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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

「地味なカボチャ」と婚約破棄された私ですが、裏ボスである父親と兄に頭を撫で回されています〜紅茶を飲みながら元公爵家の破滅を眺める日常〜

作者: マサ
掲載日:2026/07/15

 部屋の天井からぶら下がる魔導具の灯りが、やけにチカチカと目に刺さる。豪奢を競い合う貴族どもの脂ぎった熱気と、安物の香水の匂いが混じり合って、吐き気がするほど空気が澱んでいた。 その中央。一際むっとする人だかりの真ん中で、レイモンドがこれ見よがしに胸を張っている。その腕には、香水の匂いの元凶である男爵令嬢セリアが、べったりと死肉に群がる蝿のようにしがみついていた。


 私のドレスは、洗いたての麻に似た灰色の、ひどく目立たない代物だ。隣に立つ兄アルベルトの、仕立ての良い上着にかけられた手の、その指先がわずかに強張るのが伝わってくる。


「おい、エミリア! 聞いているのか!」


 レイモンドの、やけに甲高い声が耳を叩いた。同時に、お抱え楽団のバイオリンが、弦を擦る嫌な音を立てて止まる。一斉にこちらを向く、好奇に満ちた無数の目。


「お前のような陰気で、家柄だけが取り柄の女は、我が公爵家に相応しくない。本日、この場をもって貴様との婚約を破棄し、俺は真実の愛であるセリアを新たな婚約者として迎えることを宣言する!」


 周囲の連中が、わざとらしく息を呑む。私はただ、口元を扇で隠しながら、奥歯の裏に残る、先ほど口にした冷めた肉料理の脂の味を反芻していた。ただただ、面倒だった。


「……レイモンド様。これは国王陛下が仲介された王命の婚約ですし、公爵閣下――お父様も、私を大事にしろと貴方様に何度も、おっしゃっていることも聞き及んでおりますが?」

「ハッ! 親父はボケたのだ! たかが地方の弱小伯爵家に怯えおって、全盛期を過ぎた老いぼれめ。王命など、我が公爵家の圧倒的な権力と財力があれば、いくらでも揉み消せるわ!」


 レイモンドが鼻を鳴らす。セリアがこれ幸いとばかりに、私の鼻先に、歪に手入れされた爪を突きつけてきた。


「そうですわ! 身の程をわきまえなさいな、エミリア様。あなたのような地味なカボチャは、公爵夫人という煌びやかな馬車には乗れませんのよ? おーほほほ!」


 その瞬間、肌の表面が粟立つような、刺すような冷気が、隣の兄から立ち上った。アルベルトの横顔は、まるで墓石のように冷たく、その唇の両端が、ほんの少しだけ吊り上がっている。


「――我が妹への言葉、しかと耳に刻んだ。公爵家の権力で王命すら揉み消せる、か。……大した自信だな、レイモンド殿」

「な、なんだその目は……! たかが伯爵家の長男の分際で、俺を睨むな!」


 レイモンドの喉が引きつり、靴底がわずかに後ろへ滑る。だが、集まった有象無象の手前、必死に顎を突き出して見せていた。


「言質は十分に取れましたね、お兄様」


 私は、いつもの気弱な令嬢の声音を喉の奥から絞り出し、ただ型通りの、人形のような一礼を返した。


「それではレイモンド様、セリア様。どうぞお幸せに」


 背後に残る、湿った囁き声の群れを置き去りにして、私たちは大広間を後にした。


 パカパカと乾いた馬蹄の音が、夜の静寂に響く。馬車の厚いカーテンを閉め切った瞬間、私の顔の筋肉から「気弱」の文字が剥がれ落ちた。網膜に焼きついた、あの二人の醜悪な顔を、どうやって切り刻むかを頭の中で数え始める。


