽く諭して美帆はコーラを啜る。隣でチキンナゲットを口に放り込んでいた里織が口を開く。「それが普通だと思う。恭一くんが変なだけ。それを仕事に生かそうと思わないのも不思議。どうせ、またくだらないことで悩んでいるだけだと思うけれど」
「くだらなくねえよ」
「ナツくんはもう進路考えてるの?」
以前、好きなものを仕事にするべきかと悩んでいたからか、俺の斜向かいに座った福本の目は真摯に見えた。
「いや、まだだけど。そういえばお前はどうするの?」
「ん? ああ、カメラのこと?」
鞄からあの一眼レフを取り出す福本をまじまじと見つめた。
「いつも持ち歩いてるのか?」
「部の活動にかこつけて、けんじくんと電車を使って遠くまで行ってるの。写真っていうのは特別な一瞬を収めたものじゃない? そう考えると心惹かれたものを撮りたいなぁって思っても撮れないときの方が多いでしょ? それに行けるところまで行きたいって感じて、市内だけじゃ物足りなくてなってきて、でも一人だと楽しみに欠けるからけんじくんを連れてるんだ。それを続けていたらほとんど習慣になっちゃった。持ってないと逆に落ち着かないし」
「習慣と言うより癖だろ、もはや。それに途中で川遊びにかまけたりで、写真を取り忘れるのもしょっちゅうだし、口で言うほどしてないぞ」
「写真部のくせに風情がないなぁ。それにそれは休憩。神経が尖ってきたら、良いものなんて撮れないんだよ。それにくつろいでるときにこそ、思わぬ発見があったりするの」
「あれだけはしゃいでいるのを見てると、とてもそうには見えないな」
茶々を入れるというか、暴露する賢志に福本は口を尖らせた。すると、神楽がおずおずと俺を見ているのに気づいて尋ねてみた。
「どうかした?」
神楽はびくりと肩を強ばらして、慌てて目をそらした。俺が怪訝な顔をして神楽を見続けていると、上目遣い気味になって、
「夏目くんは夢ってある? 進路じゃないやつ」
俺はじっくり考察してみるが、それらしいものは思いつかない。いや、判然としないというのが正しい。
「……ない、な。デザイナーとか考えたことあるけど、絶対じゃないし」
「…………ないんだ」
どことなく落胆した風だった。反対に美帆は楽しそうに顔をほころばせて、
「せんぱいがデザイナーっていうのも面白そうですねー。将来は世界的デザイナーにまで上り詰めそうです」
「ありえない将来像だな」
「想像できない。もし実現したら笑いそう」
「いい友達ができてうれしいよ」
皮肉るが賢志も里織も痛くもかゆくもない顔をしたから余計鬱陶しかった。素直に喜んでいるのは美帆ぐらいだ。
「お前らこそあるのか? 特に進学校だし、進路でざわついている頃だろ」
「私は自己推薦で名古屋の大学を決めてる。担当には落ちるなんてありえないって言われた」
さも当然のように言う里織に、俺と美帆は苦笑いだ。福本なんかは自分のことのようにすごいと騒いでる。
「学部は?」
「外国語学部フランス語学科」
すらりと口にする里織に迷いや後ろめたさなんて微塵も感じられなくて、少し圧倒されてしまう。
しかしその空気を吹き飛ばしたのは福本の大声だった。限界まで目を見開いた福本は、がたがたと机や椅子をふるわせるほどに驚いていた。
「ええええええええええ!? それって外国語大学!? 下手な東大生でも落ちるレベルの大学なんだよ!? それを自己推薦で、しかも教師の保証付きってさっちゃん、そんなに頭良いの!?」
「へぇ、そうなんだ」
俺や他の面子も単純に感心した気持ちだったが、福本は気にくわないのか、全員に噛みついてきた。
「みんな!? あの日本の最高学府の人でも落とされるところなんだよ!? すごいことだよ!? というか、けんじくんは進学校の生徒なんだから、感覚的にわかるじゃない!?」
「驚いたところで俺の進学に影響ないからな」
「ごめんなさい。漠然とすごいとしか言えません」
賢志の無情な言葉と美帆の苦笑いの前に、福本はがくりと肩を落とした。俺は二人の間ぐらいの感想だった。
「美帆は何かあるのか?」
「高津には優しいんだな」
「私はないですねー」
「何かあるだろ、夢とか」
「んー……? やっぱり、思いつきませんねー」
「それで賢志は?」
矛先を向けると賢志はかなり渋い顔をして俺を睨んできた。嫌がらせのつもりはなかったけれど、そう受け止められたらしい。
「けんじくんはT大だよ。しかも法学部が第一志望なんだ」
しかし福本があっさりとばらしたから、賢志はますます顔をしかめて、しかし諦めたように溜息をついた。
「そうだ」
そんな賢志の態度に福本はご立腹な様子である。
「胸を張っても良いのに。みんなだって、けんじくんの将来を馬鹿になんてしないよ」
「からかわれるのが嫌なだけだ。お前だって散々からかってきただろ」
「えー、すごいって言っただけじゃない。何もからかってないよー」
心外だと福本が怒ると、里織と美帆が、
「けんじ先輩って結構志高いですよね。普段は渋々みたいな顔してるのに」
「素直になった方がいいと思う」
賢志はほら見ろみたいな顔をして鬱陶しげにかわしていた。
「神楽は何か決めてるのか? 願望でもいいけど」
「…………私は……」
神楽は考え込むように、濁すように目線を下げて、
「何も……」
マックで話してるうちに福本と美帆が結託して全員で商店街の化粧品の店舗に向かうことになった。道草を食いつつ、到着すると賢志が嫌そうな顔をするから福本が腕を組んで無理矢理に店内に連れ込んだ。
俺と賢志を置いて、福本たちはあれこれと口紅で花を咲かせていた。賢志と違って俺は時折神楽に質問されて淀みなく答える。女との付き合いで培った知識はこんなところで役に立つ。
「この色はどうですか?」
「少し派手かな。こっちの薄い色の方がみっちゃんに合うんじゃない? せっかく肌が白いんだし」
「福本さんのほうが肌白いですよ。福本さんはこのうっすら紫がかかったのが似合いそうです」
「そう? ピンクが良くない?」
「普通すぎじゃない? あやの持ってるその色可愛いね? あやはその色好き?」
「好き、かな」
「ほんとですね。すごい、全然気づきませんでした。これのお試しあるんでしょうか」
「…………あ、これ」
里織は手に取ったお試しと書かれた口紅を、か細い声で鳴いた神楽の手の平にのせた。手渡された口紅をまじまじと見ていた神楽を見かねたのか、福本がにこにこと笑いながらそれをとった。
「あや、私が塗ってあげるね」
宣言して、口紅の先を神楽の唇に向ける。そして、言われるがままの神楽のそっと開いた唇にすっとさすと、確かにその色は神楽の雰囲気にとても良く合っていた。お嬢様然とした雰囲気がより引き締まり、パーティー会場に紛れてもおかしくないように思えた。
