第二話
第二話
「そういえばせんぱいって神楽さんと付き合っているんですか?」
「……言いふらしたの誰だよ」
「福本さんです。さとり先輩は、節操なしって言ってました」
ちょっとした気分で美帆をファミレスに誘ったのに、その一言で機嫌が悪くなった。まさか昨日の今日で話が広がっているとは思わなかった。
後、別にデートの誘いをしたわけでもないのに、今日の美帆はキュロット風のサスペンダースカートとタイを提げたワイシャツの装いだ。隣に畳んだコートを置いてある。
そんな美帆は両手で頬杖をついて無邪気に笑っている。
「福本さんって意外とおしゃべりだよな。品がなくないか?」
「神楽さんが心配だからじゃないですか?」
できれば溜息をつく俺のフォローをしてくれ。恨めしげに美帆を睨む。
「でも、びっくりしました。意外ですね。手が早いのは知ってましたけど、昨日の初詣の時に告白されたんですか? 神楽さんが一人で待ってたはずですよね?」
俺から告白したと考えないあたり、こいつの俺に対する印象がよくわかる。
美帆が笑顔で俺をじっと見つめてくる。
「まあ待て。話してやるから時間をくれ」
「はい」
にこにこされる手前、俺は内心で溜息をこぼした。
イクニさんと別れた後、俺は自転車を置いてあるコンビニに戻ってきた。
何故か神楽がいた。仏頂面とおまけ付き。俺は眉を寄せる。
「お前だけ? もしかして待ってくれてた?」
「くたびれた」
「悪いな。うれしいんだけど、ほんとどうして?」
察しは良い方なのだが、こればかりは唐突すぎてよくわからない。対応にも困る。
「何? 文句ある」
「ないに決まってるだろ」
当然だ。この状況で迷惑と感じる奴は人嫌いぐらいだろう。しかし、せめて説明を求めてるとわかって欲しかった。ふて腐れてる神楽を見て、それは望みすぎだなと諦めたが。恐らく、人付き合いが苦手な奴なのだろう。
改めて神楽を見てみる。背は俺と変わらない。ちょっとだけ神楽の方が低いぐらいだ。美帆が長身なだけで、神楽も女にしては背が高い部類に入るだろう。
「わざわざ待ってくれてうれしいよ。足がないんだったら一緒に帰るか? 家まで送ってやるよ。女の一人歩きなんて危ないから」
「…………夏目くんって、私のこと嫌い?」
どうして俺の気遣いをふいにするような発言をするのだろう。もし俺が嫌いと言えばどうするつもりだ。一人で帰るのか。それはそれで寝覚めが悪い。
「嫌いなら送るなんて言わないからな。まだ付き合いは短いけれど、お前のこと嫌いじゃない」
「やっぱり嫌ってるよね。面倒くさいって思ってるよね。私、迷惑でもかけた」
なんでこいつは喧嘩腰なんだ。しかし俺は平然と真顔で首を傾げる。
「どうして、そんなマイナス方面に考えるんだよ」
お嬢様な雰囲気を醸し出してるくせに、言ってることはかなり暗い。口調は勝ち気なのに。
「してないしてない。疲れてるだけ。それでどうした? 用があるんだろ?」
やれやれと言った具合に溜息をこぼす。
神楽は口をつぐんで不機嫌そうに目を据えたかと思うと、すぐに狼狽えたようにくちをもごもごさせ始めた。それをしばらく繰り返すと、意を決したように俺を見据えた。そしてほとんど叫ぶように言った。
「あ、遊びに行かない? 春音と武田と一緒にM市に!」
「いいけど」
なんていうか他力本願な提案だなと思ったけれど、断る理由もなかった。それに空回り気味だが、かなり頑張ってる感が漂わす神楽が少し不憫だった。
イクニさんの部分は端折って説明し終えると、美帆はきょとんと首を傾げた。
「それって告白ですか?」
「俺がいつ付き合ってるって言ったよ。あいつら何を勘違いしてるんだか」
俺はあしらうように言った。
「まあ、告白されれば付き合うけどな」
「軽いですねー。そんなことを言ってると、今まで付き合ってきた女の子に呪われちゃいますよ」
呆れたようにもからかうようにも聞こえる美帆の声色に、俺は目を細めた。
「そんなことを言うなよ。付き合ってる間はちゃんと相手のことを想っているんだから、別れた後まで引っ張られるなんて迷惑」
「勝手ですねー。そもそも別れる原因の大部分がせんぱいなんじゃ……。興味をなくすととたんに付き合いがおざなりになるせんぱいのセリフではないと思いますよ?」
半眼で睨み付けられながら、今更この話が美帆にとっての地雷だと思い出した。
「自分優先もそろそろ控えた方がいいと思いますけど。女子受けが良いからって調子に乗ってると、いつか痛い目に遭いますよ。せんぱいの付き合い方って、気を遣うように見せて、その実自分の思い通りに人を動かして、けど面倒になれば相手と別れたり、別れ話を切り出されたりって感じじゃないですか」
「そこまでわかっていて俺と話してるお前はなかなかすごい奴だと思うぞ」
「…………真面目に聞いてます? 誤魔化そうとしてません?」
のし掛かるように顔を寄せてくる美帆に俺は笑う。すると、美帆はじろりと睨み付けてきたが、そこでウエイトレスがコーヒーを運んできたから、行儀良い姿勢に戻ってそちらに愛想笑いを浮かべた。そしてウエイトレスはそれぞれの前にコーヒーをことりと置いてそそくさとその場を後にした。妙に腰が引けていたから逃げたのだろう。水を差されたような気がして、俺たちは沈黙のままコーヒーを啜って空気を誤魔化す。
美帆は縁から口を離すとテーブルにカップをことりと置き、ほっと吐息をついた。
「私、せんぱいのそんなところ嫌いです」
背が高いくせに上目遣いで、さらりとへこむようなことを言われた。しかし、美帆は目元を和らげて続けた。
「でも、決めたことは最後までやり通そうとするところは好きです。私がせんぱいを好きになったのはそんなところですし、今でもそうです」
そして笑みを深めて、
「そこが変わらない限り、せんぱいは尊敬のできるせんぱいですよ」
そのファミレスで美帆と会話した日の夜に、神楽からメールが届いた。
これが初めて見る文章なのに、おおよそ神楽らしくないなと思ったが、もしかしたら内弁慶みたいなものなのかもしれないと納得して読み進める。
「明日にデートねぇ。急だな。イクニさんとのデートの前日か」
賢志たちのフォローに期待しようか。というか何故賢志と福本まで。ダブルデートってやつか? そんなことを考えたがすぐに放り出して、明日着ていく服装を選んでからベットに潜り込んだ。
メールには、M市の商店街を回るという大筋と、細かいことがいくらか書かれていた。集合場所はお決まりの駅前である。
いつも通り早めに駅前に到着した。ここからM市まで普通電車でかかる時間、そしてそれによってデートに割ける時間が決定するという都合上、朝の時間帯だ。惰眠を貪ることが学生の務めというのなら、俺は補導対象だろう。そんなくだらないことを、到着した賢志たちに話してみると、賢志が呆れ顔で言った。
「くだらないこと言う前に、他にあるだろ」