「本当に救いようのない愚か者でしたね。まさか王命を『揉み消せる』と大衆の前で豪語するとは」


 私の声は、夜の冷気よりも平坦だった。アルベルトは上着の内ポケットから、真鍮製の小さな魔導通信機を取り出し、その銀色のボタンを親指で乱暴に押し込む。


「あの羽虫どもめ……。エミリア、よくぞあの場で耐えてくれた。我が妹を愚弄した対価、その身と血をもって支払わせてやる」


 アルベルトの指先が、通信機の盤面に冷徹な速度で暗号を叩き込む。


「こちらアルベルト。レイモンドが自ら爆弾の導火線に火をつけた。――これより、公爵家に対するすべての『防壁』を全解除する。彼らが隠してきた汚職、利権の横流し、親族の不祥事……すべて社交界に垂れ流せ。一滴も残すな」


『御意』


 通信機の網目から、地を這うような低い声が返る。伯爵家という、誰もが見向きもしない薄汚れた看板の裏で、国家の心臓を握る諜報組織『漆黒の梟』が、その黒い羽を静かに羽ばたかせた。




「いやあ、最高の気分です! 親父!」


 深夜、公爵邸の重い執務室の扉が、乱暴に蹴り開けられた。レイモンドは酒の匂いを撒き散らしながら、机に向かう父親の元へ歩み寄る。


「ついにあの陰気なエミリアに婚約破棄を突きつけてやりましたよ! これで我が家も、あの鬱陶しい伯爵家との縁が切れ――」

「……何だと?」


 現公爵の、書類をめくる指が止まる。その顔が、まるで蝋人形のように不自然な白さに変わっていく。


「お前……今、何と言った? 誰に、何を突きつけた?」

「ですから、エミリアに婚約破棄を! 親父がいつも『大事にしろ』ってうるさいから、俺が代わりにケジメをつけてやったんです。王命なんて、我が家の力で――」


 その言葉を遮るように、狂ったような足音が廊下から響き、執事が息を切らせて飛び込んできた。銀のお盆の上が、ガタガタと派手な音を立てている。そこには、赤黒い蝋で封印された一通の書状があった。


「こ、公爵閣下! 国王陛下より、特級至急の『極秘親書』が届きました……! 使者様は『今すぐ読め、さもなくば夜明けを待たずに兵を動かす』と……!」


 公爵は、執事の手から書状をひったくるように奪い取った。封を破る手が小刻みに震え、紙がクシャリと音を立てる。そこには、国王の直筆による、紙を突き破らんばかりの筆圧でこう記されていた。


『お前の馬鹿息子が夜会にて王命を破り、あろうことか「梟」の愛娘を侮辱した。貴様がどれほどあの家を恐れていたか、私は知っている。数週間の猶予をやる。今すぐ全財産を叩き売ってでもエミリア嬢に全力でケジメをつけてこい。もし拒否されるか、あるいは許されなかった場合――公爵家は一族皆殺し、連座により滅亡とする』


「ひっ……、あ、あああ……っ!?」


 公爵の喉から、潰れた蛙のような声が漏れた。そのまま、白目を剥いて絨毯の上へ硬直したように倒れ込む。口端から、薄い泡が垂れていた。


「親父!? どうしたんだよ、そんな手紙――」

「この、大馬鹿者がァーーー!!!」


 床にへばりついたまま、公爵が狂ったように叫び、拳で床を何度も叩きつけた。


「滅亡ボタンだ! お前は、我が家が絶対に触れてはならない滅亡ボタンを、笑顔で連打してきたんだよ!!」

「な、何を言っているんですか! たかが伯爵家相手に――」

「黙れ! 狂人め! 今すぐ全財産をかき集めろ! 国宝も領地も差し出す! 今すぐ謝罪に行くんだぁぁ!」


公爵は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、戸口に控える衛兵に向かって、喉をかきむしるように叫んだ。