くるりと神楽は俺に向き直り、照れで赤くなるのをこらえるような顔で聞いてきた。
「似合う……?」
「かなり似合う。その色にすればいいんじゃないか?」
「じゃあ、そうする」
神楽は嬉しそうに棚からその色の口紅を抜き取って、大事そうに両手で握りしめた。福本が隣でにこにこと笑っている。
「よかったね。私はどれがいいかな? けんじくんもこっち来て選んでよ」
美帆と里織もまだ選んでいた。というより、いつの間にかダブルデートでなくなってる。
「さとり先輩は朱色が似合いそうですよ」
「美帆ちゃんはこの淡いの。さっきより薄い方が他が際だつと思う」
「んー、迷いどころですねー。せんぱいは、さとり先輩の色はどれだと思います?」
「美帆ちゃん。こんな奴に選ばせないで」
「少し待て」
里織の不満は脇に置いて、美帆が両手に持った色違いの口紅と、棚に並んだ口紅を見比べる。里織がますます目を尖らせて、
「だから選ばなくていいって言った」
「これじゃね?」
棚の真ん中あたりにあった口紅を引き抜いて美帆に差し出す。手に取った美帆はそれと里織を見比べてにっこり笑った。
「さすがせんぱい。この色、きっとさとり先輩にすごく似合います。はい、さっそくつけてみてください」
「………………わかった」
思うに恐ろしいほどまで葛藤だったのだろう。そう思わせる目の色に俺が呆れている間に、里織はすっとひいた。少しでも接触時間を短縮したかったのかもしれない。
どことなく怖い無表情を美帆に向けて里織は尋ねた。
「どう」
「やっぱり似合います。よかったですね、さとり先輩。泣き黒子との相性も抜群です」
美帆の掛けなしの褒め言葉に、里織は諦めたように吐息をついた。
「……仕方ない。美帆ちゃんが手放しに喜んでることだし、買う。恭一くん、ありがとう」
普段突き放したような物言いのくせに、非の打ち所ない結果には素直に感謝するところは可愛いと思う。しかし、付き合っていた頃にたまたまそれを口にすると、「合理的に考えただけ。人付き合いには欠かせないこと」と返された。多分、今もそう答えるだろう。「普段面倒くさがってるのが言っても説得力はない」と、これは里織に対する賢志の弁だ。里織と付き合う前も後も、俺たちは三人でつるむことが多かった。それは美帆が加わっても同じことだった。もしかしたら、里織が進学後、俺たちとの付き合いをほとんどなくしたのは、寂しいを自覚しないようにするためなのかもしれない。……いや、それはないか。
結局、福本以外の女は口紅他、化粧品を買って、その店の前で里織と美帆と別れた。携帯のディスプレイに目を落とすと、まだ少し時間に余裕がある。あと、もう一軒を冷やかすぐらい。それを福本に伝えると、人差し指を立てられた。
「じゃあ、あの喫茶店に行こ。えと、名前はー……」
「ミルフィーユ」
デートのたびに通ってる商店街の入り口付近の喫茶店だ。
「そうそう。ミルフィーユ置いてないくせに名前にしてるっておかしいよねー」
「今更か」
「気づいていたなら教えてくれてもいいじゃない。何よ、そのばかにしたような顔」
「実際、馬鹿にしているんだけどな」
「私をばかにして楽しい?」
とても怒ってるようには見えない顔で賢志を窺う福本を見て、俺は呆れた。
「痴話げんかはさっさと終わらせて行くぞ」
切りをつけて神楽の手を引いた。神楽は驚いて恥ずかしそうに目を伏せた。もう少しの間ぐらい神楽にいい目を見させても罰は当たらないだろう。
メロンソーダーを頼んだ神楽以外はコーヒーを注文した。店内は時間的に私服姿の学生が多かった。それでも飲み物は割と早く運ばれてきて、俺は疲れを飲み込むようにコーヒーを啜る。
「今日はなんだか、いっぱいはしゃいだね。次はみっちゃんたちも誘って遊びに来ようか? あやは楽しかった? ナツくんに手を引かれたけど、どんな感触だった?」
本人を前にして何を聞いているのか。ばつの悪さとか気恥ずかしさとかが頭にでてこないところもまた美帆と違うところだ。
恥ずかしさで俯いてしまった神楽を福本はずっと笑いながら見つめている。そこでやっと賢志が間に入った。
「とりあえずそれは恭一のいないところでしろ。余計に言いにくいだろ」
「それもそうだね。そういえばナツくん、女の子にいっぱい見られていたよね。ファッションが独特だから目を惹かれるのかな? ほっておけないんだ。昔からもてたんじゃない? 絶対もてたね」
「昔からそれなりに人気あったぞ、こいつ。口が良く回るから、面白い話をすればすぐに彼女ができる。逆を言えば別れた回数も多いけどな。手痛い失敗もあったと思うが、そのあたりどうだったよ」
「ねぇよ。僻みですか」
余計なことを言うなと睨みをきかせて、コーヒーを啜る。全く昔からろくなことを言わない。だからもてないんだ。
「違う。俺がもしお前みたいに周りに気配りすることになると思うと、ぞっとする」
「お前、それは随分な言い方だろ」
「あや、ここでナツくんのフォローをすれば、好感度あがるよ」
「ほんと?」
好きにすればいいけど、余程上手い言い方でないと逆効果になるんだけど。お前らにできるとは思えない。案の定、何一つ言えず、神楽は俺に話しかけることはなかった。
イクニさんを見送るのに、俺はあまり綺麗ではないホームに立っていた。隣に立つ彼女は初めて会ったときと変わらない格好で、足下にはやっぱり妙に古めかしいデザインでぼろぼろのトランクが置かれてある。彼女が乗る電車はもう少しで来るらしい。それぞれの口元には、セブンスターとジタンがくわえられ、どちらも濁ったような色の灯りが踊っている。そして燃えかすのような煙が頭上に立ち上り、でもそれもすぐに途切れる。煙の一生の短さが、何故か残念に思えた。
「見送りご苦労さん。もうそろそろ来るけれど、見送りだけでいいの? キスぐらいまでなら許すわよ」
好きに来ているから別段気には障らなかったけれど、でもその口ぶりが彼女らしくないような気がした。今日の別れも、昨日唐突に報されたものだし。
「どうせしてもらうなら、心底好きだからするキスがいいですね。同情はいりません」
「それでこそ君ね。もしかして進路が決まったのかしら」
「何でそう思うんですか?」
「目が違うわ」
淀みない返答に俺は白状した。
「美容師に決めました。なんだか俺が求めてる何かがある気がして」
「目的は大切だものね。素敵な志だと思うわ。美容師ってことは専門学校に通うのよね?どこかもう決めてあるの?」
「東京の専門学校って決めてます。だから同時に美容院に就職しよって考えてます。今考えてる通信制は十月に入学になるみたいですから、それまでに貯めたお金を入学金に当てようって。足りない分は当分は親に借りようかと。家賃などもありますし。とりあえずはまず、働き口を探してます。都内に面接をしてくれるところがあるといいですけど」
