嫌味
みちるは一先ず「めろらぶ」の公式アカウントにログインし、活動再開する旨の投稿を用意した。
ターゲット層がSNSを見るのは夕方頃だろうか、と一八時に予約投稿をセットする。
そのあと事務所を出て五月頭に控えている復活ライブの箱へ向かう。
ライブハウスは渋谷にあり、事務所から電車で一五分程度のところだった。マップを確認し、アズマから事前に渡された己の名刺を持っていざ出陣。
だがみちるは「渋谷」という地に降り立っただけで酷く憂鬱な気持ちになった。
かの有名な交差点でカメラを自分に向けて撮影する外国人、いかにも大学生活謳歌してますといった感じの大学生、スタイル抜群でどこか気の強い感じの女性、パンツが見えてしまうんじゃないかと思うほどスカートの短い女子高生……誰も彼もみちるにとっては苦手だった。
それはみちる自身二十四歳と言う年齢を迎えるこの日まで、どれも経験することなく芋っぽい人生を歩んできたからかもしれない。
なりたい自分になれなかった、そんな感覚がみちるを襲う。
そんな気持ちを振り払うようにみちるはスタスタと交差点を渡っていった。
それからしばらく歩いていくと、大通りのような賑やかさとはまた違った雰囲気が訪れた。
ラブホテルやなんのお店なのかよくわからないような店舗が所狭しと並んでいる。
道路には空き缶やペットボトル、たばこの吸い殻などが散漫しておりお世辞にも綺麗とは言い難かった。
ややスラムっぽい道を抜け、ようやくたどり着いた箱は本当にここでライブができるのだろうか、と思うほどに地味で小さく、入口すら分からなかった。
入る気も失せるような外観から、地下へと繋がる階段を見つけた。
みちるは恐る恐るその階段を下りていく。
すると入ってすぐのところに守衛室のような窓が見えた。
「こんにちはー」
そこから軽く声をかけると、奥からおじさんがヌッと顔を出した。
髪はボサボサで無精ひげが生えている。薄いTシャツにヨレたズボンは年季を感じる。
「えっと、私アイドル事務所『ジュエル』のマネージャーをしております、七森みちるです。先ほど『めろらぶ』のライブでご挨拶させていただきたいとお電話したのですが、加藤様はいらっしゃいますでしょうか?」
名刺を差し出すと、男はそれをちらりと見ただけで受け取りはしなかった。
「私が加藤ですが」
電話の時から感じていたが、改めて対面で会うととんでもなく不愛想な人だとみちるは思った。
思わず眉間に皺を寄せそうになるが、そこはグッと堪えて営業スマイルをキープする。
「そうなんですね。五月に『めろらぶ』でこちら使用させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。契約書に関しましては既に目を通していただいておりますでしょうか?」
事前にメールでPDFにした資料は送ってある。そこに利用料や売り上げに対するバック金などが記載されている。
「まあウチはさ、オタクみたいな赤字アイドルも使われない箱よりマシっしょって思って何度か受け入れてんだけどさ。ほんとに動員数伸ばせる自信あンの?」
「え?」
思いがけないセリフにみちるは頭が真っ白になった。
「前のマネージャーさん、イチミヤさん、だっけ? あの人もアンタみたいに丁寧に挨拶してたけどさ、実際のところ全然動員伸ばせなかったじゃん。それも自分がメンバーを好きになったかなんだか知らないけどさ、ファンとトラブル起こしてたよね? 大丈夫なの? そのアイドルまだ残ってンの? 実はそのイチミヤさんとデキてたりしない? ウチもうトラブルとか勘弁してほしいンだよね。人もそんないないしさ、手回ンないのよ」
矢継ぎ早に言われ、みちるは思考が停止した。みちるが何も言わないことをいいことに、加藤は続けた。
「だいたいさ、今はSNSが普及してちょっと顔がいい男なんてそこら中に転がってるわけよ。だからアンタらみたいな事務所はさ、顔だけじゃなくてそういう礼儀とか熱意とかパフォーマンスでのし上がンないとダメなの。わかる? だから私みたいなね、ライブハウスのオーナーに気に入られることも立派な仕事だからね?」
「え、っと……気を付けますね。次のライブでは動員数も増やせるよう善処します」
自分でもひきつった笑みだなと感じていた。それでも「お前に礼儀がどうこう言われたくはない」と口にしなかっただけでも偉い。みちるは自分にそう言い聞かせた。
「そんじゃよろしく頼むよ」
そういってオーナーの加藤は部屋の奥へと戻っていった。
みちるはさらっとだけライブ会場を見渡し、すぐに外へ出た。
あれほど不味いと思っていた渋谷の空気が地上に出た瞬間、とてつもなく美味しく感じられた。
閉塞感から解放され、大きなため息をこぼす。
「何あのジジィ……普通あそこまで厭味ったらしく言う? てか前のマネージャーのこととか私知らないし。会ったこともないし。関係ないのに、なんで私があんなに言われないといけないの?」
溜まっていた愚痴が湯水のように溢れ出す。
「あーあ、なんかしんどそうだし転職しようかな……」
一度そう口にしてしまえばもう気持ちはそちらに傾いてしまう。
みちるは空を見上げて思う。
(いつからこんな逃げ癖、ついちゃったんだろう……?)