「冗談には冗談で返せよ、面白くないな。神楽ってセンスがいいんだな。髪型にも手を加えているなんて、俺が通ってる高校の女連中にも見せてやりたい」
「そ、そう」
おどおどと神楽が頬を赤くする。その反応もまた初々しい。
「お世辞を言えとは誰も言ってないけどな」
「水を差したらだめだよ」
そんなノリで俺たちはM市へと、一時間ほど電車に揺られながら到着した。
俺がこのM市のJRの駅に来たとき、たまに思うことがある。いつか誰かが指摘したことだ。俺が住んでいる市の中央の駅は、田舎の市にはそぐわないほど綺麗な建物である。それなのにM市の駅は、鉄道開通当時の写真に写っているような古ぼけた建物だ。仰々しい言い方をするなら古風だろう。この建物こそ田舎にあってしかるべきものだ。県庁所在地の駅がこれでは旅行者は肩すかしを食らわされた気分になるだろう。
それはともかく、俺たちは古風な建物に似合わない改札口をくぐって、駅前のロータリーでバスに乗り込み今度は市駅まで向かった。市駅は全国規模の大型百貨店の一階と地下の中間の辺りにあるが、市駅を使うにしろ使わないにしろ、そこら周辺に用がある場合その百貨店の前のバス停で下りなければならない。当然俺たちはそのバス停で下りた。M市の大型商店街はこの百貨店の正面玄関の斜向かいに位置するからだ。ちなみに百貨店の隣はロータリーになっていて、その中央は路面電車の終点が設置されている。
ぞろぞろとバスを下りる人混みに揉まれながらも無事全員の顔を確認できた。
「やっぱり人が多いね」
「昨日ならともかく、今日から余程の店以外は開くからな。バーゲンセールのせいもあるだろうが」
見るからにくたびれた神楽以外は明るい。というわけでもなく、実は俺は人混みが嫌いだ。酔うほどではないができることなら満員バスは勘弁したかった。そして賢志は澄まし顔だから、明々と楽しそうなのは福本だけだ。これではとてもダブルデートの雰囲気ではない。無理矢理連れ出された友人とその実行者が適切だろう。
「早速商店街を回るのか? その前に昼食をとらない?」
「昼食かぁ。そうだねぇ、どうしようか?」
「俺はへってないが?」
「……私は、ちょっと休みたい。……疲れた」
小腹が気になって、それと神楽の様子を気に掛けて提案してみると、それぞれが思い思い口にした。福本はそれで神楽の様子に気づいたのかそれとも最初から気づいていたのか、多分俺からの提案を待っていたのだろう、俺たちににこりと笑いかけて、ぴっと指を立てた。
「じゃあ、どっか喫茶店にでも入ろうか」
「それがいいな」
雰囲気的にも正しい。ファーストフードでは味気ない。
そんなわけで俺たちは手頃そうな喫茶店でしばらくくつろぐことにした。
店は簡単に見つかった。
商店街を入ってすぐのところで、喫茶店としてはかなりオーソドックスな、店先に飾られた花壇と椅子に立て掛けられた小さな黒板、白い文字と絵が描かれた大きな窓とガラス戸が印象的な店だ。店員の制服は濃緑のワンピースとフリルエプロンと中世ヨーロッパの下町風であか抜けないが、自己主張しすぎるよりはいい。派手は好きだが、けばけばしいのは嫌いだし、それでは何より店の雰囲気に合ってない。全体に合わせることは大切だ。
「絵本みたいな店ね。少女漫画に出てくる喫茶店ってこんな雰囲気なのかも」
テーブル席に腰を落ち着けた福本が賢志に囁いた。しかしながら、乙女なんて思考を一欠片も理解できない無骨なこいつは、何も考えずただ単純に言う。
「わからん」
「けんじくんの好みじゃないもんねー。よかった、期待通り」
むしろ福本的には一安心な反応らしい。まあ、わかるけど。
案の定、賢志は顔をしかめていた。
「なら聞くな」
「ファンシーを理解した賢志ねぇ……。それこそ少女漫画ぐらいでしかお目にできないな」
「あ、上手」
福本が褒めてくる。賢志は憮然となってそっぽを向いてしまった。神楽は瞬いてしきりに俺と福本を交互に見ていたが、最後には仏頂面になって俯いてしまった。
「拗ねるなよ、神楽。お前のコーディネートはまさにこの店の雰囲気なんだからさ」
誇張もあるが嘘は言ってない。
その一言で神楽は仏頂面を弛めて、おずおずと俺を見上げてきた。真正面を向かないのは照れてるんだろう。大きな瞳が水面のように揺れている。……この表現は大げさだな。
「……ほんと?」
「俺は嘘つかないんだけどなぁ。どっかの誰かは照れ隠しで嘘をつくけどな」
「どこかの誰かは節操がなくていじられているがな、田沢に」
「何、実名だしてんだよ。元バスケ部のバスケ馬鹿」
「黙れ。また太ったんじゃないか、お前?」
「そろそろやめなよ。周りに迷惑だよ」
手が出る前に福本が仲裁に入ってどちらともなく腰を沈めた。隣を見ると、神楽がどことなくおろおろしてるように見えた。要領の悪い奴。
全員が食べ終えた頃には神楽もすっかり元気になっていた。それを見計らって俺たちは喫茶店を出る。アーケードがある商店街とはいえ、やはり肌寒い。暖房の効いた店内から外へ移ろえば余計だ。色合わせに買ったジャケットは結局は安物らしく、しのぎ具合も安かった。
「いつにも人が増して多いな。はぐれるなよ、春」
「うん」
差し出された手に腕ごと絡みつく福本は幸せいっぱいな表情を浮かべていた。さすがに賢志でもこのぐらいの気遣いはできるらしい。
俺も神楽に顔を向けた。すると、神楽も俺を見ていて視線がばっちり合った。見続けていると神楽の頬が赤く染めっていき、涙目になっていく。そろそろ限界か。
「手を貸すから、握っていいよ」
「…………わかった」
今までの女と同じように、神楽の手もまた小さくて柔らかかった。
いつもより華やかな商店街はほとんどとぎれない人の流れを抱えて、アーケードといった壁にぶつかった声や靴音を跳ね返して、有名どころに劣りはするが、十分過ぎるほどの喧しさで賑わっている。また男はともかく、女も華やかな装いだ。時折ダウンの集団もあるが、それは見なかったことにする。
途中何度も立ち止まって福本らが店舗に飛び込んでいくが、お約束みたいなものだから賢志ほど露骨に表情に出さない。そもそもデートといえばこんなものだ。面白い服などがあったり、試着の出来を聞かれたら反応するだけの賢志と違って、神楽が似合いそうな服を選んで試着させたりしてるから、俺なりに楽しんでいる。着させられている神楽も満更ではなさそうだ。それでも自分が選んだ服がやんわりとでも否定されれば目をつり上げているが。そのたびに更にさとさなければならないから面倒くさい。神楽はかなり意地っ張りな性格らしい。
「……夏目くんって才能あるよね」
「ん? 何の?」
商店街を歩いていると不意に神楽がもらした言葉に俺は耳を傾けた。
「その人が似合うと思う服を選んで勧める才能。私、なんだか夏目くんに翻弄された気分。でも、楽しかった。私が選んだ服じゃないのに。夏目くんが選んでくれた服を着ると、なんだか温かくなった。服がすごくぽかぽかした」
