めろらぶのこれまで
「は、始めるって何を……?」
にじり寄るみやから逃げるように一歩後退するみちる。そんなみちるを見てみやはクスクスと笑った。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。単なる『マネージャー業のお勉強』と『めろらぶの歴史』を教えてあげるだけ」
その言葉を聞いてみちるはほっと胸を撫でおろした。
「でも油断しちゃダメ。アタシだって男だから、何するかわからないわよ?」
「えっ?」
「ジョーダン。可愛いのね。でもアタシ、心に決めた人がいるから」
「は、はあ……そう、なんですね?」
この場合どういう反応をするのが正しかったのだろうか。みちるはそんな疑問を抱きつつ、みやの次の言葉を待った。
「早速だけど、簡単にこの部屋について説明するわね」
そういってみやはぐるっと部屋を見まわした。みちるも真似して部屋を見まわしてみる。
扉から入ってきて真っすぐ正面を見ると、そこは壁が一面鏡張りになっていた。それ以外の壁はなんの変哲もない壁だ。
みちるは鏡を見ると、何となく入ってきた瞬間の光景が脳裏をよぎった。
らきととーまのキス。あれは何だったのだろうか。
「ここは見ての通りレッスンルーム。基本アタシたちはここでダンスレッスンをしてるわ。週二回振付の先生が来てるの。いらっしゃらない日は個人で自主練習」
「なるほど。皆さんレッスンない日でもいらしてるんですか?」
「ええ。大体いるわ。アタシたちはまだ弱小アイドルだからね、ここでダンス練習してるか、ボイストレーニングに行ってるか、駅前でビラ配ってるか、そのどこかに行けば会えるわ」
みちるはスマートフォンを取り出し、カレンダーアプリを開いた。
「皆さんのスケジュールはどこで管理されてるんですか?」
「いいところを突くわね、新人ちゃん。アタシたち全員のスケジュールが入ってる共有カレンダーアプリがあるの。そのリンクを送るわ。連絡先、伺えるかしら?」
みやがスマートフォンを取り出し、チャットアプリのQRコードを差し出した。
そのコードをみちるがカメラで読み込むと、チャットアプリの連絡先にみやが追加された。
「ふふっ。みちるちゃんの連絡先ゲット」
「あはは……できることはしますので、何かあればご連絡を」
愛想笑いを浮かべるみちる。だがみやはそれを嬉しそうに見つめた。
「あら、そんなこと言われたらたくさん連絡しちゃうけど?」
「あ、あはは……」
距離感が分からない。みちるは困惑する。
「はい、リンク」
構わずみやは続けた。
みちるも切り替えてリンクを開く。
するとカレンダーアプリが立ち上がり、各メンバーのスケジュールが記載されていた。
誰がいつ、何時に、どこで、何をする予定なのか、ライブの全体の予定なども入っている。
「これ見て箱押さえたり、SNSの更新してね。あとはライブ前にできるだけアー写用意の手配もよろしく。とはいっても、そんなに予算ないからポンポン新衣装なんて頼めなんだけど」
みちるの思考が止まった。
(アー写? 箱? 衣装? 何の話? もはや何語?)
ぽかんとするみちるを見てみやはまたクスクスと笑った。
「ごめんごめん、一気に言い過ぎたわね。一つずつ整理していきましょう」
みやは自分のスマートフォンを触り、一枚の写真を画面に映し出す。
そこには可愛らしいオレンジベースの衣装に身を包んだみやの姿が映っていた。背景もオレンジベースのテーマが決まっているようなものだった。
ばっちりメイクをしてキメポーズをするみやは女性アイドルに見える。
「これがアー写。アーティスト写真の略。シーズンとかライブ前に撮る、いわば宣材写真みたいな感じね。この時はバレンタインだから……二か月前ね。二月に出したかったから一月にはもう撮り終えていたわ」
なるほど、と零しながら画面に中のみやをまじまじと見つめる。この衣装はどこに発注するのか、デザイン案はこちらが提示するのか、今のみちるには全く分からなかった。
そのためこれから自分がどんな仕事をしていくのか、まったくイメージが湧かない。
「次に箱。箱って言うのは、ライブハウスのことよ。悔しいけどアタシたちはまだそれほど集客がないから、キャパ的には五十でも多いくらい」
「その箱を押さえるっていうのは、予約的なことですか?」
「そうよ。そういう箱にはオーナーがいて、そのオーナーにいくらで貸してもらって、いくらの売り上げを渡すのか交渉するの。あんまり赤字だと次使うのを断られることもあるから、しっかり挨拶して使わせてもらえるようにするのも仕事」
「なるほど……営業みたいですね」
「実質営業よ。アタシたちはまず泥臭く自分たちを売り出す。そのために足を運んで頭を下げる!」