初めて小説を書きたい、と思ったのは小学三年生や四年生くらいの時だっただろうか。
みちるは読書が好きだった。よく児童小説を読んでは人に進めていたものだ。
時には担任の先生や図書司書に進めることもあった。
「この本、すっごく面白かったです!」
「ふふっ。みちるちゃんはほんとに本が好きなのね。将来作家さんにでもなるのかしら?」
その言葉を聞いた時、みちるは「それが私の将来の夢なんだ」と思った。
実際にそのあとよくノートに物語を書き綴ったものだ。ノートを見た先生や友人は口をそろえていった。
「みちるちゃんすごーい」
「おもしろいね!」
「みちるちゃん、作家さんになれるよ!」
そんな甘い言葉を信じた自分はどれほど馬鹿だったのだろう。
今思えば私はそんな特別な人間じゃないのだ。なれるわけがない。
だが当時のみちるはその言葉を真に受けていた。本当に小説家になれると思っていたし、自分は天才なんだと思っていた。
勉強など碌にせず、本を読んでは自分の小説を書くことに没頭した。
だが、現実はそんなに甘くはなかった。
初めて小説のコンテストに応募したのは中学生の時だった。その時は「審査員特別賞」を受賞した。
それがまたみちるに自信をつけさせた。
だがその受賞したコメントをよく見ると「自費出版にて出版させてほしい」とのことだった。
いわば出版社側の商売にされるところだった。
止めてくれた親には感謝している。
そしてその後は全くと言っていいほどどこにも引っかからなかった。
自信はどんどん失われ、何故落ちたのか、何故どこも通らないのか、そんなことを考え分析するこはせず「世界は私を理解してくれない」などと厨二病くさいことを考えていた。
それでも何年も抱き続けた夢を今更捨てきれず、大学生までの間はずっと小説を書き続けていた。
いつか当たると信じて。
でも結局何も引っかからず、花は咲かず、地元にいるのが気まずくなって就職を理由に東京に出てきた。
親は家で書けばいいじゃないか、仕事はこっちにも何かあるはずだと言って慰めてくれたが、それがまた苦しかった。
本当はせめて出版社に就職したかったのだが、大学は誰でも行けるような地方の私立。とても拾ってくれるような会社はなかった。
そして半ばやけくそで応募したこの会社に採用されてしまったのだ。
本来メンズ地下アイドルなんて色恋営業をかけ、女の子からお金を巻き上げる、嫌なコンテンツだとみちるは思っていた。
そんなところの事務所に応募するなど、相当切羽詰まっていたのだろう。
みちるはふっと足元を見る。
相変わらずたばこや空き缶、ペットボトルが散漫している。
「汚ったな……」
そう呟いて駅に向かって歩き出す。
どうせ努力をしたところで報われないのだ。それなら頑張る意味はないし、変に傷つく必要はない。
無理に続ける必要もないのだ。
それならせめて好きだった本に触れていられる書店員にでもなろう。みちるは駅に向かう道中一人そっと決意した。