周りの雰囲気に感化されたのか、恥ずかしがり屋な神楽がまっすぐな言葉を口にしていることに驚いた。というか中身は以外と女の子らしい。いや、普段の服装を見れば、むしろ納得の中身である。
「そう言ってもらえると選んだ甲斐があるよ」
「明日も遊ばない?」
唐突な提案だった。もう少しさりげない演出はないのだろうか。こいつに求めても無駄だろうけど。もう少しムードというものを図ればいいのに。
「明日は……無理。予定があるんだ」
「だめ?」
今までが嘘のように神楽の顔色が驚くほど翳る。俺は内心眉をひそめた。嫌な予感がする。
「大切な用事があるんだ。今更なしなんて言って相手に迷惑を掛けるのも嫌だし」
一番は俺が話したいから。
俯いた神楽の目がやばい。瞳孔が開いているし、頬がひくついている。
「私との予定は?」
「悪い」
「私の予定は大事じゃない?」
しぶる神楽をなだめるが、堂々巡りに終わる。見た目とは裏腹に神楽は物わかりが悪かった。
「私に合わせてよ」
今にも泣き出しそうな怒り狂いそうな顔をして言われても困る。というかこんな小細工ができる女だったのかとびっくりだ。どこか小細工かというと、言ってることが駄々をこねている子供のそれだ。ただ見た目はれっきとした女だから、泣かれれば俺の体裁が悪い。それがわかってやってるなら、大した女である。なんとなく里織が「成長した」と言ってくるビジョンが浮かんだ。
「私に合わしてよ!」
「とりあえず落ち着けって」
これ以上癇癪を起こされては本気で俺の体裁が危ぶまれる。もし知り合いがいたら余計だ。しかし俺の言葉は焼け石に水。むしろ神経を逆撫でたようで、ますます神楽の目が赤くなって口調がとげとげしいものへと変貌を遂げた。周囲の目が冷ややかだ。
「いいじゃない! そんな約束やぶったって! 私を優先してよ、私の相手をしてよ! どうして? 夏目くんだって楽しかったんでしょう? だったら私をもっと楽しませてよ! もっと私の予定を考えてよ!」
かなり勝手な言い分がしばらく続くと、
「あや!」
どこからともなく福本が駆け寄ってきた。抱きしめられた神楽は少しだけ落ち着いたらしく、それ以上がなり立てはしなかった。
「とりあえず逃げるぞ」
「……そうだな」
冷や冷やしてることを悟られないようにゆっくりと賢志に同意した。そして商店街を横切る路地を使って俺たちは外に出た。
ようやく落ち着いたらしい神楽を近くのベンチに腰掛けさせて、俺たちは少し距離を置いて話し合った。
「意地っ張りってわかってたけど、ここまでひどいぞ、やる気なくす」
福本を気にしてできるだけ優しい口調を使ったが、本心としてはわがままとかいってやりたい。他には自己中か。すると福本は困ったような顔で俺をちらりと見てきた。そこで賢志が制するように口を開いた。
「それが原因で春以外とはうまく付き合えないんだよ。だから、あれを見て俺も春もお前を責めはしない」
「……うん。ごめんね、二人っきりにして。羽目外し過ぎちゃった」
うかつだったと力無く笑う福本を責める気が失せて、俺は慰めるように言った。だから肩を落とすぐらいは許して欲しい。
「楽しくなるのは当たり前だろ。福本に責任ないじゃん。お前らに悪いけど、全部あいつの責任。自分の意見が通らなかったからって、こっちの都合を考えないのはだめだろ」
「うん。それをそれとなく治してもらおうと頑張ってるんだけどね」
「一向に治らない」
「ごめんね。最近は直ってる傾向が強かったんだけど。だから告白を推したんだけどね。もちろん、あや自信がナツくんのこと好きなんだよ? でも、まだ早かったみたい。昔はもっとすごかったの。わがままなことしてみんなに責められても、自分は悪くないって意地を張って、窓から飛び降りようとしたぐらいなの。だから、昔に比べて、我を通すことはなくなったんだよ? それにあやのあれは、あやだけのせいじゃないんだ。小学校からあやのことを知ってる子から聞いたんだけど。元々我の強かったあやを家族が腫れ物のように扱ったり、クラスメイトや教師が目立つからって理由で、何かあるとすぐにあやの責任をなすりつけていたからなの。だから、あやを責めないであげてくれる?」
言い辛そうにする福本の言葉を賢志が引き取ったのが契機になったらしく、肩の荷が下りたように福本は話してくれた。俺は福本の言葉に素直な気持ちですごいと思えた。だからか、俺の口から言葉がぽろりとこぼれた。
「すごいよ、お前。ああなった理由があるからって、付き合おうなんて普通思えない思う。俺なら嫌になる。福本ってあいつと付き合い長いのか?」
「こいつお節介だから、中学時代から神楽と友達やってるらしいんだ。ばかだろ?」
「ばかは余計だよ」
「私ならあの子の性格を直せるなんて言う奴は、ばかと言われて当然だろ」
弱々しく噛みつく福本を見て賢志は笑う。これだから賢志がバカで考えなしで無神経な人間なのかわからなくなる。後、見せつけてくるな。と、思っていると、賢志が俺を見てきた。珍しく賢志が苦笑を浮かべていた。
「こいつ、普段はお気楽で反省なんてしないくせにな。あいつの時だけ身を削るようなことをするんだぜ。だから、癇癪持ちで、そのくせ行動力がなくて依存心の強いあいつと長く付き合えるんだがな」
「ああ、はいはい。納得した。だからダブルデートなんだな」
話が長くなりそうなので早々にけりをつけておく。いい加減疲れてきた。
「そうだ」
「うん」
それぞれが頷くのを見て俺は頭を掻く。疲れた上に、面倒なことに巻き込まれたと直感した。まあ、直感も何もあからさまだけど。
「とりあえず明日は無理なんだと、あいつを納得させてくれないか? 俺には無理だ」
「任せておいて」
そこだけは福本は力強く頷いてくれた。だから、俺は好奇心をそのまま覗かせてしまったのだろう。
「もう少し聞かせてくれないか?」
「いいよ」
しかし、福本は不審がることなくそう言った。反応の違いは付き合いの差だ。
「お前らが付き合うようになったのも、神楽絡みか?」
俺のその言葉に、福本は目を丸くしてすぐに顔を赤くした。珍しく狼狽えたようにしきりに髪先をいじり始めている。俺が苦笑していると、唐突に足を蹴られた。見るとむっつりとしてる賢志がいた。俺はにやけた。
「嫉妬するなって。奪おうなんて考えてねぇよ」
「当たり前だ。つつくなって言ってるんだ」
「お前だって恥ずかしいもんな。馴れ初めなんてものは」
「…………お前の恋愛の失敗談を語るぞ?」
「言った瞬間、俺はお前を殴る」
再び俺と賢志の間に険悪な空気が生まれた。しかし福本の溜息でそれもすぐにかき消えた。
「……せっかく人が余韻に浸ってたのに。喧嘩はやめてよ。また人目を集めるつもり?」
それは勘弁だ。
同じ気持ちなのか、賢志も俺と同じく苦い顔をしていた。
駅前でイクニさんと顔を合わせた俺は、駅から結構離れた公園へと案内した。荷台に彼女を乗せてだ。俺も高校進学後は足を運んでいなかったが、久しぶりの海からそれほど離れていない上に敷地もかなり広い公園はあまり変わっていなかった。実はここよりも広い公園は他にもあるのだが、駅を中心としてこことは逆の場所で遠い。だから、ここが一番無難だった。