「よく考えてるのね。見違えたわ」
「そうですか」
「お世辞は言わないわ。私が感じたことを言っただけ。胸を張りなさい。君は自分の選択を誇るべきよ。だから」
同時に、ホームに電車が向かっている知らせが響き渡った。それによって彼女の言葉はかき消され、聞く機会はもうなかった。イクニさんはもう俺を見ていなかったからだ。俺は聞き直そうという気力がもてず、ただ黙って彼女と同じ方向をじっと見つめた。さっきの知らせが肉声だったから聞き取りにくかったけれど、もうそろそろだろう。別れを告げれば、この先イクニさんと会うことはもうない。そんな確信があった。知らせと共に電光掲示板が赤く灯る。注意などの文字が眩しいぐらい、薄明るいホームの中で輝いていた。
不意に彼女が自動販売機に足を運んで、缶コーヒーを二つ買ってきた。
「はい、これ餞別」
「どうも」
しかし手渡されても、彼女がタブを開けないから、俺も機会がなくて飲まず仕舞いだった。
そして電車がやってきた。
「ありがとう。ここでの滞在は面白かったわ。色々と案内してくれてありがとう」
「こちらこそ。色々と面白い話を聞けて勉強になりました」
「嬉しいことを言ってくれるわね。君の夢が叶うことを祈ってる。……さようなら」
テロップを踏んだ彼女はもう振り返らなかった。俺もただ見送るだけだ。
やがて、警告の声が聞こえてきた後、空気が抜けるような音と共にドアは閉まった。同時に少しずつ速度を上げながら電車は遠ざかっていく。
そして電車が視界から消えたとき、タブを開けて、啜る。すぐに顔をしかめて目を瞬いた。
ブラックはやはり苦い。でも、目覚ましにはちょうど良かった。
春を匂わせる頃に神楽からデートの誘いがかかった。初めての二人っきりだった。場所は彼女の希望でM市の大型商店街とその周辺である。
最初は、どこかで賢志たちが隠れているのかと思っていたが、デートを始めてからしばらくしても、影の一つも見当たらないからその線は薄いと結論づけて、神楽にできるだけ真っ直ぐ視線を向けて付き合うことにした。
自分自身、この考えがすでに神楽に興味がないことだと、わかっていて、なんとなく疲労を感じた。
デートのルートは、以前のダブルデートだった頃と大きくは変わっていない。店舗も大きく変わっていないから当たり前ではある。
しかし神楽の気分だけは違った。基本的にあの人見知りでわがままなのだが、どことなく浮ついている気がする。俺と自分と前方しか見えてない気がする。そんな姿勢だった。
それに今日の神楽はかなり気合いが入っていた。以前も気合いが入っていたが、今回はアクセサリーの他に、身だしなみにも繊細なまでに気を遣っているように見えた。
以前との違いは三件目のレディースの服屋に入ってからわかった。薄い化粧は以前と同じだが、唇の色が違った。うっすらと光沢のあるピンク色の口紅だった。中身に似合わぬ清楚な顔によく合う上品な色だ。だから、服装も袖口のゆったりしたワンピースで、ストールのようなものを肩に掛けているのか。
すごく今更気づいた。俺としたことが、うっかりしてた。
すると、今まで服の上から気になった服を当てていた神楽が、不安そうな顔をして俺を覗き込んできた。こうした体の距離がないのは、絶対に福本の影響だろう。
「似合わないなら似合わないって言って。……もしかして、遠慮してる? 前に私がわがまま言ったから?」
「違う違う。今日の神楽が良いところのお嬢様にしか見えないから。ちょっとかしこまってみようかなって思って。お抱え運転手風に」
言葉通りの冗談に神楽は目を細めた。
「じゃあ、ちょっと甘えて、お願いしてみようかな? 演技に自信ある?」
神楽らしくない返しに俺は内心驚きながらも笑って答える。
「ないけど。ちょっと待て。練習してみる」
そう言って、神楽の前でそれを披露してみると、何とも言えない顔をされた。不器用で、正直な奴だ。美帆とかなら、ここで一言ある。余計なこともあれば、上手すぎて吹いてしまったりもする。まあ、あれと比べるのは酷だし、同じにしては失礼だろう。
「……やっぱり、やめておく。上手く言えない」
それは俺の助け船か、それとも神楽のノリか。判然としない答えだった。やっぱり、美帆とかなら追求するのだが。
神楽は誤魔化すように笑っている。やっぱり神楽らしくなかった。
「それで、この服はどう? 似合う?」
「いいんじゃないか? でも、それだと似た服ばかりじゃないか? それだと、これなんかどうだ?」
差し出してみた服を神楽は思案げにじっと見て、不機嫌な顔をした。
「どうして、いつもいつも良いもの見つけるかなぁ。ていうか、よくさくさく動けるよね、こういう店で。ふつー、男子って気後れしない? もしかして、私ってこどもっぽい?」
「子供っぽいって?」
神楽は言い辛そうに、
「……選ぶ服」
「いいんじゃないか? センスなんて人それぞれだし」
俺なら勧めないなんて言葉は飲み込んでおく。神楽は不機嫌な顔のままだった。
「……試着してくる」
意地を張るような声を置いていった。
試着室から出てきた神楽は俺の見立て通りよく似合っていた。これは満足のいく出来だ。
すると唐突に、神楽が勘ぐるような顔をして、
「ねぇ……。田沢さんが言っていたのって、もしかしてほんと? 夏目くんは女子を着せ替えするのが趣味だって」
「すげぇ失礼だよな、それは? マジで信じてるのか、そんな与太話?」
「そんなことないよ!」
そんなわかりやすく焦らないでほしい。思っていることが明らかすぎて、余計ざっくりくる。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、神楽はますます焦りを口走ってきた。俺は呆れ顔で、
「わかったから、その辺で落ち着いてくれない? あと、そんな人聞きの悪い発言は忘れてくれ。そしてこれから真に受けるな」
神楽は神妙に頷いた。しかし里織は最悪だ。確信犯だろうから余計に最悪だ。
途中そんなハプニングに遭ったが、それからは滞りなくデートは楽しく弾んだ。以前のようにすぎたわがままがないからだと思う。やがて、帰りの電車を心配する時間帯になった頃、神楽が不意に提案した。
「お城のほうに行かない?」
「お城? 別にいいけど、何かあるのか?」
「何もないけど、行きたい」
絶対断らせないという妙な気構えを感じて、大体見当がついた。だから、俺はそれ以上追求せずついて行くことにした。
M市の城へ行くには、橋を使うしかない。もしくは外堀を泳ぐか。また城のある敷地には、美術館などといった公共施設がいくつか鎮座してあり、今の時期はどうかは知らないが、展示などをしたりしてるらしい。