思っていたよりも体力勝負になりそうだな、とみちるは思った。
「まああとは衣装の発注とかは、おいおい伝えるわ」
「ありがとうございます」
「次にアタシたち『めろらぶ』について。この話をする前に、みちるちゃん。アンタには約束してほしいことがあるの」
急に真剣な表情を浮かべるみや。それを見たみちるは気が引き締まる思いがした。
姿勢を正し、みやの言葉を待つ。
「別にね、恋をするなとは言わないわ。メンバーの誰かと恋に落ちても構わない。だけどトラブル、スキャンダルだけはやめてちょうだい」
全く予想していない言葉にみちるは瞬きを繰り返した。
「あ、あとゆきとには恋に落ちるのも禁止よ。彼にも決まった相手がいるから」
みちるは真剣なまなざしをみやに向け、はっきりと言った。
「大丈夫です。仕事とプライベートは分けるタイプなので」
「あらそ?」
「それに申し訳ないですが、私メンズ地下アイドルってジャンルの男性に興味がないというか、苦手なので」
「……そうなの? 好きでこの業界に来たんじゃないの?」
「まあ、ちょっと事情がありまして……」
そこでみちるが口ごもると、みやは何かを察したようにそれ以上聞いてこようとはしなかった。
「それじゃあ安心ね。というのも実はアンタが来る前のマネージャーがね、仕事はできて優秀だったんだけど、くおんにガチ恋しちゃったのよね」
困ったように頭を抱えるみや。
みちるはそんなことが、と思う一方でみやの疲れた表情から苦労が容易に想像できた。
「アタシたち『めろらぶ』自体が結成したのは去年の七月だったの。アズマ社長に拾ってもらったんだけど、当時まだマネージャーもいなくてメンバーは揃ってたけど活動は全然できなかった――」
ただアズマ社長は自身も元々はメンズ地下アイドルだったということもあり、人脈や資金を調達してくるのは早かった。
だから事務所はすぐにできてレッスンルームも与えられた。ダンスレッスンの指導もついて少しずつ活動ができるようになった。
そして去年の十一月、前のマネージャーが就任したのだ。
前マネージャーは元々メンズ地下アイドルが好きで、よくライブに通っていた。だからこそファンにどんなアイドルが求められているのか、どんなアイドルに需要があるのかを力説していたし、実際に効果があった。
彼女が求めるアイドル像は「BL売りするメンバー」と「ガチ恋売りするメンバー」が混在したグループ。
そして彼女が作り上げたブランディングはらきととーまのBL売り、みや、ゆきと、くおんのガチ恋売りだった。
最初こそ効果はあった。SNSでらきととーまがキスしてる動画を投稿し、みやたちが画面の向こうの女の子に囁くような動画を投稿したらちょっとだけバズッたのだ。
波に乗れる、勢いが来たと一同は思った。
ところが前マネージャーはくおんに恋をしていた。だからこそ動画のコメントで「くおんくんカッコいい」「惚れる」「好き」などのコメントがつくと、動画を非公開にしたりコメントを消したりしていた。
またライブでもくおんの特典会だけやたらと短かったり、無理やり話の途中で引き離したり、明らかに扱いの違いが散見された。
それにより前マネージャーは一月をもって解雇。
二月のバレンタインイベントを最後に一時活動休止。それから三月は停滞。
「そして今日、みちるちゃんが新マネージャーとして就任したってわけ」
みやの話を聞き、みちるは苦笑いした。
「なるほど。これで二つ謎が解けました。一つ目は何故未経験の私が採用されたのか。そして二つ目がらきくんととーまくんがキスしていた理由です」
「ふふ。あの二人は実際にデキてるわけじゃないのよ。あくまでブランディング。ビジネスよ」
「ビジネスの割にはがっつりしてたような……」
「それはらきが真面目だから。あとあの子の夢が大きいからよ」
「夢、ですか?」
「それに関しては本人に聞いてちょうだい」
あの様子からすると教えてくれなさそうだけどな……とみちるは心の中でつぶやく。
「これで一通り説明し終えたけど、他に何か質問あるかしら?」
「とりあえず現状は把握しました。それで、具体的な仕事は一体何を……?」
「まずはSNSで活動開始報告するでしょ? あとは活動復活ライブがあるから、その箱への挨拶ね。SNSのアカウントとかライブの箱はカレンダーの共有に書いてあるから見ておいて」
「分かりました」
「それじゃあアタシもビラ配りに行くから、よろしくね」
そういってみやはひらりひらりと手を振ってレッスンルームを出ていった。
一人ぽつんと残されたみちる。
わからないことばかりで不安しかなかった。
「私、やっていけるかなぁ……」
そう呟いた声に返事はない。
みちるは一人肩を落とし、レッスンルームを後にした。