「静かでいい場所じゃないですか?」
芝生の上に立ちつくして公園を眺め、空を仰ぐイクニさんに俺は笑いかけた。すると、俺に顔を向けたイクニさんの表情には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「気に入ったわ。もうしばらくこの町に滞在したくなるぐらいに」
彼女の普段が気になったが、結局は聞かなかった。多分答えないだろうし、答えたとしてもはぐらかすような答えだろうし、それに詮索を嫌うタイプに見えたからだ。
「都会だと、公園だけでここまで土地は使わないのよ。無駄遣いだからという理由で。それにしても空気が澄んでいていいわね」
「田舎の取り柄じゃないですか? この町は自然がほとんど残ってませんけどね。水も濁ってるし。同じ県内でもS市の方が田舎らしいですよ」
「それはまた面白い話が聞けたわ。次はそこに行ってみようかしら。ところで全然人の姿が見受けられないけど、いつもこんな感じなの? 住民の憩いの場所になりそうなものなのに」
「そこがまたこの町の不思議なところですよ。なんででしょうね?」
「海が当たり前すぎると興味が失せるのと同じことかしら」
苦々しく笑い飛ばすと、イクニさんは興味深げに分析を始めるから、困ってしまう。
「お年寄りが多いというのも原因かもしれませんよ」
「子供も目に見えて減ってるものね」
それで納得して終わられても寂しいけれど引っ張られても困るから胸をなで下ろす。
人工的に設計され整然とされた公園を眺めていたイクニさんは、不意にすたすたと歩き始めた。もちろん俺もついて行く。
「立っている場所の違いで見える景色の顔が変わるって、君は思ったことない?」
「なんとなくわかる気がします」
「同じ被写体でも、角度、光の質や量、影の濃淡などの条件がたとえ微妙な差を生じれば、それは全く別のものよ。この場合は表現が変わるというものだけれど、もし差が大きくなれば、時として被写体は本質自体も変質させてしまう。君はこの話が人にも言えるって思えない?」
「……どういうことですか?」
難しくて全く話がわからなかった俺は顔をしかめた。しかしイクニさんは気分を害した様子なく言葉を続けた。
「つまり、短気な人がある日温厚な人になるとする。君は人が変わったと思わない?」
「思います」
「それは景色にも、たとえば植物にも言えることよ。優しそうに見えた花でも、角度や気温の変化で儚げに見えることがあるわ」
「……ああ、そういうことですか」
「そういうこと」
くすりと彼女は笑う。その笑顔を見ると、やはり年上だと実感する。そうしていると彼女は右手首に巻いた華奢な腕時計を一瞥した。
「そろそろお昼にしない?」
「そうしますか。時間的にちょうどいいし。下にジョイフルがありますから、そこで昼にしますか?」
「今日はやめておきましょう」
「なら、どうします?」
「コンビニで買って芝生の上で食べましょう。せっかく君が案内してくれた、綺麗な公園なのだから、肩を並べて景色を楽しむことが一番正しい楽しみ方でしょう?」
「そうしましょうか」
高ぶる気持ちを抑えて俺は提案に乗ることにした。イクニさんから提案してくれたことは、かなり大きく感じた。早速俺たちはコンビニを探しに公園を出た。コンビニはそれほど遠くはなくて、公園に戻ってきた頃は三十分程度しか経過していなかった。ちなみに俺が手に提げているレジ袋には、昼食だけでなくお菓子まで入っている。もちろん彼女が選んだもので、楽しむ気満々であった。嬉しいけど。
席は彼女の希望に従って、見晴らしのいい緩やかな傾斜になった。ここもまた芝生が埋められている。先に女座りで腰を下ろしたイクニさんの肩に並ぶように、何気なく俺も腰掛けた。この何気なさが俺の人を警戒させない心得の一つだ。そしてレジ袋から取り出したサンドイッチを彼女に渡して、俺もメロンパンを手にとってぱくついた。
特に会話もなく適当に食事を取っていると、気分は遠足に似ていた。似てるだけで別物だけど。目をやれば、見た目とは裏腹に彼女は結構なスピードでサンドイッチを咀嚼している。そして最後の一口を口にすると、カップに突き刺さったストローでコーヒーを啜った。
「この辺りは暖かいのね」
「住みやすいって聞きますね。俺には理解できませんが」
「ここ以外の町に住んでみればわかると思うわ。もしくは私みたいに旅をしてみるなんてね」
「そう遠くない内に東京に行ってみますよ」
「すごい意気込みね。その力強さは確固たる目的が見つかったと思っていいのかしら」
即答して見せると、イクニさんは驚きではなくただ心境のうかがえない視線を向けてきた。
「まだ納得のいく夢ははないですけどね」
俺がそれに苦笑で返すと、彼女は落胆したように溜息をこぼす。
「……少し期待したのに。先に場所を決めてどうするつもりかしら?」
「絶対これだと胸を張れるものを。妥協をしたくないんですから。そう責めないでくださいよ」
イクニさんの叱責にますます俺は苦笑した。そこまで彼女に言われるいわれはない気がした。察したのか彼女は「そうね」と口にするとかすかに笑った。笑われた意味がよくわからない。
食べ終わったイクニさんはおもむろに箱から煙草を取り出してくわえた。ただし、火は灯さなかった。
「ライター入りますか?」
「口元が寂しかっただけだから気にしないでいいわ。それに今はこの空気を堪能しておきたいもの」
涼しげな彼女の横顔に俺は自重して、時折コーヒーカップを啜りながら沈黙を通した。しばらくして、イクニさんが俺に流し目を送ってきた。
「……煙草の臭い」
「そこまで臭いますか?」
何度か指摘を受けているせいと、前回の内容をよく覚えていないせいで余計に焦る。しかしイクニさんは特に不愉快な顔でも声でもなく、ひたすら他人事のように言った。
「私がにおいに敏感なだけよ。しかしこれだけ言ってやめられないなんて、君もジャンキーなのね。……君は何のために煙草を吸っているの?」
「何のために吸っている、ですか?」
しばらく考え耽て、
「……好きだから。それではだめですか?」
「いいえ。素敵な答えだと思うわ」
「素敵ですか」
「答えることができるということは、自分の意志があるということでしょう。素敵ではなくて?」
「ああ、良いですね、それ。イクニさんはなんで吸っているんですか?」
「…………長い人生の小休止ね」
そうして談笑を楽しみながら食事をとって景色を堪能してるとき、そろそろ買い込んだお菓子も底をつこうとしているのを見計らって、俺はある提案をした。
「もう一つ案内したいところがあるんですけど、どうですか?」
「あら、本当? それは楽しみだわ」
その薄い笑顔が、わくわくしてるように見えた。