俺たちがやってきたのは、憩いの場として使われているらしい石垣の下だ。木々が立ち、芝生のように雑草が生え、申し分程度にベンチが置かれてある。それでも人の姿が意外と多い。
俺たちもその一人として、ベンチに腰掛けて涼むことにした。でも、隣で肩を強ばらせている神楽にそんな目的はないだろう。俺としては、できるだけ早くしてほしいと思う。
「あ、あのさ!」
「何?」
震えているせいか妙にイントネーションのおかしい第一コンタクトに、自分から顔を赤くして自爆してる神楽に、一応気を遣って促した。けれど内気で、しかもいっぱいいっぱいな状態に陥っている神楽が気づくはずもなく、ますます狼狽えていた。
「えと。ど、どう言えばいいのか、わからないのだけど……」
一言で済む話である。というか、神楽のへたれ具合が賢志とかぶる。
「せっかく、ここに来たんだから、言いたい!」
外見がこれなのに男っぽい口調なのは、ギャップがあって良いという男もいるんだろう。経験があると妙なところで余裕だ。
「す、すすすすっすすす!」
ここまで緊張の極まった奴は初めてだった。吹き出す前に言い切ってほしい。
「すすすすきです」
「悪い。付き合えない」
「…………」
途端、下唇を噛むほどに顔をしかめて俯いてしまった。居心地が悪いが、好きでないのだから断る返事ぐらいしかない。
「お前の何かが悪い訳じゃないよ。自分の悪いところを直してるところは、素直にすごいと思う。ただ、女として好きとは思えないんだ。いや、付き合うってことが今は考えられない。そんな余裕がないんだ。自分がしたいと思ってる職業にしか頭が向かない。だから、悪い」
言いたいことは全部言った。もし神楽がわがままを行使しても、諭すだけだ。無理なら福本を呼び出す。その際、迷惑を掛けるなんて考えない。
しかし、神楽は黙ったまま頷いた。俺はまさか納得するなんて思ってもみなくてびっくりした。今日のデートで一番の驚きで、印象的な瞬間だった。
断ったときから賢志に呼び出されるのは予想の範疇だった。誤解を招かれても嫌だから、素直に応じて、家を出た。
賢志が指定した場所は某うどんチェーン店だった。食事時からずれた時間帯だからか、店内にほとんど人の姿はない。壁際の席に腰掛けた賢志の背中に声を掛けて、隣に座った。セルフサービスの店で、すでに賢志はトレイに底の深いお椀を載せてうどんをすすっている。
「食べずに待てよ。もう食ってるのか」
「さっきまで春に連れ回されていたからな。食わないと喋る気も起きない。話長くなるからお前も食えよ。三時のおやつだと思えば食えるだろ」
「どんなだよ」
二人前よりはありそうな量のうどんをおやつとは言わない。俺は結局注文せず、賢志から用件を聞き出した。
「どうせ神楽のことだろ?」
「それ以外で呼び出すことがあると思うか? 絢の件が意外だったから、聞きたくてな。別に俺も春も怒ってないし、文句もないからな。誤解するな」
「それで?」
「見た目は可愛い方だろ。性格だって矯正すればいいわけだし。実際、お前に告白を断られても前みたいな癇癪は起こさなかったろ? 俺も春も、今回あいつがお前のことを好きになったのは良い契機だと思ったけど、別にそのために是が非でも付き合ってもらいたいとは思ってないぞ。それで絢がわがままを言うのなら、結局あいつ自身に何の変化もなかってことだ。お前の責任じゃない。だけど、絢は変わった。自分の思い通りにならなかっても、相手の意志を尊重して我慢することを知った。だからこそ、お前が断る理由が思いつかなくてな。あれなら要領の良いお前のことだ。上手く付き合えるだろ。付き合いきれる保証はないけれど、それも良い経験だ。付き合いの浅い春は気にも留めなかったが、俺はすごく気になった。できれば聞かせてくれないか?」
「単純に俺の好みじゃなかった。それだけの理由。そんなものだろ?」
「ないこともないが、でも違和感があるんだよな。なんて言えばいいのか、思いつかないが。田沢を呼べば良かった。……前のお前はなんだ。軽々しかった、いや……。やっぱり軽々しいであってるか。しかし足りないな……」
苦虫を噛み潰したような顔をした賢志は散々頭をひねったようだけど、結局、うどんを食べ尽くしたのを機に諦めたのか話題を変えた。
「もう少しすれば俺たちも三年だな。どうせお前は就職だろ? それ関連の集会でもしてるのか?」
「くそつまらないのをもう何度もしてる。毎度同じことを言って効率悪いよな」
「教師なんてそんなものだろ。俺のところは夏休みは全て夏期講習で埋まってる。しかも塾じゃなくて学校のだ。その辺の低レベルな塾より西高の教員が指導した方が効率が良いと言うが、むしろ塾に行った方が効率がいいと思うがな。それに根を詰めすぎるとかえって効率が悪くなる。そのあたりがわからないあの教員どもは揃いも揃ってへぼだな」
賢志がここまで口汚く罵るのも珍しい。それほどにストレスが溜まっているのか。
「それはともかくだ。そんな話をしにきたんじゃないんだ。やっぱり、気になるぞ恭一。お前、他に理由はないのか?」
「ない。どうやってもそれ以上何も言えないからな。そういや、まだ部活続けてるのか?」
「夏に入る前に引退する予定だ。俺は気にしてないから、もう少し延長してもいいんだがな。春が俺の進学を気にして、早めに引退を切り出したんだ。あいつの熱意を考えれば秋のコンクールに出店してからでも遅くないと言ったのに。案外心配性だ、あいつは。お前からもそれとなく言っておいてくれ。俺がこれ以上言ったところで頑なになるだけだ」
「まあ、それとなくな」
「お前の口で俺の気持ちをくみ取ってくれるといいんだかな」
「意外と苦労してるんだな」
その言葉に賢志は苦笑いを浮かべた。
「頼み事するなら、今からカラオケに付き合えよ」
「はぁ? 待て、なんでそうなる。お前一人で行けばいいだろ。俺は疲れてるんだ」
しかし賢志が嫌そうな顔をするから、俺は呆れ半分からかい半分に言葉で押さえつける。
「俺に力を借りたんだから、これぐらい付き合えよ。というか、これでチャラにできるんだから安いものだろ」
「結果を出してから言え。もし失敗すれば俺は大損だろ」
「俺を信じろ」
「信じたって失敗したことも相当あるだろ!」
「今回ばかりは俺も真剣に取り組んでやるから、行くぞ」
「だから信じられるか!」
そんな攻防はしばらく続いて、結局賢志は諦めた。口げんかをして俺に勝てたことがないのに、諦めの悪い奴だ。
「どうして恭一くんがいるかな?」
最初から里織はかなり不満そうだった。美帆が笑顔で取り直す。
「私が呼びました」
