さよなら
翌日、みちるは封書をもってアズマの前に立っていた。封書には「退職届」と書かれている。
「短い間でしたが、お世話になりました」
そういって深々と頭を下げると、アズマは困ったような表情を浮かべた。
「なんでまた急に? そんなに仕事が合ってなかった? それとも何か嫌なことでもあったかな?」
アズマの声は優しかった。決してみちるを責めているわけではない。だがそれがまたみちるを苦しめた。
いっそのことこんなにすぐに辞めるなんて覚悟がない、もっと仕事に責任を持てと怒られた方が楽だった。
その方がなんの未練もなくなる。
だからみちるはあえて自分の気持ちを素直に話すことにした。
「私にはこの仕事、向いていないと思います」
「……どうして?」
「私には覚悟が足りないんです」
「覚悟?」
「はい」
みちるはアズマから視線をそらし、自分の足元を見つめた。
「私は正直最初からこの仕事をやりたかったわけじゃないですし、メンズ地下アイドルに対しても詳しいわけじゃありません。それでもメンバーは私を信じてブランディングに賛同し、それを演じてくれています。彼らは本気で武道館に行くつもりです」
アズマはみちるをじっと見つめ、彼女の言葉に真剣に耳を傾けている。
「だけど私は正直彼らが武道館に行けるかどうかわからないし、その夢を信じきることができません。なんの覚悟もないですし、彼らがどうなろうが私には関係ないとすら思ってます。こんな無責任でなんの想いもない私がマネージャーを続けるのは彼らに対して失礼だと思いますし、なんの意味もないと思うんです」
最後は少し早口だった。それでもアズマは何も言わず、じっとみちるを見つめる。
そこでみちるも顔を上げてアズマの方を見た。
「だから、辞めさせてください」
はっきり言い切ると、アズマは深く息を吐いた。
「君の気持ちはよく分かった。それにこれはあくまで君の人生だから、僕がとやかく言うことではないと言うのも重々理解している。だがその上で少しだけ話をさせてほしい」
アズマは手元にあったコーヒーを啜った。事務所にはまだメンバーが来ておらず、二人きりの重い空気が流れる。
「君がこのマネージャーという仕事やメンズ地下アイドルに興味がないことは面接した時からわかっている。それでも君を採用したのは客観的思考が優れていると思ったことと……」
アズマは少し考えてから続けた。
「夢をもう一度掴んでほしいと感じたからなんだよ」
「……はい?」
みちるは失礼を承知で聞き返した。まるでアズマの意図が分からなかった。
しかしアズマは特に不快そうな表情をせず、それどころか落ち着いたような笑みを浮かべて続けた。
「君は少し冷めているところがあると思っていてね。僕も元々メンズ地下アイドルをやっていたから、君を笑顔にしたい、夢を持ってほしいと思ったんだよ」
「私に、ですか?」
「君の過去に何があったかは分からないけど、若いのに何かを諦めている。まだまだこれからできることも、掴めることもたくさんある。これから長い人生楽しいことも新しいこともたくさんある。それなのに全てを見てきたような、何かを諦めたその目をもう一度輝かせてみたいと思ったんだ」
どこか見透かされたような言葉にみちるはほんの少し、苛立ちを覚えた。
「それには夢を追いかける人の傍で見守るのがいいんじゃないかと思ったんだけど、違ったかな?」
「……お言葉ですが、反対です。彼らを見てると私は苦しくなります」
みちるはその怒りをそのまま彼にぶつけた。
するとアズマは苦笑した。
「そうか。でもそれだけ君は過去にまだ未練があって、諦めてないんだね。それなら僕はもう君を止められない。あくまでこれは君の人生だからね」
そういってアズマは退職届を受け取った。
するとみちるは自分でも驚くことに、その行為に困惑した。受け取ってもらうことを望んでいたはずなのに、いざ受け取られると困惑する。
それに今のアズマの言葉に何か引っかかりを覚えた。断片的にみちるは何かが掴んでは消えていく、そんな感覚に陥った。
しばらくどうしていいのかわからず、固まっていると事務所の扉が開いた。
「お疲れ様でーす」
そういって入ってきたのはらきだった。
らきは真っすぐレッスンルームに入っていこうとする。そんならきに向かってアズマが声をかけた。
「らきくん、申し訳ないけどみちるさんは今日で辞められることになった。またマネージャーがいなくなるけれど、またすぐ探すからそれまでまた仕切り頼めるかな?」
アズマの言葉にらきは物凄い形相で振り返る。
「は? どういうことですか?」
今にも人を殺めそうな鋭い視線にみちるは怯む。
構わずらきはみちるにずかずかと歩み寄り、ぐっと胸倉を掴んだ。
「どういうことだよ。説明しろよ」
そう言われ、みちるはアズマに助けを求めるような視線を送った。ところがアズマは肩を竦めるだけだった。
みちるは仕方がなくアズマに言ったことをそのまま繰り返した。
「私には皆さんの熱量に答えられるだけの覚悟がありませんので」
言い切ると、らきはパッと手を離した。
「……ふざけんなよ」
その声は、怒りに震えていた。