この時期の瀬戸内海は、空気が澄んでいるおかげで普段は見えない遠くの島々が肉眼で眺めることができる。しかし、そのことを知ってる人は多くないと思う。浜辺や防波堤に来る人の多くは釣り目的だからだ。今日はちょうどよく俺たち以外は誰もいない。
眼前に広がる、さざ波に揺れる深みのある青の海。潮風が吹き荒れて、イクニさんが髪を押さえるが、ばさばさと乱れていくところを見ると大して効果はないようだ。しかし嫌な顔をしていない。むしろ、こそばゆそうだ。
ここはさっきの公園から自転車で二十分程度の距離にある防波堤だ。到着して早々、防波堤の上を危なげなくかつかつとゆっくり歩き始めた彼女は、今は立ち止まってずっと景色を一望している。そんなわけで俺は退屈だ。
「……これはここだけでしか見られない景色ね。羨ましいわ、君たちが」
「何か言いました?」
空気を切るような鋭い潮風と広い景色でよく聞こえなくて、俺は聞き直すが、イクニさんは乾いたような微笑みで返すだけだった。
やがて潮風が引いた。乱れるほどになびいていた彼女の髪がぱらぱらと重力に従って下りていく。残ったのはかすかなさざ波の音だけだ。そこで初めて彼女はくわえた煙草に火を近づけた。しかしすぐには灯らず、手で覆うようにしてからしばらくして、濁ったようなオレンジが輝きだした。すらりとした姿勢で眼前の景色を眺める彼女が、時折煙草を吹かす様はまるで、非常な決断を胸に秘めながらも毅然としようと努めているようだった。
「どうですか?」
いつまでも黙って立ちつくしているのも忍びなくて聞いてみる。彼女はかすかに頬をゆるませて言った。
「素敵ね」
偽りのない笑顔だった。
すっかり辺りは冷え込んだ黒に覆われていた。母親には連絡しているから問題ないだろうけれど。このまま帰宅するのも面白くなく、途中道を外れて美帆の家に寄った。もしかしたら美帆の両親が帰っているかもしれなかったが、そこはあえて気にせずインターホンを押す。
「はい。あ、せんぱい。今日はどういったご用件ですか?」
がちゃりという音ともに開いたドアから、美帆が明るく出迎えてくれた。妙に敬語なところは、普段来客なんかを迎えてる癖だろう。そのまま俺は美帆にリビングへと案内された。目論見通りである。
時間的には夕食時だが、キッチンに美帆の母親の姿はなく、四人掛けのテーブルの上には何も置かれていなかった。
「お母さんたちはもうしばらく出張なんです。せんぱいはまだ夕食食べてませんか?」
「その前にちょっと寄り道したからな、食ってない」
「じゃあ、食べていきませんか。ちょうど今日、精肉店で安くしてもらえたんです」
にっこりとした美帆の笑顔は、一見、裏表がないように見える。
「……作って欲しいなら言えば?」
「作ってください!」
「即答かよ……」
ぎくりともせず、素直に美帆は叫んだ。そこまで白状されれば、無下にするのも大人げない。
「俺が作ってる間、風呂に入ってきたら?」
「え?」
美帆は目を丸くして、
「まだいいですよ。手伝いますから」
「シャワーぐらいでも浴びて来いよ」
「……はい。お言葉に甘えますね」
俺が引かないと見るや、渋々と、でも最後はほっと笑ってリビングを出て行った。
さっきからにおいを気にしているのが見え見えである。伊達に付き合ってないのだ。たくさんの女と。……里織に鼻で笑われそうだ。想像して、少しげんなりとした。
さて、料理を始めようか。気持ちを改めて、俺は近くに掛けてあったエプロンを通して冷蔵庫に手を伸ばした。
三十分以上が経って、櫛で髪を梳かす美帆がリビングに戻ってきた。さすがにタオルで髪を乾かしている様を見せるのは恥ずかしかったのか。前にうっかり見てしまって恥ずかしがられたことがある。
一方で、俺の方も支度は済んである。即興だが上出来だ。
俺が一人満足していると、美帆が申し訳なさそうな顔をして近づいてきた。
「すみません。全部せんぱいに任せてしまって」
「そんなことより腹減ってるだろ。冷める前に食べよう」
「はい。それにしても、先輩の手料理なんて久しぶりですね。相変わらず、おいしそうです。実は私、期待していたんです。せんぱいが訪ねてきてくれて、料理も作ってくれないかなって」
「そんなこと言われたら、甲斐があるな」
美帆のささやかな願いに自然と笑みが浮かんできた。そして美帆は行儀良く両手を合わせて、
「いただきます」
一口食べて、頬を弛めて頷いた。
「やっぱりおいしいです」
それからぱくぱくと美味しそうに食べる美帆の顔を見ながら、俺も箸を進めていった。
「箸使い綺麗だよな。練習でもしてるのか?」
ふと目線で追っていた美帆の手に尋ねてみると、なんてことのない口ぶりで言った。
「お母さんが作法に厳しい人でしたから。ちっちゃい頃から言われてきたせいか、練習とか言われると違和感を覚えるです。あと、他のみんなの食べ方が気になったり。せんぱいは普通ですよね」
「慣れかぁ。慣れるとそれが当たり前になるもんな。でも、そんな厳しそうな人に見えなかったけど……意外だな」
しみじみと言うと、美帆は苦笑していた。少し言い辛そうに美帆が言う。
「お母さん、猫かぶりが上手ですから。お父さんもまさかこんな意地悪な奴だと思わなかったって言ってました」
「…………猫かぶり……。実の親にすごい言い方するのな。というか、そんな家庭の裏事情を打ち明けられても、どう反応すればいいのか」
「秘密にしていただければうれしいです」
口に指をあてて美帆が笑うから、俺も釣られて笑い、頷いた。
「わかった、秘密にしておく」
「そういえば、デートはどうでした?」
神楽のことか。イクニさんのことは誰にも話してないし。
「気が向いたら教えるよ」
すると美帆は不服そうに口を尖らせた。かなりふて腐れていた。
「えー……、ケチですねー」
「好きに言ってろ」
睨み付けられるのを毛ほども感じず、俺は肩をすくめた。
俺も美帆も食の早いほうだから、食事はすぐに終わった。後かたづけは二人で行い、それからはリビングでくつろいだ。ついでに、デートのことで美帆がしつこく絡んでくるから、仕方なく話してやった。
「……それはまた、すごく勝手な人ですね……」
苦笑する美帆は随分と直接的な結論をこぼした。
「まあ、もうしばらく様子見だな。ここまでくると断れない」
「はは、そうですねー」
他人事のように美帆は笑い、しかし不意にどことなく真剣な目をして言った。
「でも、たまには私の相手もしてくださいよ。教室に行ってもせんぱいがいなかったら、私、退屈です」
「わかったわかった」
おざなりに返事をしておくと、美帆は冗談っぽく笑い返した。
壁時計でほどほど時間が経ったのを確認して、俺はそろそろ切り上げることにする。
「そろそろ帰るな。母親から電話がかかってくると面倒だし」
「あー、せんぱいのところ、妙にそんなところ厳しいんでしたね」
言って玄関まで付き合う美帆に俺は靴を履いて立ち上がり、
「今日はありがとうございました。また、いつでも来てもいいですよ」