訂正、かき回した。知らない間にいい根性をつけてきてる。まず間違いなく里織の影響だろうが。里織は驚くことなく、俺をじっと睨み続ける。
「来週にせんぱいが面接行くらしいので、お祝いしましょうよ。もしせんぱいが落ちてもいいように慰め会も含めてます」
「さらっと言うな」
「しかし落ちる確率だってあるわけですし。完全にお祝いなんてしましたら、仮に落ちたときすごくせんぱいに悪いじゃないですか」
悪びれた様子なく美帆はからりと言う。そこまで言われると、文句も言いにくい。しかし、言いたいことははっきりと言っておく。
「落ちる確率なんてこれっぽちもねえよ。余計なお世話だ。そもそも受かった後に祝えばいいじゃないか。その方が確実だろ」
「だからって私の部屋でしなくてもいいと思う」
里織の言うとおり、今、俺は里織がM市で借りているマンションの一室にいた。まさか里織の部屋だとは露知らずに尋ねると、絶句した里織と妙にうきうきした美帆に出迎えられた。それからずっと里織にうじうじと文句を言われている。当然俺だってここまで迷惑がられたら出て行きたいのは山々だが、美帆がこっそり牽制をかけてるから部屋から出られないのだ。
そもそも、美帆と二人だけのお泊まり会と聞かされて、あっさり承諾する里織にも責任があるだろう。そこまで仲が良かったのか、お前ら。
美帆から聞かされるに、この八畳のワンルームという間取りは里織の希望らしい。里織の両親はもう少しランク上のマンションを勧めたが、若い内から贅沢してると親離れができなくなるという里織の意志によって、妥協案としてこのセキュリティが完備されたワンルームマンションとなった。
ちなみに、ここでパーティーを開くのに、かなり里織をなだめなければならなかったのは言うまでもない。
料理を作るのは今回のパーティーの発案者である美帆だ。飾り付けは部屋の主である里織との協議の末に禁止らしい。玄関から部屋に入るまでの細い廊下に備え付けられた小さなキッチンで、美帆は軽快な音をたてながら料理に勤しむ。途中、いやいやながらも里織が手伝い始めた。だから俺も手伝いを申し立ててみるが、やんわりと「せんぱいが主役ですから手伝ったらだめですよ」と断られた。すっかり手持ちぶさただった。
「呼ぶならある程度出来上がってからにすればいいのに。俺がすごい暇じゃんか」
「すみませんー。思い立ったら吉日とばかりに決めましたから」
「確かに早すぎだったよな。三日ぐらい前に決めたことなのに、もう準備完了みたいだったし」
それもその次の日には、このマンションと部屋の番号まで書かれた地図を用意するという迅速な行動力。
「他の面子も呼んでるのか?」
「まさか、呼んでませんよ。振られて傷心している人をうっかり呼ぶほど抜けてません。けんじ先輩や福本さんにはそちらをお願いして貰います。このお祝いには、せんぱいと私とさとり先輩しかいません。せんぱいは私のことをどう思っていたんですか? もしかして抜けてるように見えました?」
「ん、いや」
「そうですよね」
というか、やっぱり美帆の耳にまで伝わってるのな。あのお喋りめ。脳裏にお気楽者の顔がよぎった。
すっかり外が暗くなった頃になって、やっと料理が部屋に運ばれてきた。中央の足の低い机に結構な種類の品々が置かれた。
「意外と多いな。つか美帆、料理できたんだ?」
「失礼ですよ。せんぱいに頼り切ってるのがいやだから、お母さんに教えてもらったんです」
「女心がわからないの?」
拗ねる美帆を援護するように里織が呆れて言った。
「あー、すみません。じゃあ、早速食うか」
まずは手前の料理に箸を伸ばして、口に運ぶ。すると、俺は目を丸くした。
「マジでうまい。すごいな、俺のところの母親よりうまいぞ」
「よかったです。たくさん練習した甲斐がありました」
俺の口からぽろぽろ出てくる賞美に、顔全体をほころばす美帆はまるでこどもみたいだった。
ある程度食事が進んだあたりで、里織が不意に尋ねてきた。
「美帆ちゃんが喋ってたんだけど、面接をしてくれる店が見つかったんだって? 東京なんだ?生活できるの?」
そんなに俺は考えなしに見えるのですか? そんな顔をして俺は答える。
「それは失礼じゃないか? 聞いてる限りの給料でちゃんと生活できるから。それに貯めてる金もあるし、最初の給料がでるまでの生活もできる」
「ふぅん?」
里織はつまらなさげな顔をして、
「仕事しながら美容師の勉強するらしいけど。両立できるもの? 入学はいつあるの?」
「できるできる」
信用できないとよく言われる軽い調子で口ずさみ、
「入学は十月。それまでに出来る限り貯金して入学金に当てる予定」
「それは美帆ちゃんが言ってた。それにしても十月からって、微妙な時期に入学式があるんだ」
「俺は通信制なんだけどね。それで遅いんだよ」
「ふぅん」
またしても里織は気のない返事をする。しかしそれとは別に、俺は残念な気持ちがむっくりと頭をもたげる。
「面接してくれるところ、東京といっても田舎の美容院なんだけどな。贅沢は言えないけど、ちょっと残念。まあ、二、三年後に大きいサロンに行く予定だけど」
「根拠あるの?」
「さとり先輩……」
身も蓋もない言い方に俺も美帆も苦笑する。確かに根拠はないけどな。もう少し気を遣ってほしい。
けれど、里織はそんな反応にも大した興味を示さず、料理を一つつまんで飲み込む。
「私には関係ないことだから、恭一くんの好きにすればいいけど。美帆ちゃんを巻き込まないでよ」
「俺はそんなことしねえよ」
いい加減、その勘違いをやめてほしい。
「面接は来月でした?」
「六月の上旬。店長ともう一人が面接してくれるって。今から服選びに余念がなくって大変だ」
「そこで服装に気を遣うところが、せんぱいですねー」
美帆はくすりと笑い、里織はどことなくしかめたような無表情で言う。
「何を聞かれてもいいように、そのあたりのことも考えておいたらどう? いざ予想はずれのことを聞かれて慌てると、みっともない。無様」
「まあまあ。せんぱいだって、せんぱいなり考えているんですよ」
微妙な物言いで言われると、それはそれで困るのだけれど。
「そういえば、もし合格したら、家具なんかはどうするんですか? やっぱり東京で買うんですか?」
「そのつもり。ただ、そうすると押し入りに押し込めてある、雑誌や服をどうやって処分しようかなって思ってるんだよな。そこも悩みどころ」
「ユニクロで買いすぎなんですよ、せんぱいのそれは。雑誌はいつまでも残しておくからかさばるんです。あきらめも肝心ですよ」
もっともな意見に俺は反論ができない。せいぜい拗ねるように言うぐらい。
「わかってるよ。でも、口で言うほど諦めがつきにくいんだよ。わかってくれ」
