6.融和の景色
美術室のドアが、大きな音を立てて開いた。そこには、床に座り込み、澪らと共に汗を拭いながら看板の最後の仕上げをしていた戸田がいた。
「トダテツ! ……すまなかった、俺が間違っていた。お前のプライドを、部長の権限という安易なルールで踏みにじろうとした。お前の描く色彩がなければ、テラスはただの機能的な空き地に成り下がる」
「陸……」
「でもな、桐生の言うことも、やっぱり無視はできないんだ。俺たちがこの学校の公式な部活として、胸を張って歩み続けるためには、最低限の共通言語(秩序)が必要だ。……だから、トダテツ、澪。提案がある。お前たちの溢れ出すアートを、桐生の冷徹なロジックと『高度に融合』させてみてくれないか。お前たちなら、それができるはずだ。……いや、お前たちにしかできないんだ」
陸が提示したのは、蒼太と蓮の言葉から着想を得た、誰も予想しなかった逆転の発想――「隠された芸術」のアイデアだった。
翌日の放課後。新生徒会長・桐生による、中庭美化計画の最終視察が行われた。
桐生が冷徹な足取りでテラスに足を踏み入れた瞬間、彼はその場で、まるで見えない壁に突き当たったかのように、衝撃を受けた表情で足を止めた。
「……これは、一体どういう仕掛けだ?」
そこに立っていたのは、一見すると桐生が指定した通りの、シンプルで機能的な、極めて現代的なピクトグラム看板だった。しかし、一歩、また一歩と近づくにつれ、驚くべき視覚的体験が訪れる。
無機質なピクトグラムの黒いシルエットの内部に、まるで小宇宙のように無限に広がる色彩のグラデーションと、戸田が魂を込めて描いた緻密なラテアートの筆致が、特殊な塗装とレイヤー構造によって、奥行きを持って浮かび上がるようになっているのだ。
遠目には「誰もが迷わない、数学的な秩序に基づく記号」。しかし近づけば「コーヒーの豊かな香りと、作り手の切実な情熱が伝わる唯一無二の芸術」。
「遠くからは情報のノイズを消し、最短距離で案内を提供する。けれど近づけば、テラスの持つ唯一無二の温かさを、客の心に直接叩き込む。……桐生、これが俺たちバリスタ部の、そしてトダテツと澪が作り上げた『アートとロジック』の究極の融和だ」
陸の堂々たる言葉に、桐生はしばらくの間、沈黙を守った。やがて、彼は小さく、しかし確かに、満足げに口角を上げた。そして、指先で眼鏡の位置を寸分違わず直した。
「……機能性を一分たりとも損なわず、それ以上の付加価値――『体験』という名の付加価値を生んでいる。この圧倒的なクオリティを維持し続けられるなら、生徒会長として、これを拒む理由はどこにもない。……見事だ、沢村」
戸田と澪が、人目を憚らずに固いガッツポーズを交わした。陸は戸田の肩を力強く抱き、二人で声を上げて笑い合った。
中庭には、新しく、美しく整えられた、けれど決して誰の心も拒まない、新しい時代の景色が広がっていた。看板の隅、影になる場所に、澪が遊び心で描き入れた小さな、しかし鮮やかなレモンのイラストが、秋の柔らかな陽光を受けて、誇らしげに黄金色に輝いていた。