「この狂った息子を部屋に閉じ込めろ! 一歩も出すな! 鍵をかけろ! 早くしろーーー!!」


 引きずられていくレイモンドは、軟禁された先の薄暗い部屋でセリアと合流し、未だに事態の重さを理解できずにいた。


「セリア……見たか? 親父は恐怖で完全に正気を失った。伯爵家ごときにそこまで怯えるなんて。やはり、これからは俺がこの公爵家を引っ張っていかなければならないようだな」

「ええ、レイモンド様。お義父様はもうお歳ですのね。私たちが支えてあげましょう」


 彼らにとって、父親のヒステリーなど、窓の鍵を壊して抜け出せば済む程度の手間役に過ぎなかった。




 数週間後、王宮の長い回廊を、二人はまるで新しい主人のような顔で歩いていた。だが、肌にまとわりつく空気が、明らかにいつもと違っていた。


 いつもなら、彼らの姿を見た瞬間に揉み手で寄ってくるはずの貴族たちが、まるで泥水でも避けるように、足早に背を向けて去っていく。視線すら合わせようとしない。その目は、恐怖に引きつっていた。


 それもそのはず、これまで『梟』が裏で処理していた公爵家の「無能な親戚の押し売り」や「国境近くでの不自然な金流れ」の証拠が、毎朝の新聞を賑わせ、社交界の噂話を埋め尽くしていたからだ。


 さらに決定的なのは、上位貴族たちの動きだった。彼らは代々、家督を継いだ最初の夜、国王から直接その『名』を耳にしている。


『梟の娘に手を出しただと? あの公爵家の馬鹿息子は、国家の心臓にナイフを突き立てたのか!?』

『巻き込まれたら我が家まで歴史から消される! 公爵家には一切近づくな、挨拶も返すな!』


 回廊を吹き抜ける風が、冷たく二人の頬を撫でる。


「な、なぜだ……? なぜ皆、俺から目をそらす?」


レイモンドの額から、嫌な汗がじわりと滲む。


「レイモンド様! どういうことですの!? 私が話しかけても、侯爵夫人が扇で顔を隠して逃げていきましたわよ! 私を公爵夫人として敬いなさいよ!」


セリアの金切り声が、人気のない回廊に虚しく響いた。




 完全に追い詰められ、頭に血が上った二人が、アポもなしに我が家の応接室へ怒鳴り込んできたのは、その日の午後のことだった。


「おい! 伯爵家の分際で、我が公爵家への陰湿な嫌がらせを止めろ! 社交界での悪質な噂話は、お前たちの仕業だろう!」


 応接室の飾り扉が、大きな音を立てて開く。私は、手元の上等な磁器のカップを、カチリと音を立ててソーサーに戻した。


「嫌がらせ? とんでもない。我が家はただ、あなた方がこれまで行ってきた『事実』の隠蔽を、少しだけお手伝いするのを止めただけですよ、レイモンド様」

「ふん、言い訳を! 弱小貴族が調子に乗るな!」


セリアが、犬のようにキャンキャンと吠え立てる。


 私はふっと息を漏らし、ただ哀れな家畜を見るような目で二人を見つめた。


「本当に、何もご存知ないのですね。……我が伯爵家の『真のお役目』は、正式に当主となった夜にのみ、国王陛下より直接明かされる絶対機密。――国家最高機密の諜報組織『漆黒の梟』。当主でもないただの令息のあなたが、知るはずもないわね」

「な、何をバカな妄想を――」


 レイモンドが言葉を発し終える前に、背後の扉が吹き飛ぶような勢いで開いた。


「この、極限のクソ馬鹿息子がぁぁぁーーー!!!」


 衣服は乱れ、ネクタイも歪んだ現公爵が、獣のような形相で突進してきた。そして、レイモンドの右頬に向けて、大ぶりの拳を全力で叩きつける。


 肉の潰れる嫌な音がして、レイモンドが絨毯の上をごろごろと転がった。


「ぶっ!? お、親父!? なんでここに、それに俺を殴っ――」

「お前、あれほどエミリア様を大事にしろと! 怒らせるなと! 口を酸っぱくして言っただろうがぁぁ!!」


公爵の目からは涙が溢れ、その手には、引きちぎられんばかりに握りしめられた、王印の押された公式文書があった。


「お前が夜会で王命を破り捨て、エミリア様を侮辱したせいで、陛下から我が家への『降爵処分』が正式に言い渡されたわ! 我が公爵家は今日限りで『伯爵家』へ格下げだ! 先祖代々の富も、名誉も、特権も、全て失ったんだよ!!」