「わかりますけど……。まあ、かさばる原因は買う雑誌に男性女性関係ないっていうのもありますよねー」
「そのせいでたまに私も美帆も助かっていたっていうのが癪。払拭したい過去よ」
また随分な言い方だ。
「助かっていたなら少しぐらい感謝してくれよ。俺への態度をもう少し優しくするとか」
「自分がしたときだけ恩を着せてくるな。これで十分譲歩してるほう」
「冗談だって。というかそれで優しいのかよ」
「そう。見えない?」
「見えない」
ふんぞり返っているところが余計にだ。すると里織が盛大に溜息をこぼした。その仕草に昔の彼女が垣間見えたような気がした。いかにも面倒くさがりな溜息だった。
「恭一くんはわかってくれないんだ。仕方ないか。わかってくれないなら、それでもいい。普段は気が利くのに意外なところでにぶい恭一くんらしい」
「もう少し詳しく教えてくれよ」
気になって求めてみるが、里織は誤魔化すような顔をするから、ますます意地になって尋ねてみる。それでも結局教えてはもらえなかった。機嫌を損ねた俺は里織を一瞥して話題を変えた。
「お前はどうなんだ里織。まだ五月だけど、推薦の下準備みたいなのはないのか。いつあるんだ、推薦は?」
素直に教えてもらえるとは思わなかったけれど、意外と里織はすんなり教えてくれた。
「出願の準備は二学期に入ってから。それまでは面接と英語を練習したりするぐらい。といってもそれが一番大事なんだけど。英語のレベルが全然違うんだもの。外国語大学を受けた先輩の残してくれた資料を見てて、そう感じたわ。実際勉強してみると追いすがるのがやっとみたいな。それに私以外にも他校にも推薦に望む人はたくさんいるから。ストレスがかなりたまる。試験日は確か十一月だったと思う。……憂鬱だわ。美帆ちゃんも覚悟した方が良いわ」
「覚悟しておきます」
きちんと理解してるのかわかりにくい笑顔で美帆はそれに返した。でも、こいつのことだから進学も就職も難なく合格しそうだ。
すっかり料理を平らげて、美帆が淹れてくれたお茶を全員で啜る。
面接の結果は六月下旬に店長から電話で報告された。それまで、実はどきどきしていた俺はうわずった声で応対して、合格の言葉に思わずガッツポーズをするほど喜んだ。
ついでに、手当たり次第に次々と友人にメールを送って無理矢理分かち合った。返信があったのは美帆と賢志、他友人たちだけだった。例によって里織は無視。福本と神楽は送らずに置いた。美帆は素直に喜んでくれたけれど、賢志は言葉身近に皮肉だった。
期末テスト明けの休みに俺は美帆をファミレスに誘うと、ついでに賢志たちも呼ぶことになった。そうしてファミレスに集まった俺と美帆と賢志、福本に神楽はそれぞれ注文を終えて、里織が来るまで食事と会話で時間を潰すことになった。
「無事、合格おめでとう。将来は美容師なんだよね。そのときは私も切ってもらおうかなー。ねぇー、あや?」
「楽しみ」
「先は長そうだけどな。専門学校は二年間だったか? その間に免許とれるのか? 曲がりなりにも国家資格だろ?」
「夢がないなー。それに水を差すの禁止ー」
「本当のことだろ」
しかし賢志は真顔で返すとコーヒーを啜った。福本はそんな賢志を困った子供を見るような笑顔を向けて、話を戻した。
「面接ってどんな感じだったの?」
そういえば詳しい話は美帆や同じクラスの友人にしか話していなかった。
「かなりゆるい面接だった。飲み物何がいいかって最初聞かれたし」
本当に拍子抜けだった。一応、正装風な格好で望んでみたのだけれど、あまり意味がなかった気がした。
すると、美帆が余計なことを言う。
「こんなこと言ってますけど。合格だって言われるまで、かなり心配していたんですよ。同じクラスの人に、いい加減にしろって言われてもずっと頭を抱えてました」
「あははは。意外と心配性なんだ」
「普段、自信家なくせに、いざってときに足がすくむんだよな、こいつ。そんなときはいつも俺を付き添いに強要するんだよな。それに人の話を聞かないところもあるから、失敗だって多いし。結構、人に迷惑かけてるよな?」
「へー?」
福本と神楽が好機の眼差しで聞き入ってる。俺は気分を損ねて舌打ちする勢いで文句を吐く。
「あることないこと話さないでくれない? お前も失敗多いだろ」
「本当のことを言われたからって怒るなよ。余裕のない男は嫌われるぞ」
「うるぜえよ。お前には言われたくない」
「まあまあ。そんな足の引っ張り合いはその辺にしてください。それに二人だけでじゃれ合わないでくださいね。まぜられない話はつまらないです」
「じゃれてねえよ」
そう口にすると、美帆は意に介した様子なく笑う。
「東京ってどうだった? やっぱり、道路が人や車で埋め尽くされていた? 通りの両側全てに店舗が隙間なく入っていてすごい賑わいなんだよね? 夜はとても綺麗なんだよね? いろんな色の光で夜が照らされていて、街全体を華やかに彩っているんだよね?」
なんとなく昭和の東京が脳裏をかすめた。間違ってはいないんだけど、福本の脳内でかなり脚色されていそうだ。福本の言葉をそのまま持ち上げるのに気が引けたけれど、
「そんな感じだな。むちゃくちゃ人いたよ。深夜でも人の流れが途切れないのがすごくて、胸が高鳴りっぱなしだった。東京の空気は濁ってるって言うけど意外とそうでもなかったな。煙草のマナーもよかった。やっぱり田舎と都会は全然違うな。服だって中途半端でもヤンキー丸出しなてかてかやドクロまがいでも、ジャージでも、ださくもなかった。みんな外も中もあか抜けていた」
「鼻の下がだらしなくなるぐらい浮かれていたんだな」
またもや賢志が話の腰を折るようなことを言うが、気にせず続けた。
「かなり暑かったけど、そこは東京で暮らせることを考えれば許容範囲だし」
「すごいなぁ。やっぱり夢を持ってると気構えも違うんだぁ」
福本の素直な感嘆が心地よい。たとえ、一足先に美帆に合格祝いをされていてもだ。
むしろ祝ってくれる人が増えたのだから喜ばしいことだろう。
「なに照れてるんだよ。乗せられやすい奴だな」
「浸っているときに余計なことを言うなよ。空気読めよ」
「読んだ上に言ってるんだが」
「なおさら最悪だな」
いつにも増してしつこくからんでくるから、さすがに俺も眉をひそめた。
「お前、何かあったの? 今日はしつこいぞ?」
「それはお前、受験生の前で受かったと騒がれたら、気分も悪くなるだろ。こっちはまだ受験勉強のまっただ中なんだぞ」
それは確かに気遣いに欠けていた。うっかり騒ぎすぎたと思う。
「悪かったけど、それでも少しぐらい分かち合っても良いだろ」
「よかったな」
口元が引きつった。まあ怒るほどでもないが。こいつは子供なのだろうか?