「じゃあ、また来るな。お言葉に甘えて。その前に学校の昼休みだろうけど」
「見通されてますね」
美帆はゆったりと笑った。
そして俺は手を軽く挙げて、美帆が手を軽く振るのを見て、玄関のドアに手を掛けた。
「うおっ!?」
ドアを開けてお互い驚いた。
里織が、インターフォンを押そうとしていた指まで硬直させて立ちつくしていた。
しかしそれもすぐに、見下げた果てた目で俺をじろりと睨んできた。
「恭一くん。美帆ちゃんの家のまだ通ってるんだ?」
「今日はたまたま。いいじゃんか、細かいなぁ」
「あんたがおおざっぱなだけだ」
「お前だって美帆の顔見たくて来たんだろ?」
「私は遊びに来てるの。恭一くんは知らないだろうけれど、私は結構来てるし、自分の都合でいきなり尋ねたことない。あんた、自分がどれだけ美帆ちゃんに迷惑掛けてるかわかってる?」
「俺、そこまで相手に押しつけてないけど?」
憮然と言うと、里織はあからさまに嫌そうに顔をしかめた。さっきから、無表情の里織には珍しい反応である。美帆のことで怒らせてからだっただろうか。
「全く、あまり変態なことしないでくれる?」
「俺は変態じゃないし」
顔を引きつらせてへりくだってみるが、里織の反応は変わらない。
「あれだけ言って変わらないなんて、往生際が悪いというか、聞いてないふりをするというか」
「聞いてた聞いてた。きっちりするから、これ以上は関係ないだろ」
これ以上は聞きたくないと態度に出して、おざなりに対応する。里織は溜息をこぼすように、
「泣かせる前に落とし前つけなさいよ。そこどいて、入れない」
里織がつっけんどんに玄関をくぐろうとするから素直に脇によって、入れ替わるように俺は外に出た。さっきの話がまさか自分のこととは露とも感じていないのか、美帆がきょとんと俺と里織を見て突っ立っていた。俺はもう一度軽く手を挙げた。
「じゃあな」
「はい。おやすみなさい」
三学期になったって、何かが変わることはない。特にもうすぐ三年が来る俺たちが今更変えようなんて気が湧くはずがなく、いつも通り。それは三年になっても同じなはずだ。工業高校だからクラス替えがないからますます余計だ。憂鬱である。
退屈をしのげるほどの刺激なんて、もうこの街にはない。なら、夢を抱えて都会に行くべきだろうか。でもまだ、これといって夢はないと、俺は感じている。だから、今日もいつものように雑誌をぺらぺらとめくっている。
ふと、今日も来てる美帆を見て思いついたことを聞いてみた。
「お前って美術科に入ってるけど、将来絵が描きたいのか? お前のクラス、課外授業は外でスケッチとかそんなのだろ? 俺も美術科に入りたかったなぁ。デザインを考えるの好きだし。デザインといえば、やっぱりコーディネートだろ。俺的にはお前、こんな感じがおすすめだけどな。どうだ?」
ノートの端を破いてさらりとペンを走らせて美帆に見せる。押しつけた切れ端をのぞいた美帆はくすりと笑った。
「気に入らないか?」
不服に思うと、美帆は首を横に振った。
「いいえ。簡単な絵なのに、特徴をよく抜き出して雰囲気があるなぁって思っただけです。これだけ描けるなら、美術科に入ればよかったですよね。そうなれば、せんぱいはちゃんとせんぱいでしたから。でしたらせんぱい。私とこれから放課後でも休日でもスケッチブックを持って散策しに出かけませんか?」
その申し出に俺は少し考えて、
「嬉しいけど遠慮する。考えてみれば俺の性分じゃない」
「そうですか。それにしても、せんぱいが美術科を気にするなんて初めてですね? やっぱり、せんぱいもそろそろ就職と進学を考えているんですか?」
「まあな。就職だけど、どこにしようかなっと考えてる」
「意外ですねぇ。今までせんぱい、結論を極力避けてるっていうか、ころころ変えていたのに。さすがに本腰を入れました?」
「お前まで俺のことをって言うか? 考えてるぞ、いろいろと」
「見えませんよ」
笑いながら結構酷いことを言う。
「傷つくんですけど」
「そんな柔じゃないですよ」
「一応言っておくけど、俺のことだからな?」
「はい」
俺の確認はまるっきり無駄と言われた気がした。
そんなとき、同じクラスの友人の一人が俺に近づいてきた。
「夏目が就職のことを考えてるなんて珍しいな。いつも適当なことばかりしか考えてないのに。高津の影響か? それとも俺たちの頑張りが効いたか」
「お前何かしたか?」
「課題とかをいつも押しつけてくるお前に困ってたからさ。毎度お前にそれでつついていたのが成功したのかなと。まあ、絶対違うだろうけど。俺たちがいくら言ったってお前変わらないよな」
勝手に言って勝手に納得した友人の落胆に、他の友人もやってきて口々に言いたい放題言う。からかわれて腹立たしかった。
「人のことばかり言うくせに自分は何もしないもんな」
「しないどころか逃げてるし」
「多分その間これしてるんだぜ、きっと」
「それはさすがに言い過ぎだろ。まあ否定はできないけど」
「まあ変態だからな、夏目は」
「今まで何人の女と付き合ってきて、何度振られたか。そろそろ落ち着いてもいいだろうに」
「さか」
「だからお前は危ないことを言うな。いくらなんでもそれは言うな」
「盛り下がることを言うなよー。空気を読め」
いつの間にか俺の周りは騒然とした状況に陥っていて、俺のことを言ってるのか誰のことを言ってるのか、空気で読むのも難しかった。そんなわけで昼休みが終わる頃には、俺たちは妙に疲れていた。
夜、唐突に鳴り始めた携帯を掴むと、ディスプレイには発信者田沢里織となっていて驚いた。里織が俺の携帯電話を鳴らしたのはいつぶりだろうか。でも、あまり良い予感はしなかった。そしてそれはずばり的中だった。里織の用件は美帆のことだった。ベットの上で胡座をかぐ俺の耳に冷静に激情する里織の声が耳を穿つ。
「また昼休みに美帆ちゃんを教室に連れ込んだって?」
「すげぇ人聞き悪いな。というかなんで知ってるんだ」
「独り占めして楽しむなんて、ずるい。恭一くんは勝手ね。美帆ちゃんの気持ちをないがしろにして」
本音が出たのが後ろめたいのか一気にまくし立てる里織に、俺は呆れるというかおかしいというか。とりあえず弁解する。そんなつもり毛頭ないと。しかし、里織の声は冷ややかだ。
「見えない。恭一くんが美帆ちゃんをどう振ったのかは、美帆ちゃんの口からは聞けなかったけど。あんたは逃げ道のある言い方をした。そんな気がする。ねぇ。もう一度、言ってあげたら、どう? 今度こそはっきりと別れを言ってあげて。このままだと、あの子は板挟みだよ」
決死な気持ちを込めた優しい口調に俺は頭を掻いた。そんな気はしていた。ただ面倒くさくて俺はずっと後回しにしていた。しかしそんな俺の内心は絶対に口にしない。
「じゃあな」
「しっかりしなさいよ」
唐突に電話を切ろうとする俺を、里織は軽蔑しなかった。逆に励ましてきた。俺は笑った。不思議と鬱陶しくなかった。あっさりとした言葉が、鬱蒼とした俺を清々しくしてくれる。俺の扱いには手慣れたものだと、感嘆する。
