3.色彩の反逆
納得のいかない戸田は、部室を飛び出し、そのまま美術室へと駆け込んだ。そこには、美術部1年の萩原澪だけでなく、2年生で部長に就任したばかりの「写実の鬼」と呼ばれる遠野聡、そして何人かの部員たちが巨大なキャンバスを囲んで議論していた。美術室特有の油絵具とテルピン油の香りが、戸田の昂ぶった感情をさらに刺激する。
「聞いてくれ、みんな! 生徒会が……いや、部長の陸が、テラスの看板を全部『記号』にしろって言うんだ。僕たちがこれまで命を削って描いてきた色は、彼らにとってはただの排除されるべき『ノイズ』らしい!」
戸田の悲痛な叫びに、繊細な風景画を描いていた部員たちが一斉に筆を止めた。室内を包んでいた創作の静寂が、外からの理不尽な知らせによって無惨に破られた瞬間だった。
「ピクトグラム化……。情報の均質化ですか。それはまた、極端な合理主義ですね」
遠野が冷徹な、しかし奥底に確かな怒りを含んだ声で言った。彼は手元にあった細い面相筆を置き、戸田の方を振り返る。
「戸田さん、貴方のラテアートは、あの中庭の乱雑で生命力に溢れた光景の中でこそ『生きて』いた。情報の乱立を『ノイズ』と呼ぶのは簡単ですが、そのノイズこそが多様性の証でもある。それが規格という無機質な檻に閉じ込められるのは、真実の形を追求する写実の徒としても看過できません。アートは本来、秩序を壊し、新たな意味を再構築する力を持っているはずだ。それを均一な記号に押し込めるのは、表現の死、すなわち私たちの存在意義の否定を意味します」
「そうですよ! 絶対に間違ってます!」と澪が絵の具だらけの手を振り回して身を乗り出す。彼女の頬には、制作中についたらしい鮮やかなマゼンタ色の絵の具が、戦化粧のように付着していた。
「トダテツ先輩が昨日まであんなに楽しそうに色を選んで、木の温もりを確かめながら命を吹き込んでいたのに! 機能性だけを求めて、作り手の心も、豆を挽く豊かな香りも、その場の空気感も何一つ感じられない看板なんて、ただの冷たい標識です。それは情報の伝達じゃなくて、景色を殺しているのと一緒です! 心が動かないデザインなんて、ゴミと変わりませんよ!」
「……よし、だったら見せつけてやろうぜ」
隅でデッサンをしていた別の部員がニヤリと笑い、予備の特大ベニヤ板と最高級のアクリル絵の具一式を持ってきた。
「生徒会の決めた規格サイズ? 誰もが見やすいアイコン中心のデザイン? 知るかよ、そんなの。俺たちが描くのは、単なる『誘導』じゃなくて、人の視線を一瞬で奪い去るような『誘惑』だ。美術部の総力、存分に貸してやるよ戸田。記号や図形じゃ逆立ちしたって伝わらない体温があることを、絵の具の積層と重厚な質感で、あの合理主義者たちの鼻を明かしてやろうじゃないか。ロジックの壁を突き破るには、それ以上の衝撃が必要だ」
「みんな……。ああ、やってやるよ! ロジックを完全に黙らせるほど、圧倒的なアートを!」
美術室の空気は一変し、激しい創作の熱に包まれた。戸田を中心に、澪が感情を激しく揺さぶる色彩の爆発を、遠野が息を呑むような緻密な写実を、そして他の部員たちがタイポグラフィや装飾技術といったそれぞれの専門的な感性を惜しみなく注ぎ込んでいく。それは、桐生の掲げる「冷徹な秩序」に対する、若き表現者たちによる、あまりに美しく、あまりに苛烈な、祈りにも似た「色彩の反逆」だった。