それからしばらくしてやっと里織が到着した。手を振って居場所を教える美帆に促されて、里織はその隣に腰掛けた。
夏休みに入って、それ以降では、こうして集まるなんてことはほとんどできないだろう。合格通知が今の内に届けられたのは良いタイミングだったと思う。
「はい、どうぞ。談笑してるんで、さとり先輩も何か食べてください。みんな、もう一足先に食べてしまいました」
「ん、わかった。仕方ないもの。一時間近くは待たせたんだから。謝罪するべきは恭一くんのはずよ」
メニューを受け取った里織は流し目に俺を睨む。
「悪かったって。メールで済ました俺が悪い。でも、それならいつも携帯をもっておけよ。何してたんだ?」
電話がつながらなかったのだから、仕方ない処置であるはずだ。責任は里織にもあると言うと、不機嫌そうな顔で、
「いちいち、どうしてあんたに教えないといけない? 私だって忙しいときがあるんだから。あんたみたいに暇じゃないの」
「俺だって、いつも暇な訳じゃないんだけど」
「なら聞くな」
美帆が取り直すように里織の持つメニューに顔を寄せた。
「もう決まりました? 私はこのパフェにしようと思っているんですけど、さとり先輩は何か見当つけてます?」
ここからだと見えないが、どうやら里織の開いてるページはデザート系らしい。
里織は真顔で聞き返した。
「すごくカロリー高いのに、美帆ちゃんは気にしないのね。私はそれはパス。食べたらしばらくは、カロリー計算を綿密にしないといけなくなる。野菜ばかりの食生活を、私と一緒にしてみる?」
「すみません……」
乾いたように笑う美帆はもう一度メニューに目を落として、
「このセットはどうですか? カロリーもこれだけですし、お財布にも優しい値段ですよ? それにこのケーキはさとり先輩の好みっぽいですし」
そんな感じで美帆と里織がメニューにのめり込んでいる間に、神楽が不意に声を掛けてきた。
「夏目くんはもうここに戻ってくるつもりはないの?」
「どうだろう。……多分、もうないな」
多少の無理でも押し通せるのが若さだ。なら、今の内に東京の生き急ぐような空気にまどろんでおきたい。年をとってからでは遅いのだ。東京に行って来てそれは確信の域にまで達していた。
案の定、神楽はどことなく寂しそうな顔をしていた。それを福本が優しく諭す。
「会いたいなら、頑張って会いに行けばいいじゃない。遠い場所じゃないんだから。お金を貯めればいつか行けるでしょう? それにもしそのときナツくんに彼女が出来ていたら、隙を見て奪えばいいじゃない。それぐらい意気込んでおかないと、ナツくんは無理だよ」
なにやら不穏なことを言っていたが、聞いてない振りをしておこう。神楽がちらちらと俺を窺っていても気にしない。
「全くこいつのどこがいいのか俺にはわからないな。どうして昔からこう女にモテるのか」
「へらへらしてるからよ」
メニューに目を落としたまま、里織がぼそりとこぼした。
「うるさいよ」
結局、里織と美帆が注文したのは、ケーキとコーヒーのセットで、すぐに運ばれてきた。その運んできたウエイトレスの顔をちらりと見て、そういえば誰かがここのウエイトレスは可愛いと言っていたことを思い出したが、言っていたほどでもなかった。
「そういえばここのケーキって結構本格的だってクラスの子が言ってたよ」
そう言われてみると二人のケーキに安っぽい雰囲気はなかった。他の女性陣が凝視する中、二人とも気にした様子なく、切り崩した部分をフォークで刺して口元に運んだ。
美帆は口元に手を当てながらにっこりと微笑み、
「ほんとにおいしいです」
「ファミレスでこれってかなり上等」
「さとり先輩、さすがにそこは素直においしいって言いましょうよ」
「ここで出すには少し勿体ないと思う」
「じゃあ、聞いたとおりにおいしんだ。今度また来ようね、けんじくん」
「そんな暇があればな」
「あれ? 私はもう結構気楽なんだよ? 芸大の推薦もらえそうだし。あとは、けんじくんの頑張り次第。私の期待に応えてね」
「応えられたらな」
素っ気ない言い方の賢志に俺は面白がってつついてみた。
「そんなのしてみないとわからないだろ?」
「そうです。根性です」
「うるさい」
便乗する美帆を含めて賢志が睨んだ。俺はますますからかいを強めた。
「そんなに苛々するなよ」
「誰が苛立たせてるんだ」
福本と美帆が笑う。美帆はともかく、福本も俺と賢志の付き合い方に慣れてきたみたいだ。
そして、談笑も一段落したっぽい空気になったとき、福本が待ってましたと言わんばかりに高らかに声を上げた。
「さて、そろそろ場所を変えない? カラオケかボーリングなら、談笑するも良し遊びも良しじゃない? みんなはどう?」
その福本が発端の提案に、意外とみんなは肯定的だった。里織や神楽にすら目立った不満はなかった。そして話し合った結果、ボーリングになった。神楽も自分から意見をするようになったから、話し合いはスムーズに進行した。告白に決着をつけた件から、少しずつ変わってきているみたいだ。あの癇癪はここ最近見ていない。賢志に言われるまでもなく、良い傾向だとわかった。
散々美帆に愚痴ったが、卒業式までの毎日はかなり長かった。
精神的にとても苦痛だった。
早く卒業したいと何度も願い、耐え難いほどの苦痛を味わいながらここまで来た。
しかし、だからこそ、感慨深いと思えたのは卒業式を迎えられた余裕かもしれない。
卒業式が終わったとき、もうこんな監獄と思える高校にもう通わなくてもいいのだと、体に羽が生えたような気がした。
いや、その気持ちは自由登校になった頃からあったと思う。
バイトの都合で二月まで引っ張ってきた教習所に、着納めというか、これから先もう着る機会はないのだから、供養と称して学生服で通ったのがその証拠だ。もちろん、帽子やマフラーで他との差別化は図った。