「当然だろ」
同時に電話を切ってしまったけれど、届いているかなんて気にも留めなかった。
「あー……、美帆。俺とお前ってかなり仲良いよな?」
「はい」
放課後。一年生の教室に足を運んだ俺は、鞄に教科書などを詰めていた美帆をがらんとした自転車置き場のところまで連れ立ってきた。友人から聞いた通り、人気がないここは都合が良かった。俺もこいつも。
俺の唐突な言葉に美帆は一瞬目を丸くして、すぐに我を戻して笑顔になった。
「せんぱいのこと、すごく好きですよ。興味をそそられるような話をたくさんしてくれますし、安心させてくれる、そんな気遣いがあります。実はせんぱい、私の友達に人気あるんですよ?ファッションが個性的でいいとか、同じクラスの男子に比べて大人っぽいとか」
「……それで?」
「私の友達はみんなそんな感じですけど。……私はせんぱいのこと、すごくこどもっぽい人だと思ってます。面倒がりで、適当で、たいてい人に押しつけて逃げる。身勝手なところばかりなのに、嫌いになれないんです。そんなところが可愛いというのもありますけど、きっかけは実はせんぱいが気遣いの人だってわかったことですね。今、必要なものはこれだろうなって考えてますよね? うっかり忘れや見落としたりして失敗も多いけど、私、せんぱいのことがそれで好きになりました。だからなにも、大人っぽいところが好きになったわけではないですよ?だって、せんぱいって飽きっぽいですもん」
「ひどい言われようだな。まあ別れても残って、進学後まで残ってくれたんだから、それぐらいの理由はあるか。でも、悪いけど、お前をまた彼女にしようとは思わない。付き合った奴とまたなんてのは好きじゃないんだ。お前だってわかってるだろ?」
緊張感のない声で俺は言った。対して美帆は何もなかったかのように笑う。
一瞬、失敗したかと思ったが、それは杞憂だった。
「そうですか。そうですよね。昼休みにせんぱいの話し相手になればまた、よりをもどせるなんて、虫が良すぎますよね。わかってます。もしかして、里織先輩と喧嘩していたのは私の無茶のせいですか? ……わかります。なんとなくわかってしまいました。でも切り出したのはせんぱいの気持ちからですよね。周りが言ったから仕方なくなんて中途半端なことしませんから、せんぱいは。むしろ周りを無視して、いえ、押しつけるぐらいは平気でしますものね」
おかしそうに笑い続ける。しかし、そこに悲観した雰囲気はなく、ただ楽しかった夢を懐かしんでいるように見えた。全く。美帆は、絶対、泣きはしない。そんな女だ。どれだけ辛くても、それが悲しいことだと思いもしない。誰かがそんな美帆をバカにしようと、俺はそれがこいつの強さだと疑わない。
「私はせんぱいの友達ですか?」
美帆は力強くにっこりと笑う。次に俺が何を言うかわかりきったような表情だ。だから俺はするりと言葉に出した。
「親友だろ」
すると笑顔のままの美帆は、口を開きかけて、しかし一向にしゃべらなかった。けれどそれは、照れているように見えた。俺も直視するのに困って顔を逸らし、美帆に行こうかと誘って、歩き出す。だから不意打ちだった。
「振られたって、せんぱいはみんなに誇れる人ですよ」
「ん? 何か言ったか?」
しっかり聞こえていたのに思わず聞き直してしまった。けれど、美帆はなんでもないと首を振った。俺も何でもない風を装って、美帆と一緒に歩き始めた。
きっかけは里織だったけれど、多分、これでいいのだろう。
その日から美帆は昼休みに教室に訪ねてくることはなかった。それが美帆なりのけじめなのだろう。正直なところ少し寂しかった。でも、きっかけになった俺がそれを口にするのは違うとさすがにわかる。里織が言うほど馬鹿ではない。
そう思っていたのだけれど、翌日美帆は帰り道を一緒に下校したいと言い出した。笑顔満面の美帆の前に、あまり前向きなのも困るなと思い直す羽目となる。それでも泣かれるよりマシだが。
そんな帰り道。なんてこのない会話を交わしながら歩いていると、不意に美帆は困ったような顔をした。
「私の約束を優先してくれるのは複雑というか。断ってくれてもいいんですよ?」
「断るときは断るよ」
「それもそうですねー」
「これはこれで里織がケチをつけてきそうだ」
結局落ち着いた今の形に苦笑いすると、美帆はくすくすと笑った。まるで人ごとのようである。あの告白が一見無意味に見えるけれど、なんとなく変わったような気がした。
「その時はせんぱいをほってさとり先輩の家に逃げ込もうと思います」
「俺をほって?」
「じゃないと私まで怒られてしまいます」
「おいおい。俺の身代わりになってくれてもいいだろ?」
「末路は変わりませんよ」
やっぱり何も変わってない気がした。
休日に神楽から直接誘いの電話がかかってきたが、家族の用事を理由に断って、イクニさんがいるかもしれない公園へと足を運んだ。予想通り彼女はいた。
近づいてみると彼女は芝生の上に寝転がって空を仰いでいた。傍には古めかしいトランクが開かれてあり、中身が乱暴されたかのように芝生の上にまでちらかっていた。その中で、福本が持っていたものよりごつく高そうな一眼レフが目に引っかかった。しわの寄った布の上に無造作に置かれてあるのは、イクニさんなりに大事にしているからか。使い込まれてるくせに小綺麗なツヤがあった。
「君は暇人? 高校生はバイトや部活で目まぐるしい生活を送ってるのではなくて?」
視線で追うと、イクニさんが目を細めていた。
「今日はシフト入れてないんで、暇だったんです。部活も部活も入ってませんし、友達には全員断られました」
嘘を交えて軽い口調で話すと、彼女は興味なさげな顔をした。
「なんだか面白くないわね」
「前に話しましたよ」
「覚えてるわ」
もう一度説明しようと口を開き掛けると、彼女は遮るようにしてつまらなさげに言う。
「良い風ねぇ。君も座って日光浴をすればいいわ。気持ちいいもの。付け加えておくと、芝生の上だから背中もひんやりするから、悩みなんて馬鹿馬鹿しくなるわよ」
疑わしげにイクニさんを見下ろしていたが、根負けしてとりあえず腰掛けてみる。それでも疑惑が抜けきれなくて座ったままでいると、見かねた彼女が仰向けになるように促す仕草を何度もするから、諦めて芝生の上に背中を下ろした。すると、じわじわと背中がひんやりとして心地よくなってきた。浸っていると隣で彼女が薄く笑っていた。
「嘘じゃないってこと信じていただけたかしら?」
「眠ってしまいそうです」
「そこまで素直に感じてくれると勧めた甲斐があるわ」
イクニさんの声が遠くに聞こえた。なんだか本当にまどろんでしまいそうだ。視界が少しずつ重くなってくる。
「眠りなさい。君は肩の力を抜いて、頭の中をほぐす必要があるわ。肩肘張ったって仕様がないでしょう?」
「起こしてくださいよ?」