「え……? はく、しゃく……? 我が家が、格下げ……?」


レイモンドの瞳が、焦点を見失って泳ぐ。セリアは、床にへたり込んだままガタガタと歯の根を鳴らしていた。


 その時、応接室の奥にある重厚な樫の扉が、音もなく開いた。 そこから静かに姿を現したのは、部屋の明かりすら吸い込むような黒い上着を纏った私の父と、その背後に控える兄アルベルトだった。


「ひぃっ……!」


 現公爵は、二人の姿を視界に入れた瞬間、まるで巨大な蛇に睨まれた泥ドジョウのように硬直した。そして、着ていた上着の汚れも気にせず、床に両手を突き、額を絨毯に擦り付けた。


「ひ、梟の首領殿……! アルベルト閣下……! どうか、どうか命だけは……! 息子は極刑でも構いません! どうか我が一族の族滅だけは、ご容赦ください……!」


 地べたを這いずり、埃にまみれて命乞いをする「元」公爵。その無様な姿を見下ろしながら、レイモンドとセリアは、ようやく自分たちが何を踏み潰したのかを理解したようだった。二人の顔から完全に血の気が引き、白目を剥きかけたまま、言葉を失って固まっている。


「さて。父親の命乞いに免じて、一族の命だけは助けてあげよう」


父の声は、冬の井戸の底のように冷え切っていた。


「だが、レイモンド。お前の犯した『王命違背』、そして、王命は金や権力で転ぶと『王命を冒涜』したことの罪は消えない」


 アルベルトが指先を軽く鳴らす。 部屋の隅、影だと思っていた場所から、衣服の擦れる音さえ立てずに、黒い装束の男たちが現れた。彼らは、呆然自失のレイモンドとセリアの細い腕を、家畜を処分するかのような無慈悲さで掴み上げる。


「いや、嫌だ! 離せ! 俺は次期公爵だぞ!」

「冷たい地下牢なんて嫌! 私は公爵夫人になるのよぉ!」


 みっともなく引きずられていく二人の背中に、私は冷え切った紅茶の残りを眺めながら、声をかけた。


「安心してくださいな。愛しのセリア様と、冷たい地下牢で仲良く『身分違いの恋』でも楽しんでちょうだい。……ああ、それからお父様(元公爵)。これからは【同じ伯爵家】として、どうぞよろしくお願いいたしますね?」


 元公爵は、ただ絶望の涙で濡れた顔を何度も床に打ち付け、這うようにして部屋から去っていった。


 静まり返った部屋で、私は小さく息を吐き、凝り固まった肩の力を抜く。


「よく頑張ったね、エミリア。あんな羽虫の相手、退屈だっただろう」


アルベルトがすぐに歩み寄り、私の髪を無造作に撫でる。


「本当だ。我が愛しい娘をよくもコケにしてくれたものだ。これからは、家でゆっくり美味しい紅茶を飲むといい」


父もまた、つい先ほどまでの冷酷な顔をどこへやら、だらしなく目元を緩めて私の頭を撫で回した。


「ふふ、お父様、お兄様、ありがとうございます。あの愚か者たちの破滅を見ながら飲む紅茶は、格別に美味しいですわ」


 私は二人の手元の温もりを感じながら、すっかり冷めて渋みの増したダージリンを、ゆっくりと喉の奥へ流し込んだ。 窓の外は、どんよりとした曇り空から、今にもねっとりとした雨が降り出しそうな気配を孕んでいた。

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