あと、制服の第二ボタンをほしいと言う奴は誰もいなかった。美帆も欲しがる様子を見せなくて、冗談っぽく聞いてみたけれど、冗談として受け取られた。まあ、虫の良い話だと、一応自覚はしているけれど、ちょっと傷つく。
二月中に教習を終えて、高校卒業後に運転免許センターに行って、本免試験に合格するだけになった。賢志と福本もその域まで来てたと聞いていたけど、試しに受験ということで電車とバスで向かうと福本が賢志に寄り添うという形で見つけたときは、色々言いたくなった。それでも一番は、かなりの受験者数で、見つけるつもりもなかったのに、腐れ縁というしぶとい縁で出会ったことに、お互い呆れた。
補足として、俺だけ合格するのに一週間ほどかかったのは笑い話にした。それでも、運転で失敗し続けている神楽よりマシだろ。不用意に口にすれば、拗ねるから言わないけど。
俺が今月の十六日に一足早く町を出ることは、機会があった順に他の友人を含めて、全員に言ってある。
なら、もう一回集まろうとも約束してある。
ここまでくるのに、少し前までは遠回りしているように感じていた。まだ将来のことで決めあぐねていたくせに、現状にばかり不満を抱いていた。意味がないことだと知っていたくせにずっとしていた。
そんなときに、イクニさんに出会えたのは幸運だった。東京へ行くのに、都会は出目金の集まり、田舎はやせ細った金魚の集まりだと知るのに、彼女の言葉は欠かせなかった。
だからといって、彼女の言いたいことの全てがわかったわけではない。どれだけ同年代よりも見えてると言っても、彼女に比べれば圧倒的に経験が足りない。やっぱり俺もまだ子供なのだと思い知らされる。
卒業したから、元からなかったけれど平日でも気兼ねなく、最後ぐらいということで半ば強引に希望を通したカラオケに、俺たちは集まった。面子はいつも通り、美帆と賢志と里織と、福本に神楽だ。
「みなさん、合格おめでとうございます。自分のことじゃないのに、みんなが希望通りの進路に行けて、なんだかうれしいです。さとり先輩、けんじ先輩、福本さん、神楽さん。卒業しても、こんな風にまたみんなで集まりましょうね」
ただ一人の在校生である美帆が労いをかけてくれた。
賢志が妙に憮然としているが、照れくさいからだろう。つつくと、案の定露骨な反応をしてくれた。
里織は労いの直後で美帆と抱擁を交わした。相変わらず美帆はくすぐったそうだ。
福本はやっぱり写真を撮っている。賢志から聞く限り、コンクールの後で引退してもずっと一眼レフを持ち歩いているらしい。
神楽はぼっと座っているかと思えば、顔を赤くしていた。内心で嬉しがっているのかもしれない。一年も経つと神楽の内心がよく計れるようになった。案外、いや多分意外ではなく、こいつはわかりやすい。そして、こいつがこの中で一番変わった。多少は意地っ張りだが。
俺はくるくると周囲に目を配りつつ、机に積み重ねられた分厚い本をめくっていく。めくるまでもなく、曲は決まっているが、なんとなくだ。ぺらぺらとめくった後、俺はリモコンを手にとって曲を入れて、マイクをとった。
せっかくの集まりなのだ。感傷的になんてさせるつもりはない。
カラオケは大いに盛り上がった。あそこまでアニソンを堂々と歌える里織はすごいと思ってしまった。気が違えたのだろうと思うことにした。
十六日になった。住所変更のための書類などはちゃんと持っていることを確認して、持っていく荷物も確認した。身だしなみは大丈夫。肌は元々強い方だ。
予約した夜間バスは、もう少しすれば来る。場所は国際ホテル。そこまで俺は徒歩で向かった。
到着したが時間はまだ少しあった。しかし暇な時間だ。教えている奴は多くないし、教えている奴には来るなと伝えてある。これまで国際ホテルに縁がないから、中に入っても退屈なだけだ。そもそも入れるのか?
到着した夜間バスは、腹の部分に荷物を抱えるため、二階建て風だった。もしかしたら名称がそうなのかもしれないが、答えてくれる奴はいない。俺は荷物を渡して乗り込んだ。
座席は固い感触がした。修学旅行で乗るバスみたいな乗り心地だ。しばらくしてやってきた乗務員にコーヒーを注文した。
手渡されたカップに入ったコーヒーは薄い色合いをしていた。見た目通り不味かった。眠気覚ましにはなるかもしれない。そういえば、イクニさんの時も同じ感想を吐いていた。違うところは、あのときは飲んだコーヒーが苦かったぐらいだ。
イクニさんから聞かされた言葉は一年を経ても、意外と忘れず頭に残っていた。心に響いているのも少なくない。
彼女の言葉が反芻する中、俺の夢が叶うのか多少怖いと感じている。しかし、応援してくれる人がいるというだけで、俺は奮い立たせれる。別に誰も応援してくれなくても、俺は大丈夫だと思う。でも、嬉しいなんて気持ちは絶対に湧かないだろう。そして気兼ねなく昔話もこれからの話もできる友人が、携帯の電話帳に登録されているだけで、心強い。
弱い人間ではない。しかし強い人間でもない俺は、東京でやっていけるのかは、やはり心配だ。強がるように言っても、結局は嘘をつけない。でも、夢を叶えたい。その気持ちは本当だ。
だから俺は、まだ残ってるコーヒーを飲み干した。
今の内に苦いものを飲み干して、耐性でもつけておこうと思った。
負けるつもりはない。
勝つつもりだと、適度に気持ちを引き締めた。
それはイクニさんの答えではない。
俺なりの答えだった。
現在執筆してる投稿用作品は、もし掲載するとすれば、おそらく来年です。
楽しみにしてくれている方も、してない方も、来年に会いましょう。
追記、感想などを頂けると嬉しいです。
番外編を書きました。
良いところも悪いところも。
以後の、執筆活動の心強い糧になります。