彼女の了承の言葉に俺は意識を落とした。
再び目を覚ましたとき、携帯のディスプレイで時刻を確認すると、あれから一時間と経っていなかった。
上半身を起こすと、隣でまだ仰向けになっていたイクニさんが、顔の上にかざした一眼レフのファインダーから俺に視線を移動させて目を瞬いていた。
「起きるのも早いのね。来た頃と比べてすっきりした顔してるわ。でもまず、顔は洗ってきなさい。すごいわよ」
言われるがままに俺は近くの公衆トイレに向かった。じっくり見るまでもなく、むくんでいた。俺は水を出して洗顔し、丹念に顔を揉んでイクニさんのところへ戻る。
未だ寝ころんだままのイクニさんは窺うように俺を眺めて、
「気分爽快?」
「かなり」
「いつもの君だね」
「俺、そんな顔してました?」
「気がしただけよ。私がわかるんだから君の友達の方がよくわかっていたと思うわよ」
他人の指摘にはざっくばらんな彼女の物言いに、ちょっとだけむかっ腹を覚えたが苦笑で留めておいて、再び隣に腰掛けた。それ以降何も喋らずただファインダーをのぞき見る彼女が気になって声を掛けた。
「普段、風景を撮っているんですか?」
「ええ。旅行家には必須の趣味よ。写真ではなくて、絵を描く人もいるけれど、私は下手だからね。でも不思議なことに、写真は上手だって褒められるの。君は上手な人?」
「……下手、ですね」
歯切れ悪く答えると、彼女の知性的な目は「そう」と言葉短く答えていた。どことなく残念そうだった。しかしイクニさんは目を細め、むくりと起きあがって俺に一眼レフを差し出してきた。
「実は君の写真も収めているの。見てみる?」
俺は好奇心に負けて写真を回した。確かにいくつかある。気づかなかった。中にはかなり間近に撮られたものまであるのに、この写真の時、俺はシャッター音にまるで気づかなかった。
唖然としていると、イクニさんが悪戯っぽく微笑んだ。数少ない彼女の子供っぽい仕草に、どきりとする。
「意外と隙だらけね。要領の良さは褒めてあげるけど」
無視して俺は写真を回していく。そして寝顔の写真を過ぎた辺りで最初に戻った。しかし返品する前に俺は彼女に首を回して、
「余計なものまで撮らないでくれませんか? 消しますから」
「こら」
するりと奪われた。運動神経が特別優れてるとは言えないけれど、人並みにはあるはずなのにカメラを奪われて驚いた。しかしすぐに俺は腹を立てた。
「さすがに人の寝顔を撮るのはどうかと思いますよ。消してください」
「冗談よ。…………ほら消した」
彼女は淀みない口調で言うと、しばらく手を動かした後で一眼レフを渡してきた。確認すると確かになくなっていた。返しながら、
「案外、子供っぽいですね、することが」
「当然よ。君より年上だからって、人間なんだから、悪戯だってするし、泣くことだってあるわ。もしかして君は大人のことを勘違いしてる? そんなはずないか」
俺が言う前に彼女は俺の顔をじっと見て、勝手に納得を始めた。これ以上追求する気が起きず、俺は話題を変えた。
「写真、本当にうまいですね。輝いて見えるって言うか、綺麗です」
「ありがとう」
そして彼女の笑顔の前に俺は躊躇いつつも打ち明けてみる。躊躇ったのは、彼女の秘密主義に触れてしまうかもという恐怖があったからだ。
「イクニさんは、生まれ育った場所以外を見たいと思ったから写真を撮っているんですか?」
秘密主義のはずの彼女は、答えてくれた。
「……そうね。こうして土地を回りながら写真を収める前は、私も君みたいに小さくて狭い世界に埋没したくないって、一生を過ごしたくないって思っていたわ。自分は優れた人間だ。そう思っていたから抗わずにはいられなかった」
「そこまで俺、話しました?」
「わかるわよ。似てるもの」
「……続けているってことは、地元に戻ることに躊躇ってるからですよね?」
もしこの言葉に肯定してくれれば、それは俺が歩もうとしている人生を肯定してくれているのと同じことのはず。だから俺は期待した。
「わからないわ。もう意地になっているからね」
「意地?」
「戻ってしまったら、それは私の人生の全てを否定してしまう。そう考えてしまうの。両親が私の夢を肯定してくれただけ、私はすごく恵まれているはずなのに、怖いのよ。何もなかったことになるわずかな可能性が。だから意地になってるの。するとそこに、私と原点が似てる君がいた。君を見て私は思い出したわ。多少意地を張っても、やり直しがきくと信じられた君ぐらいの頃をね。そして気づいたわ。私は随分と長い間意地を張っていたんだなって」
「イクニさんの地元も田舎だったんですか? こんな感じの?」
あからさまな誤魔化しにイクニさんは特に苛立つことなく、素直に答えてくれた。どこかよそよそしい真顔だった。
「いいえ。君が羨む都会、の端の生まれ。しょっちゅう都心には行っていたけれどね。でも、華やかであればあるほど、裏はとてもどす黒いものよ。裏通りや裏路地なんて、生ゴミとゴキブリで溢れかえっているわ。だから私は都会が嫌い。田舎に視点を向けて、カメラを担いで足を頼りに全国を回ったわ。さっき私、君と原点が似てるって言ったわね。確かに原点は似てる。けれど、決定的にまで方向性が違うわ。まるっきり逆。だから最初見た頃から私は君が気になっていたんでしょうね、似てるだけなら見向きもしなかった」
辛辣にも聞こえる彼女の言葉に、俺は耳を傾けたくなかった。俺にはまるで敗北者の言葉にしか聞こえなかった。認めたくなかった。それが俺の末路だと思いたくなかった。
だけど言ってやりたいことがあった。
「イクニさんは、ずっと後ろ向きに考えていくんですか? ずっと」
「君にはわからないわ」
一人の大人の人生は、そんなみっともない言葉でまみれているのだと思わされると、俺は悲しくなった。しかし唐突に彼女はぴしゃりと言った。
「人のことより! 君はどうなの? 私の話を参考にするにしてもしないにしても、時間がないから焦っているのではなくて? だったら、シャキッとする。私は後悔したくなくて意地になっている。これだけ私の話を聞いたなら頑張ろうって思うのが男の子でしょう。後悔したくないから血反吐を被っても夢に追いすがりなさい。みっともないって思わない。私は楽しみにしてる。限られた選択肢の中で君がどう進んでいくか。子供である以上、世界は狭い。でも世界が広いと思えたとき、目の前にあるのは両手で数えるほどの選択肢。それは都会であろうと田舎であろうと変わらない縛り。私と少しだけ似た君の人生が本当に楽しみよ」
俺よりも先を生きて、俺よりも濃密に生きてきた彼女の言葉は、口調が清々しくも、重かった。そして気づいた。今の彼女に悲観なんて色はなくて、むしろ力強い。ならそれだと、さっきのよそよそしさは昔の彼女への自嘲なんだろうか。だけど、本当のところはどうでもいい。それより俺の選択を肯定してくれる存在がいることがとても嬉しかった。さっきまでの憂鬱さが忘れてしまえるぐらいに。




