5.解の模索
その日の夜。テラスの営業が終わり、人影のまばらになった中庭。冷たい秋の夜風が吹き抜け、枯れ葉が円を描くように舞っている。1年の日向蒼太と潮崎蓮は、二人で黙々と片付けを終え、重い沈黙の中で校門へと続く道を歩いていた。
「……まいったな。沢村部長とトダテツ先輩、あんなに言い合うなんて。部室の空気が、今までで一番冷たかった気がするよ。まるで、淹れたてのコーヒーが急激に冷めていくみたいに」
蒼太がぽつりと、夜の闇に溶け込むような低い声で呟く。蓮は首の後ろをガリガリと掻きながら、人工芝の感触を確かめるように、一歩一歩重く歩く。
「ああ。どっちの言い分も分かるのが辛いところだよな。沢村部長は部長として、新体制の中での部の立場を一番に考えてるし、トダテツ先輩は、俺と同じ作る側の人間としてのプライドを死守しようとしてる。……でもよ、蒼太」
「うん?」
「俺、思うんだ。たい焼きだって、決まった型があるからこそ、あんなに綺麗に、均一に焼ける。それは間違いない。でも、その中にどんな餡を入れるか、どれだけ焼き加減に心を込めるかっていうのは、型にはまらない、数値化できない『アート』だよな。型だけあっても、中身がなきゃただの皮だ」
「……そうだね。どっちか一つじゃ、たぶんダメなんだ。桐生さんのロジックも、トダテツ先輩のアートも、本当は両方合わさって初めて、僕たちの目指すテラスになるはずなんだよ。ロジックという器に、アートという魂を注ぐような……」
蒼太は足を止め、月明かりに照らされた無機質なピクトグラム看板を見つめた。その黒いシルエットは、どこか寂しげで、未完成なものに見えた。
「ねえ、蓮くん。僕、今から沢村部長に話しに行こうと思う。……このままだと、バリスタ部から一番大切で、目に見えない何かが消えちゃう気がするから。僕たちが、このバラバラになった熱を繋がなきゃいけないんだ」
「おう。俺も行くぜ。一人じゃ心細いだろ? 職人同士、言いたいこともあるしな。沢村部長のあの頑固な頭、一緒に叩き起こしてやろうぜ」
二人は意を決して、まだ明かりのついている部室へと引き返した。そこには陸が一人、テラスのカウンターで、桐生から渡された景観管理マニュアルの分厚い束を読み耽っていた。その背中は、かつての自信に満ちたものとは違い、どこか迷いと孤独を感じさせた。
「沢村部長、少し……お話ししてもいいですか?」
蒼太の静かな、しかし確かな声に、陸がゆっくりと顔を上げた。
「蒼太、それに蓮か。悪いが、戸田の弁護なら今は受け付けないぞ。俺は部長として、部を守るために決断したんだ……」
「違います」
蒼太が言葉を遮った。その瞳には強い意志が宿っていた。
「部長は、桐生さんの『ロジック』を心から尊敬してますよね。でも、桐生さんが本当に求めているのは、ただ形を整えることじゃなくて『みんなが幸福に、迷わず、心地よく過ごせる場所』にすることのはずです。……コーヒーだって同じじゃないですか。香りは理屈抜きで心を惹きつけるアートです。でも、その味を支えるのは、豆の比率や抽出温度といった厳密な構成。……今のテラスからは、僕たちが一番大切にしていた『香り』が消えようとしています」
「先輩、トダテツ先輩も美術部の人たちも、最高の『香り』を作ろうとしてるんです」と蓮が続けた。
「それを型の中に、ロジックの中に混ぜ合わせる方法を考えましょう。俺たちバリスタ部なら、それができるはずっす。型を壊すんじゃなくて、型をもっといいものにするために」
陸の手が止まり、マニュアルがゆっくりと閉じられた。部室を包む静寂の中で、彼の思考が巡る音が聞こえるようだった。
「……俺は、トダテツの情熱を、ただの整理されるべき『ノイズ』として閉じ込めようとしていたのか。あいつの誇りを、俺自身の手で、マニュアルという檻に。……俺、部長失格だな」
「部長、まだ間に合います。トダテツ先輩のアートを殺さずに、桐生さんのロジックを立てる方法、一緒に考えさせてください。僕たち全員で」
陸は勢いよく立ち上がった。その目には、いつもの兄貴分としての、迷いのない熱い光が戻っていた。彼は看板を抱えて美術室にこもっているはずの戸田と、彼を支え続ける美術部のもとへ、全員が帰っての静まり返った廊下を、自分の本来の足取りを取り戻すように全速力で走り出した。




